悪魔な彼女と共同生活
「……よし」
俺は明日の準備ができたことを確認すると部屋でごろごろしている居候の方を見る。
「いいか、今日まではゴールデンウィークだったから多少お前に付き合うこともできたけど、明日からは……」
「分かってますよ。きちんと契約通り家でゴロゴロしてますから樹さんは安心して高校生活しててください」
居候で悪魔の高梨沙良はぐうたらしながら答える。
「それはそれで心配なんだけどな……」
本当にこいつは試験を受けに来ているんだろうか、と心の中で考えながら俺は言う。そうだ、明日から俺のいつもの高校生活がまた始まるのだ。いつまでも悪魔ばかりにかまけている暇はない。
「ああ、そういえば」
「何だよ一体」
何かを思い出したかのように彼女が呟いたので反応する俺。
「こないだの緑のボタンの話覚えてますか?」
「緑のボタン? ああ、連絡先がどうのこうのってやつか」
「はい。一応教えておきましょうか?」
「……そうだな。まあ、あって損しかないがもらっておくか」
少し悩んだ俺はスマートフォンを取り出した。かけると電話代がこっちに請求される時点で既に使う気はないのだが、何かあった時のためにも連絡先くらいは持っておいた方がいいだろう。
「ああ、そのままで大丈夫ですよ」
スマートフォンをいじろうとした俺を彼女は静止する。そのままこないだのリモコンを取り出すと、俺の携帯の方に向かって緑のボタンを押した。
「これで登録完了です。いつでもかけて来られますよ」
「そんな馬鹿な……」
緑のボタン1つでアドレスまで登録されてたまるか、と思った俺が携帯のアドレス帳を見てみるが、
「うわマジかよ……」
高梨沙良の名前と共に文字化けした電話番号が表示されていた。
「ちなみに私からそっちにかけたいときはやっぱり緑のボタンを押すんですけど、かけたい人の名前と顔を思い浮かべて電話すればいいのでなかなか便利ですよ」
「お前らのところのその無駄な技術力はいったい何なんだよ」
スケールの違いにため息しか出ない俺。
「まあ確かに私たちの通ってたところは悪魔界でも結構発展してましたし、他のところよりはちょっとだけ物が発展してたりはするかもしれませんね」
「ちょっととかそういうレベルじゃないぞこれどう考えても」
(何というかもう悪魔というよりは未来都市と言った方がしっくりくるような世界の住人だなこいつ)
俺は一瞬そう考えるが、すぐに首を振る。彼女の能力だけは紛れもなく本物であることを思い出したからだ。彼女はこないだ何もないところから俺の財布の中に確かに10円玉を満タンに生成し、さらにそれを100円玉に両替までしてしまったのだから。下手なことに使ってしまえば本当に世界征服すら出来かねない危険な能力である。
(とにかくこいつの能力を悪用するようなことは絶対にしないからな)
俺は布団を敷きながら心の中で改めてそう決意する。
「ところで」
「何だよ?」
また彼女が俺に聞いてくる。
「そろそろ私の名前か苗字かどっちかで呼んでくれませんか? せっかくこっちに来るからって頑張って名前考えてきたんですし」
「……お前の事情は知らん。とはいえ確かにこのままだと不便だから呼んでやる。何て呼べばいいんだ?」
確かにずっとお前で通してきたし、そろそろ呼び方くらいは固定しておかないと面倒だ。
「そうですねー、じゃあ名前の方でいいですか?」
「沙良でいいのか?」
「はい。一応私の本名がサラ・ファルホークっていうので」
名前の方を指定してくるとは意外だな、と思った俺だったが、その理由は簡単なものだった。
「無駄にかっこいいな」
「みんなに言われますね。ホークがこちらの世界の英語で鷹を意味すると聞いたので、日本に来ることになったら高梨にしようと考えてたんです」
「へー……」
どこでホークが鷹を意味すると知ったのかということを考えると、彼女が優等生だったというのはあながち間違いではないのかもしれない。日本に来るはずの彼女がわざわざ英語を調べる意味はあまりないからである。にしても、と俺は布団を敷きながら思う。
(確かそれ、有名な日本のスキージャンパーと同じ名前じゃなかったっけ?)
