~ 恋文 ~
明日は愛する妻の誕生日。
愛する?
うん、愛していると思う。
好きか嫌いかと言えば、好きを超えて大好きだ。
いつから愛だの、恋だの気にしなくなったのか。
若い頃は愛の形を求めて、苦しんだ。
形の無いものを愛だと思い、夢中になれるものを夢だと信じ、クリスマスイヴに祈りを込めた。
彼女がいない時は最悪だ。
この世で自分だけが不幸だと思い込み、部屋でクリスマスソングを涙を流しながら聞いて、イヴが終わるのをひたすら待った。
クリスマスの当日には、興味が無い。
クリスマスイヴは、この世で一番尊く、全てだと思った。理由はわからない。誰が何と言おうとイヴなのだ。
子どもの頃、クリスマスプレゼントはイヴだったせいかもしれない。
愛する人とクリスマスイヴに、都内のお洒落な場所で、食事をして、夜景を見る。二人の愛はヒートアップし、まさに夜はこれから!・・・というところで、アッサリとお家に帰る。・・・これが妻である。
彼女はドライだと思う。
クリスマスイヴにも、クリスマスにも特別な感情を持たないらしい。誕生日も同じ。
彼女にとって、特別な日は存在しない。
結婚記念日も入籍記念日も、旦那の私が細かく覚えていて、サインを送っても通じない。
昔からそうだった。
こちらから、「好き?」と聞いても答えない。
クリスマスカードやら、ラブレターやら口説くのに、本当に必死だった。一方通行の空回り。電話をしても会話が続かない。間が空くのが苦手な私は、とにかく他愛も無い話題で繋ぎ止めた。
うん、あの頃の自分頑張った。
一度だけ、妻が手紙をくれ、「愛しています」と。
・・・今でも、あの頃の嬉しさが蘇る。
話を戻そう。
私はロマンチスト。
思春期は、好きな子を想い眠れない夜を過ごした事もある。
綺麗な夕焼けや真冬の蒼い空を見て、誰かとこの刹那を共有したいと涙した事もある。
人生の伴侶は、もう一人の自分だと信じて生きてきた。
・・・だが、縁なのだろう。
自分とは、真逆の性格を持つ女性が妻なのだ。
単身赴任から帰宅すると、妻が優しく抱擁やキスをしてくれるシチュエーションを期待する。
でも、ここでもクール。
真顔で晩ご飯を作り、優しく出迎えてくれない。無理矢理、何か話そうとすると、「ご飯作ってくれるのかな?」と嫌味を言われてしまう。
・・・客観的に自分嫌われてる?
妻曰く、「しつこくしなければ」らしい。
我が妻の性格を簡潔に説明しよう。
ドライで淡白。
記念日はない。
一人が好き。
でも、自分を優先では決してない。
旦那や子供の為に、自分の時間を割いている。
旦那や子供が、部屋でゴロゴロしていても、妻は家事をしてくれる。寝るのも最後。起きるのは最初。関白宣言の歌に出てくるフレーズだ。
・・・妻は、自分と結婚して幸せなのだろうか?
自分は、妻に何をすれば良い?
結婚式では、神父の前で、幸せにすると誓ったはずだ。
自分が汗水流して働いて、妻は家を守る。それだけで十分なのか?
子どもが健やかに育ってる様を夫婦で見守る。これが幸せなのか?
私は十二月に結婚。
入籍した日、ラブラブの甘い夜を過ごした訳ではなく、淡々と普通に会話して寝た。
三つ指をついて、お互いに挨拶を交わした訳でもない。
昔から住んでいる家族の様に、本当に当たり前の如く日常がスタートしたんだ。クリスマスもごく普通の日として過ぎた。
でも、正月。
妻が一言。
「これから、よろしくお願いします」
・・・・・・ 一生、忘れないよ。
ツンデレとは正にこの事だろう。
クールで、ドライ。愛情表現をしてくれない。馴れ合いもダメ。
一見、何故この人と?と思うかもしれない。
だが、自分だけには分かる。
自分よりも家族を大切に考える。
旦那を陰で支える。
自分の親も旦那の親も大切にする。
モノよりも想いを表に出さないけれど大切にする。
指輪は要らないと言った君。
誕生日もクリスマスも、特に何も要らないと言った君。
でも結婚式で使った花を押し花にして、今も変わらず玄関に飾っている君。
年に一度あるか無いかの二人だけの散歩や二人だけの外食の時間。
十六年経っても、付き合っていた頃と同じ様にドキドキするよ。
一緒に年老いていくのも幸せだなあ。
明日は、大好きな妻の誕生日。
単身赴任だから、ラインだけの「おめでとう」
これが我が家のやり取りだ。
週末は、こっそりケーキを買って帰ろう。
「無駄遣いして」と叱られるだろう。
でも平気。
私は妻が好きなのだ。