02. ゲームの世界と従魔たち -2-
西にあった丘の斜面を登る。気持ちのいい風に髪が流される。
目の前には、羽をパタパタと動かしながら飛ぶクーゴ。あの羽の力だけで浮いているとは思えないので、おそらく魔法的な何かで浮いているのだろうか。そんなことより、身体の線がはっきり出るこの鎧はやばいな。何がやばいってクーゴのお尻がやば、あ、いや、それはどうでもいい。
オレの後ろからはカリンが付いてきている。カリンも飛んでいるので足音はしないが、身に着けているプレートメールは羽ばたくだけでもガシャガシャと音が鳴って騒々しい。
こうして歩きながら思うことは、本当にこれは夢なのかということだ。
状況的には夢としか思えない。しかし、意識も感覚もはっきりとしていて、夢とは思えない。
定番ではあるけど、頬を抓ってみる。夢なら痛くないというアレだ。
ふむ。痛くないな。よし。夢だ。
……いや、ドナのステータスは、筋力と耐久の二つに極振りしてある。意図して力を入れなければその怪力が発揮されることはないようだけど、防御力の方はどうなのだろうか。
少しずつ力を加えていくと、結構強く抓ったと思ったところで、ようやく痛みを感じた。
比較するため、足元に見つけた拳大の石を拾って同じくらいの強さで握ってみると、石はあっさりと砕けた。
うん。まあ、ドナは防御特化型だから。ほっぺたが石より硬くても問題ない。
頬に触ってみた感じは、すべすべで柔らかい肌なんだけどなぁ。それが、こんな耐久力を持っているなんて。
「マスター……?」
「あ、いや、ちょっとね……」
「……んー?」
突然石を砕いたオレに、不審そうなカリンの声がかかる。
適当に手を振って誤魔化すオレ。背後の会話に振り向くクーゴ。
従魔たちの視線が痛い。
しかし、本当に夢ではないのだろうか。
だとすると、後先考えない行動はよくないか。
これが夢であれば何も困ることはないけど、夢でなかった場合に困ったことにならない程度に慎重にいこう。
……そんなことを考えながら丘の上までくると、思ってもいなかった風景が見えた。
これが『リ・マルガルフの希望』の世界であれば、丘の麓から百メートルくらいの位置にあるシィの村が見えるはずだった。
オレの眼下、丘の麓には、変わらず草原が続いていた。
村はどこに行った?
視線を遠くに向ければ、城壁に囲まれた町が見える。
その城壁は町の範囲を越えて左右に――方角的には南北に延び、北は森の陰に、南は地平線の果てに消えている。
町も、壁も、『リ・マルガルフの希望』にはなかったものだな。
町までの距離はどのくらいだろうか。数キロメートルはあるように見える。
というか、遠くの物までの距離なんて、目視では正確にわからないな。丘の上にいるのでそれなりの距離まで見えているとは思う。でも、そこまでの距離ってどのくらいよ?
ただ、オレの記憶にある『リ・マルガルフの希望』の地図と違うことはわかる。
地形は大体似ていると思うけど、村や町の配置が違う……もしかしてゲームの舞台とは時代が異なるのか? それとも、平行世界的な何か?
「クーゴ、カリン、丘を下りたすぐの辺りに、村がなかったっけ?」
「んー、村の位置はあそこで合ってると思うよ。でも、あんなに大きくはなかったね。壁もなかったと思う」
「そうですね。私の記憶もクーゴと同じです」
オレだけおかしいらしい。いや、村の規模や壁の存在は二人の記憶でも異なっているのか。
この状況で一つ思いついた仮説がある。
『リ・マルガルフの希望』の舞台はリ・マルガルフ大陸だけど、大陸というほど広くはなく、大きな島といった感じであった。
そのゲーム中の舞台は、データの容量やゲームのテンポを考慮して小さく縮小されたものだったのではないだろうか。
つまり、今立っているこの地の縮尺が本来のリ・マルガルフ大陸のサイズという説だ。
シィの村――今は町?――までの直線距離だけで考えると、ゲーム内と比べて数十倍のスケールになっているように思える。
一方で、ゲーム内の時間は現実の四十倍の速さで進んでいた。距離にもこのスケールを当てはめると、辻褄が合うのではないだろうか。
つまり……やっぱり現実である可能性が高いってことか?
思い返してみれば、今オレたちが立っている丘も、ゲーム中では「視線を遮る程度の盛り上がり」だったのに、今回は「丘」と呼べる程度の高さがあった。――もっと早く気づけよとは思うけど、明確なランドマークがないと意識するのが難しいね。
「予定を変えるよ。私はこのままシィ……と思われる町に向かうから、二人は北の森の中で待っていて」
最初はゲームの時のように、村の入口まで二人を連れていくつもりだった。
でも、現実である可能性が高いなら、もう少し慎重にいきたい。
従魔たちを町の中に入れられないのなら、近くに連れていくだけでも警戒されるのではないか?
