10 (last)
■□■□■□■■□■□■□■ 約束 ■□■□■□■■□■□■□■
あの昨夜の凍りつくような恐怖がまるで存在しなかったかのように、
ごく当たり前の何の変哲もない月曜がやってきた。
教室、校内、学校全体に何の違和感も無く、
不審な痕跡も一切無く、それを感じる者も誰もいない。
完璧すぎるくらい、誰も気づいていない。
あの夜の事は、まるで幻だったかのように。
寝付けなかったあかりは、朝早くに学校へと登校していた。
そして、彼女を探すべく、真っ先に部室へと向かう。
息を切らしながら階段を駆け上がり、部室の扉を開ける。
しかし、そこには彼女の姿は無かった。
( 何処にいるんだ・・・。 )
あかりは、闇雲に彼女の姿を求めて校舎内を走り回る。
途中、生徒たちにぶつかりながら、それでも前へ足を進めていく。
こんなに誰かに会いたいなんて、
感じたことが今までにあっただろうか?
衝動的というか、自分でも不思議なくらい力が漲ってくる。
彼女に会いたい。 会って、感謝を伝えたい。
純粋すぎるほどの想いが
あかりの行動のすべてを駆り立てる。
リン。
その音に、あかりは体を急停止させる。
廊下を走っていたあかりは、
肩で息を切らしながら窓から見える川辺に目をやる。
ここからでは何も見えないのだが、
あかりは直感したように、また前を向いて走り出す。
校舎玄関を飛び出し、神社の敷居を跨ぎ、
学校から一番近い河川敷の東屋を目指す。
堤防を走っていくと、
汗ばむ体にちょうどいいくらいの風があかりに吹き付ける。
そして、心地良い風と相まってあかりは安堵するように歩を緩めた。
まるで、絵画のような気品に満ち溢れた光景がそこにあった。
あかりが一番に探し求めていたもの。
あかりは声を掛けるのも忘れ、ただただ見とれ、その場に立ち尽くす。
風が彼女の自慢の黒髪をもて遊ぶかのように、はたはたとなびかせ、
昨夜のことなど、まるで無かったかのような透き通るような瞳で、
滑らかな川面を見つめていた。
水面のきらめきが彼女の顔に反射し、
より一層きらびやかさを増していく。
声を掛けるのも躊躇うくらいの存在感。
あかりは荒く情けない呼吸を整え、視線を自分の足元へと落とす。
( 俺は何を求めているのだろう・・・ )
そこへ朝のホームルームを知らせるチャイムが鳴り始める。
その音に反応するかのように、少女はゆっくりあかりの方を振り向く。
特に驚いた様子も無く、澄んだ声があかりの耳に届く。
『 おはよう 』
あかりはその声に返事することも無く、
彼女の元にばたばたと駆け寄る。
少女は、何事? というような不思議な顔をあかりに向ける。
純真で透明な瞳を向けられ、
あかりは彼女が昨日の彼女ではないことに気付く。
( そうか・・・ )
そう、心の何処かで落胆し目を逸らした途端、
『 おはよ 』
彼女の二度目の挨拶が耳に届き、驚いたように見つめ直す。
『 いいリアクション、だね。 録画、保存っと。 』
昨夜のエリィがおちゃらけた感じで、
ビデオカメラを持つふりをしながら姿を現す。
『 エリィ・・・ 』
『 いい朝だね。 なんか、授業さぼっちゃおうか。 』
『 なに、言ってるんですか? 』
『 はは、冗談だって。 でも、ホームルームはさぼりだな。
彼女もそうしようとしてたみたいだし・・・ 』
そう言うと、エリィは自分の左胸上を軽く叩いた。
そして、再び笑いながら
『 ははは、そういえばミキから、聞いたよ。
チューしそうになったんだって 』
『 はぁ? 』
あかりはミキのそばかすを思い出しながら、照れ隠しに怒って見せた。
その後、他愛無い冗談を言い合っていたが、
とりあえずということで、二人はベンチに腰を下ろした。
そして、あかりと向き合いながらエリィが事の経過を
淡々とあかりに説明し始めた。
