~第八話~
其処で何が起こったのか?
それを父は詳しく語ってはくれなかった。否、語る事は出来なかった。
ポツリ、ポツリと……絞り出すように紡がれる言葉の断片を私は必死で繋ぎ合わせる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
レグルス陛下はグロディア妃と王子殿下を左大臣ハーリスに託し、御自分はただ御独りで反乱軍と相対された。
王城には王族しか知らぬ、敵軍に攻め込まれた時に密かに城を脱出して逃げ延びる為の秘密の通路が幾つか存在する。
陛下はその一つに彼等を逃がし、逃亡の時間を稼ぐ為に御自ら扉の前に立たれ、行く手を塞がれたのだ。
その秘密の通路の存在を“腹心の友”は知っていたから。
だが、兵たちはその時点で陛下をどうこうするつもりはない。
特に指揮官たちは、それが陛下の御為と信じた行動だった。
「陛下、どうかお聞き入れ下さいませ」
「これは全て陛下の御為、そして世界の為なのです!」
将たちが口々に叫ぶ。
そして、父が陛下に手を差し伸べた、その刹那……
父の意識は失われ、兵たちは身体の自由を封じられた。
…───…───…───…───…───…───…───…
我に返ったのは、父が陛下に止めの一撃を加えた直後だった。
夥しい返り血を浴びながら、それでも混濁していた父の意識を戻したのは、崩れ落ちる寸前――断末魔の瞬間に、レグルス陛下が父の掌を指で引っ掻いた、その小さな傷の痛みだった。
「…………」
父は暫く何が起こったか理解出来ず、その場に立ち尽くしていた。
視線を移すと其処には血まみれで床に倒れ伏す、主君レグルス・ナスルの姿。
声を掛けても、答えは返らない。
「……へい、か?」
揺す振っても御身体はピクリとも動かない。
「陛、下?」
呼吸は途絶え、心臓の鼓動も既に停止していた。
「…………」
――何故、だ? どうして、こんなっ!?――
床に転がる己の剣に絡みつく鮮血。
――まさ、かっ? 私が陛下を手に掛けた……の、か?――
そう認識した瞬間……
「ぐっ……!」
父の呼吸は止まり、全身は激しく痙攣する。
――嘘だ! そんな事、ある筈がない! この私が、陛下を手に掛けるなどっ!?――
「……あ、あぁ……あぁあ……ああああ………う、うわぁあああああああ――――――っ!!」
父は陛下を抱きかかえたまま狂ったように泣き叫んだ。
美しかった父の黒髪は瞬時に白髪へと変化する。
――何故、何も憶えていない?
だが……意識を失っていた間、何処か遠くで陛下の御声を聞いていたような気もする。
けれど精神も身体も、まるで他人のモノのようで自らの意志通りには動かなかった。
まさか、私はブラッドの催眠暗示にかかっていた?
ブラッドが私にこの計画を持ちかけたのは、陛下の御為などではなく……この為だった、のかっ!?――
「ブラッドっ! 貴様ぁあああ――――っ!!」
そう叫んで、ブラッドに切りかかろうとした刹那……
父の身体は金縛りにあったように微動だも出来なくなった。
「っ……!?」
――これは念動力、か?――
「何を仰っておられます、閣下? いえ、レオニス陛下」
能力者たちの念動力に抑えつけられて身動き一つ出来ない父に、ゆっくりと近づきながら
「レグルス・ナスル亡き今、貴方様こそがこのサザンの支配者――王なのですよ」
ブラッドは薄ら笑いを浮かべながらそう言った。
「っ……!!」
その瞬間、父は全てを理解した。
己はただ野心を利用され、ブラッドに踊らされていた“傀儡”に過ぎないという事を!