字こそ違えど確かそんな名前だったはずだ。単なるゲン担ぎなところもあるような、そんな印象もなくはないが……。
(まあ、考えすぎるのも良くないか)
「まあ、実を言うとスキージャンプの選手がいたので同じ名前にしてみたんですけど」
「おい! 俺が真面目に考えたこの時間を返せ!」
「やだなあ冗談ですよ。そんなこと考えてるかなって思ったのでちょっと振ってみたんです」
そう言った彼女は俺がちょうど布団を敷き終わったのを確認してにっこりする。
「あ、布団敷き終わったんですね。じゃあ寝るとしますか」
「何一つ働きもしてないやつがどの口で言うか」
だが、俺の突っ込みが終わる頃にはすでに彼女は布団に入ると寝息を立てていた。
(はえーよ)
俺も明日のことを考えるとのんびりはしていられない。彼女の隣の布団に入ると、明かりを消した。
そして次の日、
「樹さん、起きてください」
「何だよーむにゃむにゃ……」
俺は寝ぼけ眼で沙良の言葉に反応する。
「もう7時45分ですよー。学校って確か8時からって言ってませんでしたっけ?」
「いやいや、そんなまさか。だってきちんと目覚ましはセットしたはず……あっ、午前と午後間違えてやがる!」
俺は時計を見て飛び起きた。どうやら久しぶりの高校だったせいか目覚ましのセットを間違えてしまったらしい。
「起こして良かったんですか?」
「良かったも何も大活躍だよちくしょう!」
俺は慌ててカバンを背負ったり制服を着たりといつもの3倍くらいのスピードで動いていた。
「何だか出来のいい機械を見てるみたいですねー」
その横では沙良がいつも以上にのんびりしていた。
「そんなのんびりしてる場合じゃねーんだよ! 遅刻だよ遅刻! いいか、ちゃんと留守番しててくれよ!」
「はーい」
俺は彼女にそう用件だけを伝えると、大急ぎで家を出た。
「……しまったそう言えば今日体育だったっけか」
どうにか時間通りに高校に着いた俺は黒板を見て絶望する。そういえば教員の出張か何かで時間割の変更があったんだった。よりによって体育ではどうしようもない。
(まだ入学してから一か月、わざわざ一人暮らしをするような高校に入学してるから他のクラスに友達もいない。かといってこんな間抜けな理由で体育は休みたくない)
幸いにして今日の体育は5限。まだ時間はある。
(……仕方ねえ)
俺は朝のHRを終えると、ダッシュで離れた校舎へと向かった。
「いやー暇ですねー」
一方、沙良はのんびりお煎餅を食べながらごろごろしていた。彼女に許されたおやつはこれだけ、今食べきってしまうと今日の分はもうないのだが、そんなことはお構いなしと言わんばかりの食べっぷりだった。
「……なくなっちゃいました」
数分も経たないうちに彼女の食糧は底をついてしまった。あと残っているのは昼御飯だけである。
「ちょっとくらい食べても、ばれませんよね?」
誰に言うともなしにそう確認する沙良。彼女はそっと樹がお菓子をストックしている場所まで向かう。そしてお菓子の袋に手を伸ばす。そして彼女の手がお菓子の袋に触れそうになる。まさにその時だった。
(ジャーン!)
「キャッ!」
思わず驚いて手を引っ込める沙良。
「電話ですか、びっくりしました」
音の正体は彼女のリモコンだった。この携帯にかけてくる人間は限られている。まず彼女の実習の専門教師を担当している教師。そして彼女と同じようにこの人間界に降り立ち人間の欲望を叶えるために奮闘している実習生が3人。そして、
「もしもし?」
今かけてきた彼女の実習先の家の住人である町村樹だ。
「樹さん? どうしたんですか? 電話料金を考えてもかけないといけないような用事でもあったんですか?」
「ああ、実はだな……」
彼によるとどうやら時間割の変更を忘れていたせいで体操服を忘れてしまったらしい。
「おおっ! これはいよいよ私の能力の出番ですね!」
沙良は生き生きとしたように叫ぶ。だが、電話の向こうの樹は思わぬことを言ってきた。
「いや、高校まで体操服を届けてほしいんだ。外出許可は出すから」
「えっ? 外出していいんですか?」
意外な要望に沙良は聞き返す。元々彼との約束の中には外出不可が盛り込まれていて、そのせいで今日彼女は家でゴロゴロすることとなっていたからである。
「ああ。もしきちんと俺の体操服を届けることができたら外出不可の条件はなくしてやろうと思う。どうだ?」
「まあそういうことならいいですけど。他に何かすることはありますか?」
願いを叶えられないのは不本意だが、家から閉じ込められる生活をいつまでもしていたいとは沙良も思わなかったので、妥協点としてはいいところだろう。彼女はその条件を飲むことにして、他にしてほしいことがないかを聞く。
「家の鍵はかけてくれ。物が盗まれたらシャレにならん。冷蔵庫の中に入ってるから取り出して使ってくれ。あとその鍵は絶対に無くすなよ」
「了解です。ちなみにいつまでに届ければいいんですか?」
「午後の授業が始まるまでだから1時までだな。なるべく早めに頼む。あと、こっちに着いたら連絡してくれ。会う場所はこっちで指定するから」
「分かりました」
沙良がそう答えた瞬間、電話の向こうで始業チャイムが鳴り響く。
「やっべ授業始まる。じゃあ後でな!」
「はい。では」
彼女の返事と共に電話が切れた。
「さて、それじゃあ樹さんのために一肌脱ぎますか」
沙良はやる気たっぷりに準備を始めた。
(あれで良かったんだよな?)
俺はダッシュで教室に戻りながらそう考える。願いとしては叶えてもらってはいないはずだし、こちらも相応の交換条件は出した。鍵をかけろとも言っておいたからおそらく大丈夫だろう。とここで俺は大事なことに気付く。
(……そういえばあいつ俺の高校の名前知ってたっけ)
それは一番伝えなければならないはずの大事な情報だった。