ここから町まで、遮蔽物はない。距離もあるし、さすがに気づかれるだろう。
森の中なら視線が通らないから、そこで待っていてもらえば見つからないはずだ。
そもそも人のいる場所に近づくのを諦めるという選択肢もあるだろうけど……デザケーの神殿には行っておきたいからな。これが現実だとすれば、なおさらだ。
「うん、わかった。どのくらい待っていればいい?」
「遅くても一日以内には戻ってきたいね」
デザケーの話次第だけど、できればさっさと行って帰ってきたい。せっかくクーゴとカリンが目の前にいるのに、長い間別行動はしたくない。
二人が素直に森へ向かったのを見送ると、オレもやや早足で丘を下り、遠くに見える町を目指した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
歩きながらも遠目に観察してみると、城壁の上を歩いている人影がある。壁のこちら側を警戒しているのだろうか。
草原の真っ只中を歩くオレは、既に見つかっているに違いない。
壁には大きな門はないものの、小さな扉はいくつか見える。小型の馬車くらいは通れるサイズだろうか。
記憶にあるシィの村でも正門は西側だったし、こちら側が裏門だと思われる。
そんな扉のうち一つを進行方向に決めて歩き続けていると、その扉が開いて中から何人かの武装した人たちが現れた。
まだ距離があるので、その武装集団の様子を見る。
先頭を歩くのは、若い男だ。腰に剣を佩き、左手に盾を、身体には鎧を纏っている。しかし、その装備品に見覚えはなかった。少なくともバニラの『リ・マルガルフの希望』にはあんな装備品は存在しない。どちらかというと、ゲーム中の装備よりやや貧相に見える。
その男の後ろには、三人の女。装備から判断すると、軽装の戦士が一人と魔術師っぽいのが二人だろうか。戦士と魔術師の一人は、男性と同程度の品質の装備に見えるけど、もう一人の魔術師はそこそこ良さそうなローブを着ていた。大きめの緑色の宝石が嵌った首飾りなんかは、一見場違いな装飾品に見えても、おそらく何らかの効果を持ったマジックアイテムなのではないだろうか。
彼らはオレの方へと向かってきた。避けて通るのも不審そうなので、こちらもまっすぐ彼らへと向かう。
十分近づいたところで、若い男が片手を上げて話しかけてきた。
「やあ、お嬢さん。どこから来たのかな」
「……あっち?」
背後にある、先程越えてきた丘を指差す。
「いや、それは見てたからわかるけど……。向こうには森と草原しかないだろう。魔物も出るし。一体何をしていたんだ?」
不審そうにこちらを見てくる。
そんなに怪しいか? ……怪しいよな。
何か言い訳をしようか? いや、オレには即興で作り話をするような能力はない。
嘘にならない範囲で本当のことを話すか。とはいえ、中身が男だということはもちろん、魔物使いだということも伏せておいた方がいいだろう。
「えっと、気がついたら、草原で寝てて」
「ふぅん?」
信じてなさそうな目だ。
「町が見えたので、中に入れてもらえないかなって」
「うん? ということは、お嬢さんはシィの……この都市の住人ではないのか?」
都市と言ったか。町ではなくて、都市か。
「そうだけど……」
「向こうに村はないだろう。どこから来た?」
日本、って言って大丈夫なのか?
……そういえば、ここまで会話は全て日本語だったな。いや、『リ・マルガルフの希望』で使われていた言語は日本語だから、問題ないのか?
それはともかく、オレがどこから来たか、か。嘘を吐くのは苦手だが、正直に答えるのも問題だろうか。
「えっと……えっと…………あっち?」
「それはさっき聞いた。……草原で目を覚ます前は、どこにいた?」
「自分の部屋にいたはずだけど」
「ふむ……」
腕を組んで思案顔になる男。
話は終わりだろうか。無視して先に進んでも……ダメだよな?
