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■□■□■□■■□■□■ それぞれの正義 ■□■□■■□■□■□■
もつれる足を這うようにして校舎から出てきたあかりは、
玄関から一番近い花壇に座り込み、呼吸を整える。
緊張と恐怖、そして走ってきたことで心臓が破裂寸前だった。
はぁはぁ、と声にでる呼吸が我ながらうるさく感じられる。
エリィさんは大丈夫だろうか?
暗闇の広がる頭上を仰ぎ見る。
キン、キィン。 瞬速でぶつかり合う金属音。
その音が響く度に、
「 ここにいてはいけない 」
と、あかりの全細胞が叫んでいるようであった。
あかりは、這うように荒い呼吸のまま、足を踏み出そうとした。
その瞬間。
目の前の暗い景色にどす黒い影が重なった気がした、
と同時に鈍く体重を兼ねた音があかりの耳に届く。
その目の前にある物体は、低く呻きながら暗闇の中に
ぎろりと目を見開き、絶命した。
あまりのことに、あかりは情けない叫び声を上げる。
そして、すぐ口元から音が漏れないように両手で口を塞ぐ。
や、ヤツは敵の一人。
屋上から降ってきた?
いずれにしろ、転落死したその死に様をあかりに見せつけている。
それを見て思わず吐きそうになる。
『 あかりーーーっ、逃げろーーーー! 』
頭上で続く金属音の最中、自分を呼ぶ声。
瞬時に危険を察知し、頭上を仰ぎ見る。
ぽとん、と何かが落ちる音がした。
それに続き、するすると降りてくる黒い影が二つ。
衝撃的な展開に脳の処理が追いつかず、頭が混乱する。
どういうことだ?
屋上からロープで降りてきたということか・・・?
身動きが取れず、硬直するあかりに二つの黒い影が
地上に降りると同時にあかりに向かって近づいてくる。
暗闇に光る日本刀の反りが恐怖を超越させ、
あかりに絶望の意味を教えていく。
「 エリィさん
エリィ・・・
ごめん。ごめんなさい。
こんなに戦ってくれたのに
こんなに守ってくれたのに・・・
ごめんなさい。
逃げ切れなくて・・・・
ごめんなさい。
父さん、母さん、ひまり・・・。」
あかりは恐怖と絶望で動くこともできず、
ただただ目から涙があふれ出てきた。
暗闇に映る刀を手にした恐ろしい二つの黒影、
自分を殺そうとする薄汚い奴ら。
これが、これが自分の見る最期の光景なのか
それは、あまりにも、あまりにも残酷すぎる。
シュン、シュン。
耳慣れない二つの音があかりの脇をすり抜けた気がした。
と、同時に二つの黒い影が短い呻き声と共に地面に倒れこむ。
( 何が起こったんだ? )
あかりを殺そうとする二人を一瞬で倒す存在。
ジリッ。
あかりの後ろで砂を踏む音を感じた。
その音に、ゆっくり振り返りその正体を確認する。
あかりは今まで生きてきて、
これ以上驚いたことが無いというくらい驚愕した。
暗闇の中からでも、その存在を認識するのに揺るぎない人物。
長身のその人物は黒のスーツに身を包み、
サイレンサー付きの拳銃のようなものを右手に握っていた。
元警察官であるその人物は背筋をピンと張り、
周りの空気も同様に張りつめたものにしている。
久しぶりの再会にもまるで動じず、冷酷なまで無表情で佇む男。
あかりの父親・水谷公一郎がそこにいた。
『 ど、どうして? 』
あかりが絞り出すような、か細い声を漏らす。
あかりの父は、その声に答えようと一歩前に出ようとしたが、
寸前で動きを止める。
シュン、シュン。
男は黒影二つに手も触れず、最終確認かの如く鈍い銃声を響かせる。
『 あかりっ!! その男から離れろ!!! 』
屋上から怒号のようなエリィの声がし、あかりは屋上へ目をやる。
と同時に、信じられない彼女の行動に体が硬直する。
屋上から何やら黒い物体が落ちてくるのと同時に、
それは地上寸前で二つに分かれ、
エリィは屋上からほんの数秒で地上に到達した。
彼女は道連れにした黒の死体をクッションに地上に到達し、
反動で転がりながらも、
素早い動きで自分の体を静止させる。
そして、今まで所持していたことさえ知らなかった銃を
あかりの父親に向けている。
『 あかり、無事っ!? 』
荒い息遣いながらも、エリィはあかりの安否を確認する。
『 エリィ・・・ 俺はだいじょうぶ・・・。 』
『 そう。 じゃ、その男から離れて。 』
エリィは対象から視線を逸らさず、銃口を向けたまま、
だいたいの視界感覚であかりに近づいていく。
エリィは自分の隣にあかりが到達したのを確認すると、
より一層、銃を強く握りしめた。
その動作を目で追いながら、今まで無言を貫いていた男が口を開く。
『 きみは、エリくんだね。 』
『 っ、私を知っているのか? 』
それには答えず、男は続ける。
『 どうか、あかりを守ってやってくれないか。 』
『 な、なにを、言ってる? 』
『 私はここから退散する。 そして、あかりも無傷で解放してほしい。 』
『 何、都合のいいこと言ってるんだ。
私を知っているということは、目的も知っているはず。 』
『 だから、お願いしている。 』
あかりは一瞬何の話か判らなかったが、ほんの数秒で理解した。
エリの任務・目的は父親である水谷公一郎の確保であり、
自分はそうではないということ。
自分はいわば父親を誘き出す囮であり
人質だということを再認識した。
父親から離れろって言ったのは、そういうことか・・?
