悪魔が呼ぶ偶然
「……今日の午後お前と同じ悪魔見習いが遊びに来る?」
休日、悪魔見習いの高梨沙良から突然そんなことを聞かされ、俺は聞き返す。
「はい。こないだ言ってた人です」
沙良は当然のように頷く。もう呼ぶことは決定事項であり、断られることなど微塵も考えていないようだった。
「お前のせいで少しの間家から閉め出された時に会ってた奴だな?」
俺は先日鍵を彼女に持たせたまま外出させてしまったために、家に数分間入れなかったことを思い出す。もっともあの時は俺が体操服を忘れてしまったのもいけなかったのだが。
「そうですけど、それはもういいじゃないですか」
「良くねえよ! さらっと水に流そうとしてんじゃねえ!」
俺は叫ぶ。こちらにも落ち度はあったかもしれないが、全く悪気なく忘れられてしまっても困るのだ。
「フランクフルトおいしかったじゃないですか」
「あれ買ってきたの俺じゃねーか」
「……で、彼の住居先の女の子も一緒に来るそうですよ」
(こいつ、話すり替えやがったな)
口論では分が悪いと判断したのだろう。沙良は新たな情報を提示してきた。
「女の子?」
が、俺も気になることがあったのでこの話は切り上げることにした。
「はい。私と同じように彼もまた仮暮らしの状態なので」
「一応許可もらって住んでるんだから仮暮らしって言い方はやめてやれよ」
そんな居場所がないからこっそり住んでるわけでもないだろうに、と心の中で思う。もしそうだとしたらある意味沙良よりもすごいとは思うが。
「では、居候で。その居候させてもらってる家の人は何でも樹さんと同じ高校の女の子だそうですよ」
沙良は簡単に言い直すと、今度はそんなことを教えてくれた。
「同じ高校ねえ……。そうは言ったって俺がその女の子と顔見知りだとは思えないんだがなあ」
俺はそう言いつつ、この間すぐ隣の席のやつが深刻な顔で悩んでいたのを思い出す。
(いや、まさかな)
俺はその考えをすぐに頭から打ち消した。そんな絵に描いたような偶然がそうそう起こってたまるか。
「まあ、知らないなら仲良くしておくのもいい機会かもしれませんよ。ほら、先輩とかだったら勉強を教えてもらえる系のイベントが発生するかもしれませんし」
「ラブコメの主人公になる気なんかさらさらねーよ。まあ顔見知りになっておくのは悪くないとは思うけどな」
思い出す。そうだ、俺の目的はこいつを悪魔にさせないこと。ならば、知り合いになっておけば万が一にも協力してもらえる可能性は十分にありうる。同じ高校であれば接触する機会も多いことだろう。ならば、ここでできる限り仲良くなっておくのは俺にとって決してマイナス方向には働かないはずだ。
「で、ここに呼んでも大丈夫ですか?」
「事後承諾なのが気に食わねーけど、とりあえずは大丈夫だな。今度から人を呼ぶときはせめて前日か何かにしてくれ。お茶請けくらいは用意しないと申し訳ないし」
「分かりました。今度からは気を付けます」
沙良がそう答える。最も今日は幸いにしてきちんとお菓子のストックもあるし、そのお菓子も割と甘めのチョコレート、塩味のお煎餅にお茶と炭酸にグレープジュースまである。2人くらい人を呼んでもどうにかなるだろう。もっとも、沙良が食べ過ぎなければの話だが。
「とりあえず来客用に出すんだからお菓子は食べすぎないようにしろよ」
「分かってますって。さすがにそんなに食べませんよ」
「お前の今までの行動を考えると心配だから言ってんだよ」
一応釘は差しておいたが、はたしてこれがどこまで効くのかは俺も分からない。悪魔のこいつに期待するのもどうかとは思うが、彼女の良心に任せるしかないだろう。
「んで、そいつはいつ来るんだ?」
「あと3時間後くらいですかねえ。1時くらいに来るって言ってたので」
「本当に報告がギリギリだなお前」
「こ、今回はさっき急に決まったので……」
聞けば、今から数十分前にその悪魔見習いから彼女に連絡が来たらしい。元々また会おうという約束はしていたそうなのだが、それが数日後になるとは彼女も思っていなかったようだ。
「まあいいや。んじゃ、お前もちょっと準備手伝え。お前の来客でもあるんだからな」
「はい! それはもちろん!」
彼女はリモコンを取り出す。ってリモコン?