「あの、中に入りたいんだけど」
シィの城壁の方を指差す。
「ん……市民証があれば入ることは問題ない。市民証は持っているか?」
首を横に振る。
「市内に身元を保証できる人がいれば、その人を入口まで呼んで、期限付きの滞在証で中に入ることはできる。保証人が三人いれば、市民証を発行してもらうこともできる。誰か知り合いはいるか?」
首を横に振る。
「では、入ることはできない」
「え」
それは困るな。
ゲームでのシィの村は……いや、シィに限らず全ての町も都市も、中に入ることに制限はなかった。入口のエリアに侵入すれば、村や町の中のマップに切り替わったはずだ。
土地の縮尺に限らず、細かな点でゲームのリ・マルガルフと違うようだ。
しかし、中に入れないとデザケーの神殿にも行けないな。
無理矢理入るか? ドナのステータスなら、一般人相手ならある程度は無理を通すことはできそうだ。そんな状況でゆっくりデザケーと話ができるかは不明だけど。
「何とかならないの?」
「中に入るだけでいいなら、一つだけ方法はあるが」
なんだ。あるんじゃないか。何故勿体ぶるのか。
「奴隷なら市民証は不要だ。大人しく捕まるなら、奴隷商人に売ってやる」
「それは遠慮する」
確かに都市の中には入れるけど、それはちょっと違う。
奴隷になっても脱走すればいいのか? それなら最初から強行突破しても同じことか。
……というか、奴隷がいるんだな。バニラには存在しなかったはずなんだけど。
「身元を保証してくれる人がいれば、入れるんだよね? お兄さんが私の身元を保証してくれれば入れる?」
「それは可能だな」
「じゃあ」
「怪しいので断る」
えー。
「いくら払えば買収されてくれる……あ、待って、お金持ってなかった」
ドナの所持金は、拠点の金庫に全額入れていたはずだ。
『リ・マルガルフの希望』では所持アイテムに重量制限があるわけだけど、実は硬貨にも重さが設定されている。リアリティという意味では理解できるのだが。ダンジョンから持ち帰った金額に応じて経験値が入るようなゲームシステムならともかく、普通のRPGではプレイのテンポを悪くするだけの不要な設定だと思う。何度要望を出しても変更されなかったんだよなぁ。
しかも、主人公のスキル構成によっては、終盤以降はお金を使う場面がなくなる。無駄な重りが拠点に置きっぱなしになるのは、当然のことだった。
「いや、買収はされないから」
装備品を見る限りあまり裕福そうには見えないのだけど、お金につられることはないらしい。
「むぅ……。では、どうすれば都市の中に入れてくれるのさ?」
「怪しい奴を入れるわけがないだろう。諦めて帰れ」
「帰れ、ってどこに」
「近くにアジトがあるんじゃないのか?」
「誰が盗賊かッ!?」
『リ・マルガルフの希望』では、町や村から離れた地域に盗賊が出没する。武装した数人の人間で、盗むというよりは殺して奪うという方が正しい連中だ。
そんな盗賊たちがよくポップする洞窟や山小屋のことをアジトと呼んでいた。これは『リ・マルガルフの希望』における正式な呼称ではなく、プレイヤーの間でだけ呼ばれる俗称だったはずだけど……。
さて。彼らは会話には応じてくれているのだけど、どうも、ここを通してはくれそうにない。
先程彼らも言っていたが、シィより東には人間が住んでいない。これはオレが知っている『リ・マルガルフの希望』でも同じだった。
東門から入ろうとしたから、怪しまれたのかな。
西門に回れば入れるだろうか? でも、そのためにはあの城壁を越えなければならない。
クーゴかカリンに抱えてもらって空を飛べるだろうか? ゲーム的にはそんな移動方法はなかったけど、現実っぽい今ならできそうだ。
明るいうちに空を飛ぶと目立つので、やるなら夜かな。
であれば、ここは一旦引き上げるべきだろう。
「……アジトではないけど、とりあえず帰るよ」
「おう。……じゃあ、俺たちも行くか」
男が後ろで黙って見ていた仲間たちに声を掛ける。
「どこかに行くところだったの?」
「ああ。魔物狩りにな。盗賊狩りではないから、安心しろ」
「いや、盗賊じゃないし」
不審なオレに声を掛けるために出てきたのではなく、どうやら別の用事のついでだったらしい。
「魔物狩りっていうのは、森とかに……?」
「そっちに行くこともあるけど、今日は草原を回る予定だな」
オレが指差してみた北とは逆に、南の方を示す男。
とりあえず今日のところは、彼らがクーゴたちと鉢合わせることはないようだ。
でも、森も彼らの行動範囲だということは、覚えておいた方がよさそうだな。
オレは彼らと別れ、来るときに通った丘へと戻る。
彼らは時折こちらを見ていたようだったが、距離が離れるとほぼ見えなくなった。
戦闘はしていなかったようだけど、この辺りにどんな魔物が出るのかはちょっと気になる。オレの知識と照らし合わせてみたい。
一人で戻ってきた丘の上で、空を見上げる。
太陽の位置と、体感から、ここから都市まで片道一時間といったところだろうか。距離に直すと四、五キロメートルくらいか?
いずれ、オレの覚えている地図とのスケールの違いを測っておく必要があるかもしれない。
もう一度太陽の位置を確認する。
まだまだ夕方にはならないだろうが、のんびりできるほど時間もない。
まずはクーゴたちと合流するため、丘を北へと下った。