『さよなら』と言う紙
【Twitter企画39作目】
僕は昼休みになるとすることがある。
机の中には教科書と一緒に50枚ぐらいの紙がある取り出しやすくするためにクリアファイルなどにはいれず、丁寧にそっといれてある。
昼休みになると僕の周りのクラスメイトは体育館に行くので、僕は教室に残っている女の子たちにばれないようにその紙を服の中に隠して教室を出る。
ここで、先生に見つかったらもう僕はおしまいだ。
でも、基本的に廊下は人通りが少ないから僕のしようとしていることには問題はない。
僕がすることは必ず昼休みにする。理由はふたつある。
ひとつ目は小学生なので、長時間自由に動けるような時間がこの時間しかないっていうこと。
ふたつ目は昼休みは多くの人が体育館にあつまるため、教室の人が少なくなり、さらに廊下の人通りが多くもなく、少なくもならないことだ。
体育館に行った人は当然時間になれば自分の教室に戻ってくる。そのときに僕のしたことに気づいてくれるとちょうど良かったのだ。
50枚ぐらいの紙はすべて真っ白な紙を利用した。そして、それの片面に僕は拙い文字で『さようなら』と書くのだ。
そして、ときどきそのほかにも『明日でさようなら』や『みんなさようなら』などと書いたりもした。
書いた理由はなんでもない。
ただ死にたかったのだ。でも、誰かにそれを止めてほしかった。たぶんそうだったんだろうと思う。
自分はここにいるぞ。ここにしかいない。お前たちの見て見ぬふりをする僕はこんなことをしているんだぞ。
静かな廊下を歩く。階段を下りて、1階へ。
体育館に続く廊下は一直線で、見通しがいい。体育館とは反対方向に進めばそこには4年生からの高学年用玄関がある。さらにその廊下にはT字路があり、そこを進むと突き当たりに職員室があり、曲がれば低学年の教室がある。
僕はいつもこの1階の廊下にプリントを撒く。
さようなら。
さようなら。
さようなら。
何日か続けるとクラスのホームルームで連絡があった。
「最近。変わった様子のある子を見かけたら先生に言ってください」
さよならの紙のことは十数名の生徒に発見されており、噂話の要領で、広まった。生徒が廊下を歩くことも多くなり、最近は先生が廊下を警戒しながら歩くことも珍しくなくなった。
それから僕はすこしプリントの撒く時間を変えた。
これまでは昼休みが始まってすぐに廊下にでてプリントを撒いていたが、それを昼休みの終わりに変更した。
いろいろな人たちが一通り探し終わった頃を狙って撒いた。
時々見つかるかもしれない場面があったが、僕はそれほど目立つことをするわけでもない地味な生徒だったので、そこまで深く注目はされなかった。
そうして1ヶ月が経った頃。
昼休みの終わり頃に教室を出ようとすると、僕はクラスの女の子に手を掴まれた。
「なにしに行くの?」
そんな一言を添えてすこし強く僕の手首を掴む。その後ろにはその女の子の友達である女の子が3人ほどいた。
僕は服のなかに隠している紙がばれないようにしながら質問に答えた。
「トイレに」
僕は廊下の先にあるトイレを指差して言った。
実際すこしは行きたい気持ちもあったし、撒き終わったら行くつもりだったから嘘は吐いてない。
「うそだ」「そうじゃないでしょ」
女の子とその友達が言った。
「うそじゃないよ」
「もう知ってるんだから」
「そーだそーだ。君なんだよね?」
「あの紙──」
「『さよなら』」
僕は耐えられなくなり、逃げ出した。
紙と同じ言葉を吐いた。
廊下に逃げると僕は遂に来た最後のプリント撒きを始めた。
これまで避けてきた教室の前でも撒いた。
そして、すぐに僕は捕まった。
「なんでこんなことしたの?」
僕は教室の前に立たされそんな質問を先生から受けた。
クラスのみんなは互いに顔を合わせながら戸惑ったような顔をしていた。でも、あの女子たちは僕を勝ち誇ったような顔で見てきていた。
「すみませんでした」
僕はその目線に耐えきれずただ謝った。いや、謝ることしかできなかった。
「『さよなら』ってどういう意味だったの?」
僕は自分に小さく問いかけた。
でも、もうそんなのどうでもいいか。
『さよなら』───僕を見て
ども。ミーケんです!
今回の話は僕の見た夢の話。
ある少年が日々のストレス(孤独感)によって自己顕示欲が爆発し、いらなくなったプリントの裏に『さよなら』と記して撒き散らす。
最後は注目される恐怖を味わうという話でした。
彼は注目されて耐えられるほど強くなかった。それは別に経験値の問題などではない。彼はそういう風に最初からできていたのんでしょう。
しかし、彼はその事を知らずに注目を浴びてしまった。
結果。
彼はさらに閉じ籠ることになったんでしょう。
自分の殻を破り、新しい自分になるのはいいことです。
それによって新たな発見をしたりできますからね。
しかし、無理をしてはいけません。
僕が言いたいのは
自分らしく生きてみるのも悪くない。
ということです。
今回の話の主人公である彼のように自己顕示欲の暴走に身を任せて破滅なんてしたくはないはずです。
しかし、いつか自分でない自分を演じているとそのストレスは爆発してしまいます。
ですから少しずつでいい。
少しずつでいいので、本来の自分を見せられるような相手を探しましょう。
そして本来の自分を誰かに知ってもらって相手も知り、生き生きに過ごしていきましょう。
なに言ってんだろう笑