そして、父の身体はブラッド一族の能力者たちの念動力に抑えつけられたまま、ブラッドに刃を向ける事も、自害する事も叶わず……此処に拘束されたのだ。
父の計画に賛同し、共に“裏切り者”の汚名を着る事を厭わなかった直属の将たちの目の前で。
彼等は身動き一つ出来ぬまま、ブラッドに操られた父が主君を弑逆するという悲劇を――ただ見ている事しか出来なかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「逝きましょう、父上。私もお供致します。仮令それが父上の御意思ではなかったとしても、それがブラッドに操られていたが故の行為だったとしても、反乱を起こし陛下を弑逆した事実は変わりません。その罪は万死に値します」
「ああ、分かっている。誰の所為にするつもりもない。これは明らかに私の咎、私が自ら招いた結果だ。けれど、其方がその罪を私と一緒に背負う事はない」
「いいえ、父上。罪は私にもあります」
「っ!?」
そう断言した私を、不思議そうに父が見つめる。
「ここ数日、父上は屋敷には戻られなかった。けれど、最後にお会いした時、父上は私にこう訊ねられました。その時は何故、脈絡もなく父上がそんな質問をされたのかと怪訝に思いましたが、今なら解ります」
『ハロルド、其方ならどうする? 例えば、己の志を貫きたいとそう願った道を、私に反対されたとする。父が反対する事だからと、その道を諦め、父の指し示す道をただやみくもに歩むのか? それとも、一反父に背くも己の道を極め、その栄光を持って父の許に帰るのか? どちらが“真の孝の道”だと其方は考えるだろうか?』
『小乗的な孝行と大乗的な孝の道、という事ですね? 私なら、後者を選びます。仮令、一時は汚名を着る事になろうとも、それが正しき道ならば何時か必ず分かって頂ける。そして、何事にもそうある事が、主君への真の忠誠の道にも繋がると思います』
「――そう答えました。あれは、此度の事を仰られてたんですよね? ならば、私も同罪です」
私の言葉で父の信念が変えられたとは思わない。
息子の返答で覆る様な生半可な想いで決意した其儀ではない事くらい解っている。
けれど私の言葉が、父の後押しをしてしまった事は紛れもない事実だった。
「そうか。……ならば共に逝くか?」
父は静かにそう言った。
我が子を道連れにしたい親など居ない。
けれど、反逆者の息子という汚名を着たまま生きる方が辛いだろうと父は判断したのかもしれなかった。
「はい」
私の返答に
「其方には本当に申し訳ない事をした」
そう言って父は私を抱きしめた。
「いいえ」
思わず涙が零れた。
父も泣いていた。
父は自らの意志で陛下を弑逆したのではない――それだけで私には充分だった。
思い残す事はなかった。
…───…───…───…───…───…───…───…
「父上、ご安心下さい。王子殿下はご無事です」
「っ!?」
「何時か我が王がブラッドの野望を打ち砕いて、父上の無念を晴らして下さるでしょう」
死出の旅路に出る父の心を少しでも軽くして差し上げたかった。
それ故に最期に父に伝えようとした言葉だったのだけれど……。
「危ういところでしたが、何とかお助けする事が出来ました」
私は事の経緯を手短に父に話した。
「……フライハイトが。そうか……よくやったな、ハロルド。王子殿下はご無事かっ!」
父は心底、安堵しているようだった。
そして……
「あの狡猾で抜け目ないブラッドの事だ。疾うに王子殿下のお命は失われたと、そう覚悟していたが……」
そう言ったまま、暫く何事か思案していたが
「ハロルド、ならば私たちは未だ死ぬ訳にはいかんっ!!」
矢庭に椅子から立ち上がると、そう叫んだ。
「えっ?」
「ロト王子殿下に世界の王の座に就いて頂くのだ! 陛下亡き今、その座に相応しい御方は王子殿下以外に居られまい? ブラッドにだけはその座を渡す訳にはいかんのだ!」
「父上?」
私は一瞬、父が何を言っているのか理解出来なかった。
「そうだ。そうでなければ、私のした事は全て水泡に帰してしまう。ブラッドにサザンの支配権を渡せばこの世は終わる。世界の安寧など望むべくもない」