『 君を襲った者だが、まだ特定はできていない。
しかし、目星はついている。
少し、時間がかかるが・・・一つ一つ証拠を固めていくよ。
もう少し、時間をくれないか。 それと、鵜和以外の
私たちを襲った第二波の黒影連中だが、
どうもキナ臭い奴らで死体から身元が一夜では洗えなかった。
まぁ、継続確認中だ。
そして、あかりの父親のことだけど・・・
彼の所在は、不明。足取りを追えなかった。
ごめんなさい。 』
エリィは心から申し訳なく、頭を下げる。
『 いや、いいって。 こっちも、生きてたのを確認できてよかった
・・・でも、強いて言えば、
今すぐに母さんと陽鞠に連絡したい、かな。 』
あかりは、少し残念がってみせた。
『 以前も言ったが、彼女たちへの連絡はもう少し待ってほしい。 』
とても事務的な答えだったが、
エリィの心から申し訳なく思っているのが声からわかったので、
あかりはこれ以上問うことはなく、話題の焦点をずらした。
『 担任の先生だけど、あの人は、こちら側世界の人間の仕業か? 』
『 まだ、わからない。でも、本来の彼女自体は無害。
シンソウされていたのは、間違いない。 』
担任の鵜和文子。
何者かが彼女を借りシンソウを使って、あかりを殺そうとした。
『 あなたを殺そうとして、父親を誘き寄せる。
でも、あの作戦はあなたの葬式でもよかった。 と、解釈できる。 』
その言葉に、あかりは身震いした。
そして、あの時の恐怖が蘇ってくる。
『 鵜和の身元を洗ったが、部屋からは何もでなかった。
携帯の通話記録も確認できなかったが、
それは「 ふみさと 」の中から補わせてもらった。 』
『 え、それは・・・ 』
あかりは戸惑いの声を上げる。
『 ごめんなさい。 仲間を疑うような真似をして・・・
でも、おもしろいことがわかったわ。 』
『 聞かせてください 』
『 成実木さんとあかねさんに鵜和からの着信履歴が確認された。
成実木さんは4回、そのうち10分以上の通話が1回。
あかねさんに至っては5回中4回が10分以上の通話だった。 』
『 それって・・・ 』
『 そう。 あの誤情報による修羅場。
それは鵜和によるリークまたは攪乱が予想できる。
しかも、その日を境に二人とも鵜和からの電話に出ていない。
拒否するように通話時間0秒が数回続いている。 』
あかりは謎が一つ解け、安心したように肩の力を抜いた。
『 しかし、その、気になることがひとつ・・・
いや、些細な事なんだが・・・ 』
エリィはワードアラートが掛かるかを心配しているようだったが、
『 あかねさんの通話履歴に、ちょっと変わった点があって・・
公衆電話からの相手に彼女は出ている。 すべて一、二分の通話だが、
掛かってきたすべての公衆電話に出ている。
その点がちょっと気になるところ・・・ではある。 』
エリィは、あかりの顔を覗き込みながら、済まなそうな顔を向ける。
『 公衆電話ということは、誰が掛けたか判らないということで・・・
それはみんなが疑われ、みんなが標的になることも、
今後あり得るということだよな。 』
あかりは独り言のように確認する。
『 そうね。 そうなるわ、きっと。 』
『 怖いな。 』
あかりは少し視線を落とし、近くの小さな落ち木に目をやる。
『 ええ、本当に恐ろしい。 』
『 でも、 』
あかりが視線をエリィに戻し、何かを伝えたそうな
もどかしい顔を向ける。
『 でも? 』
その瞳に向き合うエリィ。
『 エリィがいてくれたら・・・ちょっとは怖くなくなる
・・・気がする。 』
たどたどしくも、あかりは言葉を続ける。
『 昨日は、ありがとう。 助けてくれて、本当にありがとう。 』
そう言うと、あかりは情けないほど顔を赤くしながら俯いた。
『 うん。うれしいこと言ってくれるじゃん・・。
