~第七話~
私が王城に辿り着いたのは、夜の帳がすっかり下りた頃だった。
この時刻、普段ならばひっそりと静まり返っている筈の王城だが、彼方此方に篝火が焚かれ、武装した兵士たちが何やら慌ただしく走り回っている。
炎に赤く照らし出された王城は、巨大な魔物が鎮座しているように見えて、未だ幼かった私は正門から中に入る事を躊躇った。
恰も其処は、二度とは戻れぬ魔物の巣窟のようで……。
けれど、逡巡している暇はない。
私は自身を奮い立たせると、意を決して城内に足を踏み入れた。
其処此処に戦闘の傷跡が見られるが、どれも小競り合い程度のもので、それは大した抵抗もなく王城が反乱軍の手に落ちた事を物語っていた。
世継ぎの御子生誕の祝いの儀の真っ只中、突如起こった予期せぬ内乱。
しかも、王の腹心の部下の裏切り――という信じられぬ出来事。
そもそも、王城の警護自体が右大臣サンダー・フォル・レオニスの管轄下だったが故に、反乱軍がレグルス王の首級を挙げる事はそう難しい事ではなかったのだろう。
人々は何が起こったのかも分からぬまま、王城は父の支配下に置かれてしまったのだ。
その部屋に入った時、私は信じられぬ光景に一瞬我が目を疑った。
……が、直ぐさま父に駆け寄って
「父上、どうなされたんですか?」
そう声を掛けた。
けれど、父の意識は朦朧としているようで返事はない。
私はブラッドの方に向き直って
「ブラッド、これは一体どういう事なんだ? 何故、父上をこんな目にっ!?」
そう、彼に詰め寄ると
「勿論、レオニス閣下……否、レオニス王とお呼びすべきですかな? 彼の王をお護りする為ですよ、ハロルド様」
と、顔色一つ変えずに平然とそう答えた。
「父を護、る? こんな仕打ちをしているのに? これのどこが護ってるって言うんだっ!?」
私の言葉を聞くとブラッドは“心外だ!”と言わんばかりに溜息をつきながら
「御自身で決断された事とはいえ、やはり主君を弑逆するのは良心が痛むという事なのでしょうね。お疲れになられたのか……今はお休みになっておられるようですが、先ほどまで錯乱状態でしたので、ご自身を傷つけられぬようにという苦肉の策でございます。ご無礼は重々承知しておりますが」
「な……っ!」
ブラッドは慇懃無礼な態度でそう答えた。
だが言葉はそうでも、態度は明らかに私たちを見下している。
その瞬間、私は理解した。
反乱を起こしてこの城を……否、この国を奪ったのは父ではなく(それは表向きに過ぎず)ブラッドこそがこの内乱の首謀者だったのだと。
それは王城に一歩足を踏み入れた途端から、薄々感じてはいた。
城の警備を仕切っているのは紛れもなく、父サンダー直属の将たちだったが、彼等は私の顔を見るなり皆一様に申し訳なさそうに顔を背けた。
それは私が、一連の出来事の蚊帳の外だった事への憐れみか?
父に加担して主君を弑逆した事への後ろめたさなのか?
それとも……?
私は彼等に父の所在を尋ねたが誰も答えない。否、答えられない。
父を捜して右往左往するうちに、私の登城に気づいたブラッド一族の能力者の口からその事実がブラッドに伝えられ、私はブラッドの案内で初めて父に会う事が出来たのだ。
父の直属の将でさえ、誰も父の居所を知らない。
その事実の意味するものは――!
その部屋の扉には兵ではなく、ブラッドの一族の能力者が立っていた。
部屋には父以外には誰も居なかったが、父は手足を縄で拘束され、椅子に鎖で縛り付けられていた。
口には猿轡が噛ませられている。
「サンダー様がこのような状態にある事を知られる訳にはいきませんのでね。今は大切な時ですし。皆の士気にも関わりますので、この私の独断で密かに此処にお連れしました。ハロルド様も、くれぐれも公言はなさいませんように。貴方様でしたら心得られているとは思いますけれども」
「……っ!」
――こんな時に何を言ってるんだ、この男はっ!?――
そう思った。
否、そんな事よりも……
「父上と二人きりで話がしたい」
「それは……」
「私が、父と話がしたいと言っている! お前は、此処から出て行けっ!」
強い口調でそう言った。それは私の精一杯の虚勢だったが……
「承知致しました、ハロルド様。ですが、サンダー様が落ち着かれるまで、くれぐれも戒めをお解きになりませんように」
そう言って、私に深々と一礼すると彼はそそくさと部屋を後にした。
「父上……」
私は父の拘束を解きながら、その変わり果てた姿に思わず涙が零れた。
其処には常に颯爽として、私の憧れそのものだった父の面影はない。
美しかった漆黒の髪は白髪へと変化し、蒼白な顔面には深い皺が刻まれていた。
僅か数日会わなかった父は別人のように弱々しく、年老いて見える。
その上、父の身体や衣服の彼方此方に夥しい血痕が付着していた。
父のものではない。
……だとしたら……?