「……そのリモコンで何する気だ?」
俺は訝しむ。
「いえ、せっかくなので料理でも作ろうと思いまして」
「材料費は自己負担しろよ?」
俺は最初に念を押しておく。今この家には大した食料が残っていない。残っているのは先ほどのお茶菓子と飲み物くらいなもので、今日本当は買い出しに行く予定だった程の食糧難だ。
「ああ、それはご心配なく」
だが彼女は平然と指を鳴らす。すると様々な食材が俺の目の前に現れた。これは彼女の能力を発動させるためのもので、彼女が指を鳴らすと誰かの願いが叶うのだ。この様子だとどうやら自分の願いでも叶えられるらしい。
「私の願いを叶える能力とこのシラベールさえあれば問題ないですから」
リモコンはシラベールを取り出すのに使ったらしい。が、俺には1つ気になることがあった。
「……ちなみにその食材はどこから調達したんだ?」
「えっと、ちょっとそこらの店から拝借……」
「馬鹿野郎! 今すぐ戻して来い!」
彼女の発言を皆まで聞く前に俺はぴしゃりと言い放った。
「えーいいじゃないですか別に樹さんの願いじゃないんですし」
「ダメなもんはダメだ。……しょうがねえ、買ってきてやるから必要なもんそこに書けよ」
結局俺は彼女にメモをさせ、買い物に出かけることになったのだった。
樹と沙良がそんなやり取りをした数時間後、別の場所では男女が樹の家に向かって歩いていた。もっとも女の子の方は距離を取ろうとしていたが、それを無理やり男の子の方がくっついてきていた感じで、傍から見たらしつこいナンパのように見えてもおかしくない状態だった。
「くっついてこないでよ」
「別にいいだろ。行き先同じなんだから」
その返答に女の子はため息をつく。会った時からまるで変わっていないからだ。
「……ねえ」
「ん? どうした桜っち?」
「だからその呼び方やめてって言ってるでしょ。何で削られなきゃいけないのよ」
女の子の方が不機嫌そうに返す。スクラッチと語感が似ていることを気にしているのだ。
「呼ばれたから返しただけだってのにまったく冷たいじゃねーの。俺と桜の仲だろ?」
男の子は今度は語尾につけていた敬称を取って話す。
「私はあんたのそういう軽いところが嫌いなの。大体いつあんたと私が仲良くなったっていうのよ」
「えっ、会った時からだろ?」
「……はあ」
こいつに何を言っても無駄だ、と女の子は諦める。
「それで、何で私があんたの外出に付き合ってやらなきゃいけないの?」
「前も言ったろ。互いに仕えることになった契約者の姿を確認させるために桜にもついてきてもらおうとしてるって」
「だから、どうしてそれで私があんたについて行かなきゃいけないのって聞いてるのよ。別に写真でもいいじゃない」
「そりゃあ、写真見るより実物見た方が向こうの契約者だっていいだろうよ。お見合いじゃねーんだし」
女の子がそう言うと、言われた方の男、悪魔見習いのケンは飄々と返す。
「そもそも契約者って言ってるけど、私は別にあんたと契約したわけじゃないんだからね」
「分かってるって。住居がない俺を拾ってくれた心優しい女の子、それが樋口桜なんだろ」
ケンはそう返す。実はこの二人、まだ契約したわけではない。この間ケンは沙良に宿泊先の人間、と聞かれたからあのように答えただけで、契約そのものをこの二人が結んだわけではないのだ。
