ニンゲンデス
今の気分と致しましては、まな板の上の鯉どころか、すでにハラワタ抜かれてしまった、刺身用寒ブリでございます。
夕食の希望ではありません。
このままでは、最期の晩餐すらお腹に入れることなく、処刑されてしまいかねない。何も罪は犯してないのに。
あのイエス・キリストは、「人類の贖罪」と自らを納得させて、心やすらかに十字架に磔にされたと聞き及んでいますけれども、私の肉では贖罪どころか、食材にすらなりません。
この卑賤の身を天に捧げたところで、何もなりやしないのです。
だから、殺さないでください。
「に、逃げないでよ。ちょこまかと。鬱陶しい」
元、黒い羽の小太刀を振り回して迫ってくる、クラスメイトの府岬さん。彼女の狙いは私です。
なぜ狙われているのかは、さっぱり分かりません。
ただ、体から植物が生えるようになったのを実演してみせただけなのに、どうしていきなり、刀を振りかざされなければならないのでしょう。処刑されるようなことは何もしていないですし、あなたは処刑の執行機関でもないじゃないですか。
犯罪です、殺人未遂です、殺人罪適用目前です!
不安定な体勢から繰り出される刃の一撃が、ヒュッと私の肩を掠りまして。緑色の髪と、制服の切れ端が、ハラハラと落ちていく。心もハラハラドキドキ、心臓に悪いのです。
狙い穿てず、横を通り過ぎて行った刀が、地面に叩きつけられ……普通なら折れると思うのですけれども、どうやら府岬ソードは特別製らしく(黒羽が変化したという時点で異常なのですが)、折れない、どころか、コンクリートを抉ります。
さっきからこの、繰り返し。
ひえぇ。
私の平均的な運動能力でここまで逃げられているわけですから、府岬さんの剣を扱う能力自体は、幸いそこまで高くないのでしょうけれども。
もうすでに、だいぶ息が上がってまして。
殺されるのは、時間の問題。
「どうして私を、殺そうとするんですか」
体力回復、呼吸調整、また目撃者が現れ警察を呼ぶ可能性を少しでも上げるべく、時間稼ぎのための質問を投げかけてみることにしました。答えてくれると助かるなぁと、大いなる希望を込めて。
またもや幸運なことに、府岬さんも疲れ始めていたらしく、ふぅーと大きく息を吐き、手に持つ小太刀を地面にザクッと突き立てます。お高そうなのに、そんなに雑に扱って良いものなのでしょうかと、命狙われる標的ながらに、心配です。
「あなたをこ、殺すと、ポイントもらえるから」
「ポイント?」
なんじゃそりゃ、スポーツですか? 審判は誰ですか?
試合ルールの前に法律を守ろうとしないこいつを、今すぐ退場させてください。
選手のラフプレーどころか、南海トラフト地震級プレーを報告すべく、辺りをキョロキョロと見回しますが……審判はおろか、人っ子一人見当たりません。
おかしな話です、確かにこの道、人通りや車の交通量が多いとは決して言えませんけれども、しかし森のど真ん中ではなく、端っこではあっても住宅地なのです。
道路の向こう側は雑木林、そこからひょっこりお助けマンが現れるなんて阿呆な期待は抱きませんが、車が走ったり、仕事帰りのお父さんお母さんが通りがかったりしてくれれば、通報してくれるかも、なんて。
「無駄、だよ」
「っ、何がですか?」
「こ、ここに人は、現れない、ひひ。人払いの結界、てヤツ?」
「……ご都合主義の権化じゃないですか。ついでにもっと教えてくださいよ。どうして私が、特級指定害獣なんて呼ばれなきゃいけないんです? 私を殺せば、どうしてポイントになるんです?」
「え、えへ。気になる? 気になるかぁそれ、えっと、どうしてかと言えば」
たこ焼きに刺してた爪楊枝を引き抜くように、地面に刺さった小太刀を引き抜いた府岬さんは、再びそれを構えます。
ギランギランに目を輝かせて、獰猛な微笑みを浮かべて。
「あなたが、悪魔だから」
「っっ……」
ただでさえ知能がないのに、言葉すら失いかけました。
悪魔。
私が。
悪魔?
