01. ゲームの世界と従魔たち -1-
目が覚めると外だった。
どうやら仰向けに寝ているようで、視界には青い空と白い雲が映る。
暖かい気温と、気持ちのいいそよ風。草と土の匂いもする。
えーと。どういう状況だ?
たしか、オレは自室で『リ・マルガルフの希望』のMODを作っていたはずだ。あ、いや、デザケーから送られてきたMODを入れて、再起動したところだったか?
それがどうして外で寝転がることになっているのだろう?
まずは現在地の確認か。
上体を起こして周囲を確認する。
周りは広大な草原……? えーと? どういうことだ? どこだここ?
「あ、ドナ、気がついた?」
不意に横から声が掛かる。ちょっと甘い感じのする女性の声だ。
いや、それより、ドナって言ったか? オレの『リ・マルガルフの希望』のプレイヤーキャラクターと何か関係が?
声のした方へ顔を向け、相手を見上げる。
そこに浮いていたのは、一人の女悪魔。
ふわふわとしたピンクのショートボブの中から太い二本の角が生え、背中には紫色の蝙蝠のような羽、お尻には羽と同じ紫で先端が鏃のようになった尻尾。大きめの赤い眼と小さくまとまった鼻と口に、頬から顎にかけての丸めの輪郭。そんなやや幼い顔立ちとは真逆に、その身体は女性的な凹凸が非常に激しい。
背中の羽をパタパタと動かしながらホバリングするその姿は、紛れもなく『リ・マルガルフの希望』のサキュバスだ。
「……クーゴ?」
クーゴというのは、ドナが従魔にしているサキュバスの名前だ。
ゲーム中ではどのサキュバスも同じ見た目なのだけど、彼女を見た時に、なんとなくクーゴだとわかったような気がした。
「まだ寝ぼけてるの?」
「んー……? 夢を見ているような?」
そして、自分で喋っているはずなのに、声が普段より高いのも気になっていた。ややハスキーだけど、まるで女の子の声の様だ。イメージしていたドナの声に似ていなくもない。
草の上に座り込んだ自分の身体を見下ろしてみる。
見えるのは草がついた白いブラウスと、モスグリーンのロングスカート。ちょっとゴツいけどアウトドアを歩く分には過不足なさそうなブーツ。ドナの普段着と同じだ。
ここまで状況が揃えば、疑う余地もない。
そう。
これは、ドナになった夢か。
「やっぱり寝ぼけてる」
クーゴが呆れたように笑いながら、やれやれと首を振る。
そう。これはクーゴ。ゲームの画面の中にしか見たことがなかったはずだけど、今、こうしてオレの目の前に浮かんでいるのは、間違いなくドナの従魔のサキュバスである、クーゴだ。
何故そんなことが断言できるのか。今はオレがドナだからか?
それとも、単純に夢だから?
しかし、クーゴの着ている鎧はなんだろうか。
いや、この黒い全身タイツと暗赤色の金属パーツが身体の要所を護る鎧は、クーゴに装備させていたライトアーマーだと思う。それはわかる。
ただ、『リ・マルガルフの希望』で、装備を変えることによって見た目が変わるのは主人公だけだった。従魔は手持ちの武器と盾のみ外見に反映され、それ以外の防具類を装備しても見た目は変わらない。つまり、従魔はずっと決まった服のままのはずなのだ。
具体的には、サキュバスなら紐みたいなブラとCストリングだった。あと、ロングブーツとロンググローブ。
サキュバスは今のクーゴのように地上から数十センチ浮いているのが普通だ。背中の羽で羽ばたくためか、やや前傾してお尻を後ろに突き出すような姿勢だった。
つまり、クーゴを先行させ、背の低いドナの一人称視点に切り替えると――いや、まあ、今はそれはいい。
どうやら、数値上の存在でしかなかったライトアーマーだったけど、今はちゃんと身に着けるための装備品として使われているようだ。
伸縮性にすぐれた魔法生地の黒タイツと暗赤色の魔法合金でできた鎧は、身体の線をしっかりと浮かび上がらせていて、ああ、こういうのもいいな。
ゲームの中の3Dモデルも悪い出来ではなかったけど、こうして実際に目の前にある存在感というのは、また別の良さがある。自分の夢ながら大したものだと思う。
さて、オレがドナで、目の前にクーゴがいるなら、他にも従魔がいるはずだ。
クーゴの腰のラインから無理矢理視線を剥がし、周囲を確認する。
「カリン?」
「はい」
探していた相手は、クーゴの後ろにいた。
黄金色の魔法合金で作られたプレートメイルを身に着け、オレの呼びかけにキリッとした姿勢からの最敬礼で応える。