二人の出会いは今から2週間ほど前、人間界に転送された時に空腹で行き倒れていたケンをこの女の子、樋口桜が発見、そのまま彼女の家に運び込んだことがきっかけだ。それからケンは桜以外の家族全員とは仲良く溶け込むことができたものの、桜にとってのケンはしょうもないイタズラをしかけるチャラチャラした悪ガキでしかない。そのせいもあってか、彼女とケンの間には微妙な温度差がある。
「分かってるならいいのよ」
「まあ、その内契約は結んでもらうつもりなんだけどな。いつでもいいんだぜ、叶えてほしい願いがあったら俺を頼ってくれて」
「おあいにくさま、あんたに願いを叶えてもらうようなことなんて一生ないわよ」
それでもこれだけ軽口を叩けるような仲になったのはしばらく一緒に生活したからだろう。最初はすぐに追い出そうと思っていたのに、不思議とそこまでの恨みはなくなった。もっとも、仲良くなるまでにされた様々ないたずらに対してはまだケンを憎んでも憎み切れないところがあるのだが。
「まだ怒ってんのかよ? あのイタズラは時効だろもう」
「あのねえ、あんたにイタズラされてから2週間よ。あんたの中で時効はどんだけ早いのよ」
それに彼女はイタズラに対して怒っているのではなく、彼女が契約者であることを知ってから急に態度を軟化させたことに対して怒っているのだ。そこに気付かない限りはこいつを許すつもりは毛頭ないというのが彼女の気持ちだった。
「まあ今日は悪魔見習いときちんと契約した物好きの顔も見てみたいしついてってあげるけど。次急な約束取り付けてきたら今度こそ家から追い出してやるから覚悟しときなさいよ」
「おーおーおっかないねえ桜は。せいぜい追い出されないようにのらりくらりと生きてくけどな」
「そういうたくましいところだけは尊敬してあげる。それで、今日行くのはあんたの同級生の女の子のとこなの?」
女の子は本題に戻すことにした。もう既にその目的地に着こうとしていたからだ。
「そうだぜ。名前はサラ・ファルホーク。俺とは違って既に契約を済ませたってのは話した通りだ」
「あんたと違ってずいぶん優秀な子なのね」
「もっとも、願いを叶えるのには苦労してるらしいけどな。こないだも願いは叶えられたが結局契約者に出し抜かれて私利私欲の願いを叶えることはできなかったらしい。俺としては意外なんだが、それだけ契約者の頭が切れるって考えた方がいいのかもな」
「ふーん」
ケンがそこまで言うのなら、案外賢い契約者なのかもしれない、と桜は思う。こいつみたいな悪魔見習いを簡単にあしらうことができるほどの頭脳の持ち主なら、それはそれで興味深い。
「ここだな」
ケンはリモコンを部屋に向け、振動を確かめるように言う。彼が言うにはこのリモコンが振動すれば悪魔かそれに準ずるものが近くにいる、ということらしい。
「じゃあ鳴らすわね」
「おう」
桜はケンに確認を取ってチャイムを鳴らす。
「はーい」
中から聞こえる可愛い女の子の声。おそらくこれがケンの言っていたサラだろう。
「ああ、いいよ俺が出るから」
そして奥から聞こえてきた男性の声。おそらく彼が彼女の契約者だろう。だがなぜか桜にはその声に聞き覚えがあった。しかもつい先日、それもすぐ近くで彼の声を聞いたような……。
「どうぞいらっしゃ……」
その瞬間、ドアを開けた男性とチャイムを鳴らした桜の動きが止まる。そして同時に声を発した。
『あなた(お前)、隣の席の!』
それは普通なら決して起こりうるはずのない、奇跡とも呼べる偶然だった。