私の方こそ、昨日はありがとう。 私の分のお守りをくれて・・・
嬉しかった。 すごく・・・でも、生意気だぞ。
年上の女性を呼び捨てにするなんて・・ 』
そう言うと、彼女にしては珍しく照れたように笑った。
あかりも釣られて小さく笑う。
それに合わせて、エリィの顔がすっと近づく。
エリィの顔はまるで天使のように光に満ちていて、
あかりはドキリとする。
昨夜とはまるで別人のような、
とても幸せに満ちた笑みがすぐ近くにある。
お互い無言のまま見つめ合い、次第に手を触れていく。
握り合う手の感触。
彼女の小さく少し冷たい手のひら。
その指先、手の甲にある不釣り合いな目新しい傷。
あかりはエリィの笑顔に嬉しさを感じながらも、
次第に彼女の手の温もりから現実に引き戻されていく。
そんな心の動揺を見透かしたように、
エリィは あかりから奪うように手を離した。
彼女は胸の辺りで両手をかばう様に抱きしめ、あかりを見つめる。
その瞳はいつしか真剣な眼差しへと変わっていき、
あかりを見つめ続ける。
ある決意を秘めた強い光のように、あかりに向かって放たれる。
あかりはその光を一身に受け、
やがて彼女の発した言葉も消えることの無い光として、
あかりの心の真ん中あたりに届いた。
『 わたしが守るから。 最期まで、守るから。 』
■□■□■□■■□■□■□■ エピローグ ■□■□■□■■□■□■□■
放課後の部室では、みんながわいわいと
サプライズ・イベントのことで盛り上がっていた。
『 今日は、ミキがパフェを奢ってくれるということで、
部活動はお休みで、す! 』
『 お~! 』 みんなの歓声が沸く。
成実木は、溢れんばかりの笑顔をあかりたちに見せている。
『 おまえ、ほんと食い物好きだな、・・・太るぞ。 』
洋平がデリカシーのない言葉を成実木に向ける。
『 ねぇ、ミキ。 洋平には奢らなくていいからね。 』
『 はい。 洋平はいらないと、 』
ミキは笑いながら空気のメモ帳に記すふりをする。
『 おいおい、待てよ 』
洋平が、あたふたやり始め、走り出す。 逃げる成実木。
それに合わせてくるくる目を回すミキ。
あかりは、そんなどうでもいい空気に妙な充足感を感じていた。
みんなで、店に向かう前の このぐだぐだ感、
なんか平和でほんといいなぁと感じていた。
『 あかりは、そんなにパフェが好きなの?
さっきから頬が緩みっぱなしだよ 』とエリが呟く。
『 そ、そんな、エリさん。 俺、そんな顔してました? 』
『 うん、してた。 』 成実木が代わりに答える。
どうでもいいことに、みんながわいわいとテンションを上げていく。
笑いが、笑顔が部室を満たしていく。
ほんと、心地の良い場所だ。
あかりは、昨夜のあの死線を切り抜けたのが まるで嘘のような
幸福な時間を過ごしている。
でも、この場にいるべき姿がない、
決定的な、何かに違和感を感じ始める。
『 あれ、そういえば・・・りんごは? 』
洋平の言葉に、あかりは指を差しそうになる。
( そ・れ・だ )
『 なんか、教室の掃除みたいだよ。 』 成実木が答える。
『 今日の事、連絡はした? 』
洋平が、成実木とミキの二人に尋ねる。
『 うん。 でも、なんか壊れかけの椅子があるとかで、
遅くなりそうみたい。 』
ミキが答える。
『 そう言えば、「 先に行っていて 」って、
さっきメール来てたんだった。 』
成実木が( わるい、わるい )と失念していたことを頭を掻きながら詫びる。
『 じゃあ、先に行ってる? 』 洋平が提案する。
『 どこのお店か、知っているの? 』
エリが振り向きながら、ミキに尋ねる。
『 うん。 ネリーズだって、言ってある。 』
『 じゃあ、先に行こうか。 ねぇ、あかり 』
成実木があかりに腕を絡めてくる。
『 う・・・うん。 みんなが、いいならそうしようか 』