あかりが、彼女の顔を見る。
エリィはその視線を感じたのか。
悲痛な表情を帯びていく。
『 頼む。 』 男が再度、懇願する。
エリィは無言で男を睨み付けていたが、
決心したように強い口調で告げる。
『 それはできない。 』
そう言い終えるとエリは苦渋に顔を歪ませて、
( ごめん )
とあかりに聞こえるか聞こえないかの呟きを漏らした。
そして次の瞬間、あかりの直感が現実になる。
自分の首にすばやく回された彼女の左腕と、
自分の右頬に突き付けられた冷たい銃口。
あかりは、以前に聞いた成実木の言葉を思い出す。
青春は残酷だ。
いま、まさにそう思う。
『 仲間が来る。 それまで、そこでじっとしていて。 』
エリィの汗の匂いや、荒い息遣い、
首に回された彼女の柔らかい腕の感触。
それらが、彼女の鉄の意志によって
すべてが幻想のように冷たい現実を晒していく。
自分は殺されるかもしれない。
いや、状況によっては殺されるであろう。
この状況は、どう見たって詰んでいる。
王手、チェックメイトだ。
彼女たちは
キングを取るためなら、なんの犠牲も厭わないだろう。
動かなくなった黒影の骸をみながら、
あかりは、覚悟を決めた。
【 取引をしよう 】
男の声が無慈悲な闇を引き裂く。
あかりは、その声に心底凍りついた。
脳に直接届くようなこの感覚。
それは、父親であるその男から発せられたかのような言葉。
事実、この闇夜でもわかるくらい、彼の口は動いていなかった。
( な、なにがおこっているんだ? )
【 取引には応じない 】
自分を束縛しているエリィからの返事。
隣で発せられたはずのその言葉。
それも不思議と脳に直接届くような同じ感覚だった。
【 いや、君なら応じる 】
【 なぜ、言いきれる? 】
( 間違いない! 彼女の口は動いていない・・・
これは、テレパシーか何か・・なのか? )
【 取引内容が君の個人的な動機に関することだからさ。 】
【 なにを言っ? 】
【 君の父親の情報だよ 】
エリィはその言葉に絶句する。
その彼女の顔が薄暗闇の中でも確認できるほど蒼白を帯びていく。
【 君のテレパシー、ガードが堅いな?