意識を現実に回帰し、ハッとした瞬間には、毒々しいほど銀色な小太刀を振りかぶった府岬さんが、手前に差し迫っていて。
咄嗟に右手を前に出しても、もちろん防御になるわけがないのです。
二の腕から先がボトリと落ちて、右肩から左腰まで袈裟斬りにされて、真っ赤な返り血が府岬さんに降りかかる。
い。
痛い、
痛い、イダイ、イタイ、イタイ痛い痛いイタイイライイタイイダイ痛い!?
体験したこと、感じたこともない強烈な痛覚信号が、しっちゃかめっちゃかに暴れ狂い、神経を掻き鳴らし、涙腺を打ち破り、脳を犯してくる。
雷だ、内側から雷で焼かれているんじゃないか!?
「あ あ あ あ あ あ、あ」
感覚に遅れてようやく叫ぶ、死神に首根っこ引っ掴まれた哀れな私に対する、府岬さん、府岬、私の命を狙う不届き者の発露はまさに、穢れた欲望の慰め、そして魂の喜びであって、表情にはっきり現れる「恍惚」が、なんとも悍しいのです。
屈辱とかそういうのはなく、ただ怖い。ひたすら恐ろしい。怯懦の情が止まらない。
「ま、まだ終わらない、痛めつけてあげる」
「こっこないで、ころさないでっ」
右肘の断面から血を撒き散らしつつ、突いた尻餅から立ち上がれず、陸の上の頼りなげなウミガメみたいに、足と残った左手で情けなく地面を掻き毟って、下がるしかない。
拒絶を意に介した素振りもなく、いやむしろ、獲物の怯えに興奮しながら、嗜虐的な笑みを貼り付ける府岬は、今度は小太刀を逆袈裟に振り上げました。
心臓コース。
食らえば間違いなく、命を失うでしょう。
このまま惨めに、やられてしまう? 落ちこぼれな私は、死際まで雑魚そのものというわけなのですか?
小さい頃から頭が鈍くて、白無ちゃんと比べられてバカにされて、緑の髪も気味悪がられて、何度も唇を噛んで、何度も諦めて、貼られたレッテル通りにおバカキャラとして動いて、ますます低能の沼に沈む自分が本当はすごく悔しくて、唯一の趣味である顕微鏡での微粒子覗きに癒されて、どうにか精神を整える。
下等な人生。
白無ちゃんを始めとする友人たちと一緒にいるのは楽しかった、それは間違いないのですが、私自身は、いつまでもうだつの上がらないまま。
でしたけれども。
朝起きた時、自らの身に起きた、奇跡。
せっかく、私だけの特別な力が手に入ったのに、それが原因で特級害獣指定とやらを受けて殺される、悪魔とか難癖付けられてポイント? にされちゃうなんて、絶対嫌です。
死にたくないのです!
「わっ私を、守ってくださいぃ!」
容赦無く、振られる刃に。
ガムシャラに、無我夢中で、体に根付いた植物へと指令を下す。出来ることと言えば、それしか残っていませんでした。
右腕の断面から張り出される蔦のネットは、地引網の如く私の前でブワリと広がって、小太刀の一撃を防ぎますが……しかし、なんということでしょう、銀の煌めきが触れたところから、ネットがグズグズと崩れていく。
瓦解していく。
なんで、どうして? 明らかに、力で押し切られたというわけじゃあありません……細腕の府岬に、編まれた幹をゴリ押しで壊せる力があるはずもなく。破られた理由は分かりませんけれども、このままじゃ切られる、真っ二つです、死ぬ。
咄嗟に。
出した蔦の一本を操って、体に思いっきり打ち込み、野球ボールよろしく、自らをぶっ飛ばします。チビとは言え、人体に放物線を描かせるほどの衝撃ということで、トンだ荒業、吐きそう、きっとアバラも何本かいっちまいましたね。
自殺もいいところです。
まあ、自殺行為に及ばなければ、他殺されてたんですけれども。
「かはっ、ヒュー、ヒュー……」
もはや呼吸も覚束ないのです。ほんの数秒、死期を遅くしただけかもしれません。苦しい、痛い、気持ち悪い。殺された方が、楽に死ねたかも。
無駄な苦しみを、己に課してしまいました。
「や、やはり悪魔、邪なるもの。剣の聖なる気を前に、技を保っていられない、いひひ」
剣の聖なる、気?