鎧は全身を覆っているけど、体型に合わせた形状のために、女性であることがわかる。背中には大きな羽が、お尻の少し上からは太くて長い尻尾が生えている。また、手首から先と足首から先は、人間と比べて明らかに大きい。兜には大きな二本の角がついているけど、あれは飾りではなく、中に自前の角が入っているのだと思う。
カリンの種族はヴィーヴル、女性型の竜人だ。元ネタはフランスの伝承だったかな。額に赤い宝石のような第三の眼を持つ、キリリとした美人だ。
ヴィーヴルもサキュバス同様、ゲーム中では鎧を装備させても見た目は変わらず、もっとラフで露出の高い格好だった。でも今は、羽と尻尾それぞれの一部以外は鎧に隠れていて見えない。
兜のフェイスガードは開けているので、顔は見える――頭を下げているので、ほとんど見えないけど。
そして、周囲にはクーゴとカリン以外の従魔はいないようだった。
おかしいな。ドナの従魔は全部で百八人……魔物の昇格ツリーの分岐ごとに一人ずついたはずだ。煩悩と同じ数で、従魔を大切にしている――という設定の――ドナにとっては、ある意味正しいと思ったものだ。
「他のみんなはいないのかな」
「はい。隠れ家(仮名)に残っているはずです」
あ、そのMODの名前、正式なものとして使われているんだ。
ふーむ。確かに、動作確認のため拠点は隠れ家(仮名)に移していた。従魔たちがそこにいるのは当然だろう。
デザケーからもらったMODを入れて起動する前に、隠れ家(仮名)から外に出てセーブしていた。これは、作りかけのMODが変な影響を与えないようにするためだ。
パーティを組んで拠点から外に連れ出せる従魔は、最大四体。
ドナは基本的にクーゴとカリンを固定メンバーとし、残りの二枠は、そのときの目的や気分によって変えていた。
MOD作成中は……クーゴとカリンしかメンバーに入れていなかったな。
なお、隠れ家(仮名)には専用のアイテムを使用して出入りする予定だったのだけど、そのアイテムは仕様が固まりきっていないため、未実装だ。
つまり、隠れ家(仮名)に戻る手段は、今のところない。
状況はあまりよくない。オレの夢にしては自由が利かないな。
まあ、こうしてリアルに動くクーゴとカリンを見れただけでいいとするか。本当は他の従魔たちも見たかったけど、きっとオレの脳の処理が限界なんだろう。
さて。状況がわかったところで、改めて周囲を見回してみる。
正面は地平線まで草原。左側も同じ。右側は少し進むと丘になっていて、その先は見えない。後ろを振り返れば、遠くに森があった。更にその向こうには高い山が連なっているのが見える。
うん……? あの山の形は見覚えがあるぞ。
オレの記憶が確かなら、ここは『リ・マルガルフの希望』の舞台であるリ・マルガルフ大陸だ。人間がある程度の集落を作っているのは大陸の中央付近にほぼ限定されているけど、その中で最も東にあるシィの村の更に東に広がる大草原が、こんな景色だったはずだ。
森と山の見える方向が北。丘の方向が西で、あの丘を越えればシィの村が見えるずである。
村に向かってみるべきだろうか。
正確には、シィの村にあるはずの、デザケーの神殿に行ってみたい。
『リ・マルガルフの希望』の主人公はデザケーの使徒で、デザケーの啓示を受けて魔王を倒す旅に出る。そんな立場の主人公であるから、必要があればデザケーと会話することもできる。ただし、会話を行うにはデザケーの神殿にある神像の前で祈らなければならない。
ゲーム的にいえば、何をすればいいか迷ったときには、デザケーに聞けばヒントをくれるのだ。この状況なら、まずはデザケーにヒントをもらうのも悪くないだろう。
「よい……しょっと」
「ドナ、オッサン臭い」
立ち上がる時に声を出したら、ジト目のクーゴにダメ出しをされた。
ああ、確かに。ドナはこんなこと言わない。
しかし、現実のオレは二十代も半ばを過ぎたオッサンだからな。身体を壊して仕事を辞めて以来、部屋に篭りきりで運動不足気味だったし、急に動くときに掛け声を出してしまっても仕方ない。
立ち上がった次は装備を……あれ。
ドナはいつも戦闘用の装備一式を持ち歩いていたはずだ。ヘビープレートとヘビーモール、タワーシールドである。
振り返って先ほどまで寝ていた場所を確認するけど、頭があっただろう位置の近くに使い込まれた大きめのリュックが一つあるだけ。全身鎧や長柄の武器や特大サイズの盾が入るようなものには見えない。
改めてクーゴとカリンに視線を向ける。鎧については確認したとおり。それぞれの得物である大鎌と長槍は、背中に背負っているようだ。
二人に持たせているのは装備品だけのはずだから、ちゃんと身に着けているようだな。
では、ドナの装備は?