これだと、外部から介入されても内容まで確認するのは至難の業だ。
私たちがこのT2Pで会話していることも確認できないはずだ。
これは、君と私だけの会話、取引だ。】
【 でも・・・ 】
エリィの心が掻き乱されていくのが、震える手からも窺える。
【 一方的な取引をしよう。 君は私の話を聞くだけでいい。】
【 ちょっと、待て! 】
エリィが叫ぶ。
【 君の父親は生きている。 この世界にまだいる。
場所は東京だ。 今、ある組織に潜入してる。
仕事はまだ終わっていない。 君がそちら側の人間として、
この世界で任務を行っているのも、もちろん彼は知っている。
彼は、・・・娘に会いたがっていたよ 】
エリィが息を吸い込んだまま、絶句している様が感じ取れた。
そして、あかりの右頬が通常の体温に戻っていく。
男は彼女の下ろされた銃口を確認すると、
あかりに2歩3歩近づいてくる。
『 あかり。 』
自分に向けられた視線に否応なしに反応する。
無表情・無慈悲に見えた最初の印象は全くなく、
少し顔を緩ました一人の父親がそこにいた。
『 あの家で、暮らしているようだな。
一人でよく頑張っている。 うれしいよ。 』
そう言うと、さらに数歩、あかりに近づく。
近づく度に明確に見える父親の顔。
そして、蘇ってくる記憶の断片。
( 母さん、陽鞠・・・ 今、父さんがここにいる・・・。 )
『 椅子、直してくれたんだな。ありがと。 』
家裏の森にある秘密の休憩所。
椅子の足が朽ちていたのを、あかりが直していた。
みていてくれたんだ。
『 父さん・・・、ひまりが・・・。 』
『 あかり、今は何も言えないし、できることも無い。
本当にすまない。 しかし・・・。 』
そこで、男は何か言い淀み、あかりを見つめる。
すべてを知りたがっている目。
その純真な気持ちに報いれてやることはできない。
男はゆっくり瞬きをし、視線をエリィに向ける。
『 恨まないでほしい。 父親のこと・・・。 』
そして、あかりに向き直り
『 妃花と陽鞠を頼む。 』
そう告げると、男は踵を返した。
あかりは条件反射に数歩足を進めたが、
男は二度と振り返ることなく、
暗闇に溶け込んでいく。
あかりは夢でも見ていたのだろうか。
みんなと別れた後、担任に命を狙われ、
それをエリィに救われ、新たな敵に彼女と共に戦い、
そして、突然の父親の出現。
男の言葉にすっかり戦意を喪失したエリィは、
声も無く涙を流していた。
『 エリィ。 』
『 ごめん・・・ごめんなさい。 』
彼女はそう言うと、嗚咽とともに大粒の涙を流した。
『 守るって言ったのに、
あかりに・・・あかりに銃を突きつけた・・・。 』
『 エリィ! 』
あかりは、それ以上彼女に言わせないように、力強く両手で肩を抱く。
コトンっと、銃が地面に落ちた音が短く響く。
拭うことなく、大粒の涙が伝う彼女の顔を見つめる。
先ほどの勇ましさは微塵も無く、
美しい顔立ちとは不釣り合いな土汚れと涙と鼻水、
まるで幼子のような無防備な泣き顔。
あかりは今まで見たことのない彼女の表情に、笑みで返す。
『 守ってくれた、エリィはちゃんと守ってくれたよ。 』
『 そんなことない。 だって、 』
子供のように否定する彼女に、あかりが言葉を被せる。
『 フラグ! 』
『 フラグ? 』
『 死亡フラグ、消えたよね? 』
あかりは満面の笑みを浮かべ、彼女の顔を覗き込む。
『 エリィが、守ってくれたから・・・。 』
『 そ、そうね・・・ 旗は、もう折れてしまったわ。 』
そう言い終えると、
遠くからミキが声を掛けながら走ってくるのが見えた。
あかりは、( あぁ、本当に助かったんだな )と、
心の底から安心し、脱力感のあまりその場
にへたり込んだ。
( 父さん・・・。 )
あかりは辺りにまだいるかもしれない父親のことを想いながら、
もう一歩も動くことのできない身体とともにゆっくり目を閉じた。
■□■□■□■■□■□■ 襲来 その後 ■□■□■■□■□■□■
そのあとは、
エリィとミキがクリーナーと呼ばれる連中を呼び寄せ、
現場の指揮をとり、事態の収束、痕跡除去作業を行っている。
あかりは新校舎生徒玄関の脇にぐったりと腰かけていた。
ミキが買ってきてくれた缶コーヒーを飲みながら、
その様子をただぼんやり見つめていた。
屈強な男たちの無駄のない作業を見つめながら、
ふと黒ビニールの存在に気付いた。