内心首を傾げます。実際に首を傾げる余力は残っていませんけれども。
確かにその剣に、不思議な力があるのは認めましょう、今朝から芽生えた私の不思議な力を、退けさせてしまったのですから。
それはこの目で見ましたから。
でも、「聖」? 耳と口のある王と書いて、「聖」?
殺しの武器でしょ、少なくとも私の命を奪う兵器でしょう、どこに「聖」の要素があるというのでしょうか。
ダクダクドクドクと流れ出る血に沈む中、生まれて初めて、憎悪で以って人を睨み付けて。
「聖」なら、救いなさいよ。私みたいな弱い者をいじめて、いい気になってるんじゃねえよ。耳と口のあるまともな王なら、力を向けるべき対象を間違えないでくれよ。
畜生。
人を悪者呼ばわりして、自分を正義の側に置いて、殺しに綺麗な理由をつけるんじゃない。
「私は、悪魔じゃない……人間、です」
死力を振り絞って、残った左手で体を支えながら、自分が人間であることに最期まで忠実でいようと、そう主張します。
「い、いひひ、体からしょ、植物が生える人間、いるわけ、ないでしょ」
はっ、こんなの、ちょっと人らしくないだけです。
もう動けない私を嘲笑い、死に行く者に小太刀を向ける、無慈悲で残酷なあなたより。
うだつの上がらない落ちこぼれでも。
微粒子の運動マニアでも。
髪が緑色でも。
体から、植物が生えるようになっても。
私の方が、人間です。
あなたの方が、「悪」で「魔」です!
「あ、諦めなさい。グリーンエイプ。あなたは、悪魔になっちゃったの、よ」
どれだけ睨めつけようが、所詮ザコみどりこと私程度の眼力では恐ろしくもないのか、府岬はゆったりと、鷹揚に私に近づいてきます。せめて一矢でも報いたい気持ちではあったのですが、上半身をわずかに持ち上げる左腕にすら力が入らなくなって、もう限界なのですと、とさっとうつ伏せになってしまい。
そこに感じられるのは、あっけない一死のみ。
「さ、昨晩に、かわいそうにもなっちゃった。出来損ないの、下級の悪魔に」
府岬がブツブツ話してますけれども、もう頭に入ってこない。
痛みも鈍くなってきました。
倒れて、伏して、このまま地面に吸い込まれそう……ああ、なんでしょうかあれは、目の前でフラフラ揺らめく、碧の灯火。あの世からの案内松明?
死ぬんでしょうか。
死ぬんでしょうね。
碧の炎は美しく。あれに連れて行かれるなら、悪くない。
私はそっと、手を伸ばして……。
「きいいいぃぃぃィィイやアアアぁァァァアッ!??」
直後、すぐ側でおどろおどろしく響いた金切り声に、現実へと引き戻されます。
府岬の叫び。
どうしたのでしょうか。
茫洋とする眼をどうにか動かし、先ほどまで奴が立っていた場所に視線をやっても、彼女はいなくて。
上にいて。
吊り上げられている。
ワイヤー、ではなく、木や家に張り巡らされた、白い糸に。
「遅くなった」
府岬の懐あたりから、さっきの彼女の金切り声に勝るとも劣らない、目覚まし時計の音が鳴ります。朝、学校に来た時聞いた音と、まったく同じ。
イライラノイズ。
空中で怯える府岬と、地で血の中に伏す私の間に、一人の小さな少女が立って。
その子の髪は、白色で。
「遅過ぎた。心の不可切の糸が、私を許さないほどに」
いつもの淡々さが消失した、熱く煮えたぎる感情をすぐ悟らせるほど、微粒子みたく不規則に震える声音。
私の隣人、私の親友、勉強運動なんでも出来るスーパースターが、白無ちゃん。
どうして、あなたがここに。