実際に身に着けているのは普段着のみで、それは間違っていない。
しかし、所持品として、戦闘用の装備も持っていたはずだ。具体的には、システムメニューからアイテムリストを開いて装備を変更できたはず。
そうか。システムメニューか……。
……うん。キーボードもマウスもなしでは、メニューを開くことはできないな。
とりあえず気になるものを調べよう。ドナが寝ていたところに置いてあるリュックだ。
状況からしてドナの持ち物だと思うのだけど、ゲーム中でこんなリュックを背負っているところは見たことがない。
ただ、ゲームのプロローグ兼チュートリアルの際に、デザケーから容量を気にせずいくらでも物を詰められるというボトムレスバッグをもらっている。このバッグの見た目については特に触れられていなかったと思うけど、冒険や戦闘の邪魔にならないリュックであった可能性は高い。
ゲーム中でドナがリュックを装備した見た目になっていなかったのは、防具の見た目が変わった場合に装備品が物理的に重ならないようにするためか。羽の生える鎧とかもあるからな。
リュックを持ち上げてみる。
あ、これ重いわ。普通の人間だと持ち上げるどころか引きずるのも難しいくらい。ドナの筋力なら、大した重さではないけど。
ボトムレスバッグは、容量の制限はないけど、重量はそのままだ。ゲーム内ではプレイヤーキャラクターの筋力によって持ち運べるアイテムの量に制限がかかっていた。
こんなものを持ち歩けるのはドナとその従魔以外にいない。ドナの持ち物で間違いないな。
リュックを開けて、中を覗いてみる。中は真っ暗で何も見えなかった。
容量無制限だし、中身がどんな見た目になっているのか気になっていたけど、これはちょっとがっかりだ。とはいえ、空間的にどうなっているか不明だし、無難な視覚演出ではある。オレの夢ということを考えると、オレの想像力の限界を超えることはできないだけかもしれない。
真っ暗なリュックの中に手を突っ込んでみると、頭の中にリュックの中身のリストが浮かび上がる。ドナが普段から持ち運んでいる装備一式と、様々な特殊効果を持つ指輪各種、それから、もしものための回復薬が数十本だ。
隠れ家(仮名)の出入り用アイテムはない。まあ、作ってないものはあるはずがないな。
リストの中からタワーシールドを意識してみると、何か硬いモノが手に触れた。
それを掴んでリュックから手を抜くと、思った通り、ドナの持っていた暗緑色のタワーシールドが現れた。大きな盾が、自身より小さなリュックの口から、にゅるんと出てくるのは不思議な感じだ。
一度取り出したタワーシールドを、今度はリュックの口に押し付けてみる。取り出したときと逆に再生する視覚効果を伴い、にゅるんとリュックの中に収まった。
なるほど。これは便利だ。
「……ドナ?」
「あ、うん」
ボトムレスバッグの確認をしていたオレに、クーゴが不思議そうに声を掛けてくる。
オレはともかく、ドナが今更ボトムレスバッグの確認をする必要はないし、意味不明な行動だよな。
「そ、それじゃあ、移動しようか」
下手な言い訳はせず、別の話で誤魔化す。
「とりえあず、オ……私はシィに向かってみようと思う。クーゴとカリンも、とりあえず村の近くまでついてきて、その後は村の外で待っていて」
思わず「オレ」と言いそうになって「私」に言い直す。ドナは「オレ」なんて言わない。
「ボク」という一人称も少しだけ悩んだのだけど、さすがにボクっ娘はあざとすぎるのではないだろうか。ドナは地味なことがステータスなのだ。目立つ特徴は不要。
ゲーム中では、主人公が移動すれば、それ合わせて従魔たちも移動する。わざわざ言わなくても付いてくると思う。
ただ、町や村の中に入ってマップが切り替わると付いてきていない。従魔といえど、魔物使い以外からみれば危険な魔物だ。町や村の中に入れるべきではないのだろう。
「わかった。じゃあ、ボクが先導するね」
クーゴの一人称、ボクかよッ! あざといなッ!