「父上、一体何を仰ってるんですか?」
感極まって叫ぶ父の真意が解らない。
「ブラッドが……。既にこの城を牛耳っているあの男が……私に取って代わろうと思えば何時でも出来るものを、未だに生かしているのは、まだ私に利用価値があるという事なのだろう。この反乱の首謀者が右大臣サンダー・フォル・レオニス侯爵ならば兎も角、何処の馬の骨とも知れぬ……しかも異能の能力を持った流浪の民の族長では、国内外の誰もが納得はせぬ! あれは私を矢面に立たせておきたいのだ。私を愚かな“傀儡”と見下しておればよい。あれの望み通り、憐れな“操り人形”を演じながら世界をサザンの手中に治める。そして、その王の座を王子殿下にお捧げするのだ」
「…………」
「ハロルド、其方も力を貸してくれるな? ブラッド一族の能力者に対抗するには“力”が要る! 何故、其方に異能の力が? そう不思議に思っていたが……そうかっ! 其方の力はこの為だったのだ!!」
「私の力は、ブラッド一族に対抗する為に授かった力……そう仰るのですか? けれど父上、今の私の力ではとても……」
「ああ、分かっている。其方は未だ幼い。今は未だ時期尚早……ただひたすらに耐える時だ。だが其方の力は、其方の成長と共に強くなる。いずれブラッド一族の能力者を凌駕するだろう」
「…………」
「王子殿下を御護りするのだ。ハロルド、其方が! そして、殿下が世界の王の座に就かれたその時こそ、私たちは逝ける。レグルス陛下を弑逆し、世界を混乱させた張本人として王子殿下に裁いて頂くのだ」
そういうと父は狂ったように笑い始めた。
「ち、ちうえ……」
私はその鬼気迫る異様な光景を身動き一つ出来ず、ただ茫然と見つめていた。
父は既に狂っているのだと思った。
そう、レグルス陛下を手に掛けた瞬間から父の心は壊れている!
陛下を裏切ったのが、まこと父の意志であったならば、父を殺して自分も死のうと決意していた。
それが主君を裏切った父と、それに気づかず止める事も出来なかった私に出来る唯一の償いだと、そう信じていた。
サンダー・フォル・レオニスは私にとって“憧れ”そのものだった。
彼は理想の父であり、理想の臣下の姿そのものであり……。
父の背は大きく広く、その背に追いつき、やがては追い越す事が私の夢であり目標だった。
けれど目の前の、この男は一体何者なのだ?
誰よりも敬愛し、心酔していた主君を手に掛けてしまった憐れな男。
己がこの国に招き入れた男に利用され、その男の傀儡に成り下った愚か者。
そして、細やかな希望に縋る哀しき男。
ブラッドの傀儡として形だけの支配者の地位に甘んじながら、密かに御子様をお護りし、ブラッドと共に世界を手に入れた後、ブラッドを廃して、その王の座に御子様を据える。
己ではなく、レグルス陛下こそがその座に相応しいと……父が欲して止まなかった世界の頂点の座。
その座をレグルス陛下の御子に捧げる事で、己の罪を少しでも許されたいのか?
父王レグルス陛下が決して望まれなかった座。
それを陛下の血を継ぐ御子様が望まれるとは到底思えない。
ブラッドが、こんな浅はかな父の計画に気づかない筈もない。
けれど、そんな細やかな希望に縋るしかない父がただ哀れで……。
あんなに大きく頼もしかった父が、この上なく小さく儚げに見える。
これ以上、生き恥を晒すくらいなら、父を殺して自害した方がいいと何度も思った。
しかし、その度に私の脳裏を過ぎるのは、フライハイトに託した我が王の御事。
「其方が、王子殿下をお護りするのだ!」
父の言葉が私の中でリフレインする。
――私はまだ死ねないのか?
何時か、ブラッド一族の力を凌駕出来る日まで!?――
私が敬愛し、憧憬した父はもう居ない。
私の目の前に居るのは、変わり果てた憐れな父の“抜け殻”。
けれど、それでも愛している。
見捨てる事など出来る筈がない!
だからこそ私は、父の愚かで哀しい夢の共犯者になる事を選んだ。
何よりも我が王をお護りする為に!
この父と共に修羅の道を歩もうと――!
仮令この世の全てから裏切り者と、悪魔と罵られようとも私の心はもう揺らぐ事はない。
我が王――貴方が、至高の座に就かれるその日まで──っ!!