その黒ビニールは六つ。 いや、六体。
エリィが・・・父が・・・
自分を守るために殺めたものだ。
殺さなければ、自分がやられていた。
正当防衛。
いや、そんな生易しいものじゃない。
これは、戦争なんだ。
異次元の扉をめぐる戦争。
これから、たくさんの血を見ることになるのだろうか
今は、わからない。
でも、今夜
自分があの黒ビニールの中に納まっていたかもしれない。
そう考えると背筋に冷たいものが走る。
トラックの荷台に一つ、また一つ放り込まれるビニール袋。
自分が倒したあの男。 自分が殺した、あの・・・
『 あかりが倒した男、あいつなら生きてたよ。 』
声のする方へ振り向くと、
ミキがあかりの背後からゆっくり近づいてきた。
『 生きてた・・? 』
あかりは、そんなはずはないとミキに聞き返す。
『 気を失って倒れていたところを、私がみつけた。 』
ミキはあかりの隣に腰かけると、
手にしていた缶コーヒーの蓋を開け、一口飲む。
『 やっぱ、ホットにして正解だわ。 』
今まで気を張っていたせいか、寒さなど感じなかったが、
ミキのその言葉に、現実の温度、六月の北海道の夜半の肌寒さを
あかりに改めて認識させる。
『 あかりは気にしなくていい。 ヤツは、私が始末したから。 』
あかりの隣に座るその少女は、文芸・郷土研究部部員にして、
学級委員長。 誰にでも当たりが良く、笑顔が絶えない無邪気で
おちゃらけキャラの後藤美希の口が、何気ない日常会話のように、
そう言い放つ。
ミキは、あかりの視線を感じながらも視線を合わせず
男たちの作業を凝視している。
『 ごめんなさい。 その・・・助けてくれて、ありがとう。 』
あかりが惨めに感謝の言葉を発する。
『 なに謝ってるの? こっちこそ、ありがとう。 エリを助けてくれて。 』
そういうと、はじめてあかりに顔を向けた。
その顔は、やはりエリィの仲間であり只者では無い瞳が
真正面にあかりを捉えていた。
『 私のこと、怖くなった? 』
無表情で尋ねる瞳に少し恐ろしさを感じる。
『 い、いや・・・。 』
あかりは、否定しながらもミキからの視線を逸らした。
彼女は自分の殺すべき相手を殺してくれた。
とどめを刺してくれた。
エリィに関しては、自分を守るために三人も殺めた。
『 ごめん、意地悪な質問だったね 』
ミキはそう言うと無邪気に笑った。
『 ミキさん。 』
『 シンソウ中でも、ミキでいいよ。 』
あかりはミキの顔に向き直り、
『 ミキ、ありがとう。 』
と、心から感謝した。
『 惚れんなよ。 』
ミキは軽口をたたきながら立ち上がる。
しかし、その立ち姿は、すぐに内股になり
そして、なにかとってつけたように、少し乱暴な声が届く。
『 お、お守り、ありがとな・・・
正直私のこと、忘れてると思ってたから、嬉しかった。
ありがと・・・。 あ~あ~、なんか、
らしくないこと言っちゃったなぁ、まったく。
あっ、あかりは、もう帰って寝な。 あたしたちは朝まで掛かるからさ。 』
『 待ってるよ。 』
『 いや、待たなくていい。 エリもそう言うよ。 それに、 』
ミキは座っているあかりに屈みこむ。
顔が物凄く近くに接近し、
彼女の眼鏡があかりの顔に くっ付きそうだった。
『 女の子にはね、見られたくない姿もあるんだよ。 』
彼女の頬のそばかすが暗闇の中からでもはっきり見えそうだった。
『 わかったよ、大人しく帰る。 』
顔を背けながら、あかりは呟く。
『 わかればよろしい。 』
そう、言い終えるとミキは体を起こし、歩き出す。
『 あの、彼女に、よろしくって伝えてほしいんだけど。 』
『 明日、自分で言いなさい。
こっちが済んだら、部室で休むように言っておくから、
明日部室で会いなさい。
あなたに伝えることのできる情報も掴んでおくからさ。 』
『 ありがとう。 』
『 じゃあ、また明日ね。 おやすみ、あかり。 そして、お疲れ様。 』
そう言うと、ミキは校舎の中へ向かって歩き出た。
その去っていくミキの姿は、こんなことなど初めてじゃない
という余裕が感じられた。
幾度もエリィとコンビを組んで、任務を行っていたんだろう。
たぶん、これからも・・・。
シンソウ中の彼女はとても逞しく、エリィ同様に輝いて見えた。
あかりは何もできない当事者の自分を恥じるとともに、
本当に、心の底から礼を述べた。
助けてくれて、ありがとう。
~つづく~