『 賛成! 』 洋平が真っ先に手を挙げる。
『 あんたねぇ・・・ 』 成実木がジト目を洋平に向ける。
『 彼女には悪いけど、伝えてあるのなら先に行って
席の確保でもして置いた方がいいかも。 』
と、エリの提案にミキが賛同する。
少し後ろ髪ひかれる思いだったが、
あかりはみんなと共に部室を後にする。
外に出ると放課後の西日があかりたちを包み、
あかりは思わず手をかざし、その日差しを遮る。
そして、赤くなった顔を少し歪め、彼女を想う。
りんごは、待っていてほしいと願うはずだよな。
あかりは彼女の事を思い、
歩くスピードも心なしか、ゆっくりになっていく。
りんごは教室の窓際にもたれかかり、
楽しそうに下校していく みんなを見つめていた。
愛、ミキ、洋平、エリ先輩、そして、あかり。
りんごは憂いを帯びた眼差しで、順に見つめていく。
そして、そのなかに一点を定め、目で追っていく。
『 あかり・・・ 』
そう、呟くと同時にりんごの携帯電話が鳴る。
相手の名前が表示されず、公衆電話との表示が現れる。
りんごは、その事実に慌てることなく、ゆっくりと通話ボタンを押し、
ケータイを耳元に近づけた。
『 もしもし。 』
『 出てくれて、ありがとう 』 低い男性の声。
『 いいえ。 』 その声にりんごはごく普通に答える。
『 あかりは、大丈夫だったか? 』
『 ええ。 大丈夫です。 』
『 君も、大丈夫だったか? 』
『 ええ、大丈夫です。 私には 刺客は来ませんでしたから。 』
『 そうか、良かった。 』
『 まだ、誰も気づいていません。 』
『 油断は禁物だよ。 』
『 父親面は止めてください。
まだ、気持ちの整理がついてないところが、正直在りますから・・ 』
『 悪かった。 』 男の悲哀な声が届く。
その言葉にりんごまで、ちょっと顔を歪ませ、床に視線を落とした。
『 これから、みんなでパフェを食べに行くところです。 』
『 そうか・・・じゃあ、エリ君やミキ君も・・ 』
『 はい。 それに今回はミキの奢りです。 』
『 ・・・・・ 』
『 なにか、気になることでも? 』 りんごが無言の対応に訝しがる。
『 いや、悪い。 そうじゃない。 なんというか、その・・・
これは始まりだと、認識してほしいんだ・・・
その、気構えの問題なのだが・・・』
『 私も、狙われる? 』
『 その可能性は、ある。 』
『 心配? 』
『 もちろん、だ。 』
『 ふーん。 』 無感動を装い、りんごは低く頷く。
『 ではもう、切るよ。
公衆電話の相手に長電話の通話記録は、まずい。
その・・・、愛してる。 』
そう言い終えると、相手は一方的に電話を切った。
りんごは、ゆっくり携帯電話を折りたたみ、
再び視線を外に向ける。
ちょうど、みんなが校門から一人、また一人姿を消していく。
一番後ろを歩くあかりが校門の陰に隠れる瞬間、
歩みを止めて こちらを見つめた気がした。
風が吹き、薄手のレースのカーテンがはらりと揺れ、
りんごの姿が露わになる。
あかりはりんごの姿を確認すると、大きくゆっくり手を振った。
そして、やがて、みんなと共に姿を消していく。
それを見たりんごは、涙が止めどもなく溢れ出した。
拭っても拭っても溢れる透明な涙。
その無垢な涙を教室にも入ってきた西日が赤く染めていく。
もう拭うことをあきらめたりんごは、
泣き顔をもう誰もいなくなった校門へと向ける。
『 お兄ちゃん・・・ 』
押し殺した言葉は誰に届くことなく、
空しく夕風と共に 赤く飛散した。
part1 おわり
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。
発表時期未定の part2 『 two sisters 』 に ご期待ください。
本当に
どうも ありがとうございました。