「一体、何があったんだ? この父が……、レグルス陛下を弑逆した事で、ここまで憔悴している父が陛下を裏切ったなんて信じられない。本当に父上が陛下を手に掛けたのか!?」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……ハロ、ルドか?」
それから半刻ほど後、父は意識を取り戻した。
「父上っ、気がつかれましたか!?」
私は、父の意識が戻るのを複雑な気持ちで待っていた。
このまま眠り続けた方が、ひょっとしたら父は幸せなのかもしれない。
そう思った。
気がついたら、また錯乱するかもしれないという恐怖もあった。
けれど真実を知らなければ、私は一歩も前へは進めない。
現実から逃れる事は出来ない。
だからこそ、もしそうなったら“力”を使ってても止めようと、そう決意した矢先だった。
「一体、何があったのですか? 父上がレグルス陛下を弑逆した……というのは本当なんですか? そんな事、何かの間違いに決まってますよね!?」
単刀直入な私の問いに……しかし、父は黙ったまま首を横に振った。
「そんな、父上……っ!」
それは私の微かな希望を打ち砕くには充分だった。
そして父は淡々と、まるで他人事のように淡々と……事の真相を語り始めた。
父には昔から唯一つ“野心”があった事。
その野心をブラッドに看破され、利用されてしまった事。
感情の籠らない……否、感情のままに語れば壊れてしまいそうな心を今少し保つ為に、抑揚のない乾いた声で語られる父の言葉は、懺悔のようでもあり――長い遺言のようにも感じられた。
…───…───…───…───…───…───…───…
誰よりも正義感が強く、誰よりも世界の安寧を願っていた父は、他国の不幸を耳にするにつけ、この世にはただ一人の絶対的な王の存在が必要だ――という想いを日に日に強くしていった。
そして、その王の座に就くのは己ではなく(父は自身の覇権を望んだ事は一度もない)レグルス陛下しかいらっしゃらないと。
彼の王がその座に就きさえすれば、世界平和はたちまちのうちに実現するのだと――それが一番の近道なのだと、父は頑なに信じていた。
確かにサザンは広大な領土を誇る世界一の大国。
王家は英雄王伝説を誇る北のアル・サドマリクと並び称される名門。
もしレグルス陛下にその気をおありなら、世界の頂点に立たれる事も決して夢物語ではなかったかもしれない。
しかし、彼の王はそんな事は望まれない。
「私は、それぞれの色を、それぞれの花を……より美しく輝かせられる事になら惜しむ事なく力を注ごう。けれど、世界を一つの色、一種類の花にしてしまう事が人々の為になるとは思えない」
そんな陛下の御志を尊いと感じながら、その一点に置いて父は陛下に不満を持っていた。
――理想だけでは世界平和は実現しない!――
けれど、陛下の御意思を蔑ろにしてまで行動を起こそうとは思わない。
父の想いは何処までも“まず陛下ありき”だったからだ。
だがブラッド一族との出会いが、そんな父の人生を一変させる。
彼の一族の苦難は、同じ異能の力を持つを息子を持つ父にとって耐えがたい現実だった。
この世はこんなにも未だ、冷たく残酷な世界だったのか……と。
だからこそ父は胸に秘めていた想いをもう一度レグルス陛下にお伝えする。
しかし、陛下の御答えは変わらない。
力に因る支配を良しとはなさらない。
そんな方だからこそ、心からの忠誠を誓えるのだと思う心と、それではこの世から哀しみが消える事はない……という苛立ちと。
相反する想いの狭間で葛藤する父の心の隙に、ブラッドはさり気なく、そして言葉巧みに入り込んでいった。
催眠暗示ではない。
ブラッドがどれ程、人の精神を操るのに特化した能力を持っているとしても、催眠暗示には限界がある。
特に父のように強固な意思を持つ者には尚更だ。
何時、どんな事が切っ掛けで暗示が解けるか分からない。
その危険性を軽減する為に、そして、それは他の誰でもなく右大臣サンダー・フォル・レオニス自身の意志で為された事とする為に。
ブラッドは長い歳月をかけて少しずつ父の心を コントロールしていったのだ。
恰も、それが父自身の考えであるかのように……。
「仮令、現時点で陛下がそれをお望みではなくても、結果として世界の王の座にお就きになられれば、よもやそれを要らぬとは仰せになりませんでしょう? この世の支配者の座を拒む者など居りますまい? レオニス閣下、陛下が為さらぬのであれば、代わりに貴方が為されば良いのです。そして、その座を陛下にお捧げすれば、陛下もその光栄に浴して下さるは必定! それに何の問題がございましょうか?」
「何を、言っている!? 陛下がそんな事をお許しになる筈が……」
「ですから! 閣下が世界を手に入れるまでの間、陛下にはそのような喧騒から離れ何処か静かな場所でお暮し頂けば……」
「な……っ!? それは、陛下に御退位頂く……という事ではないのか?」
「まあ言葉を変えれば、そういう事になりますかな。陛下には御不自由をおかけするとは思いますが、それも一時の事。世界を支配するには極力それを回避したとしても、無血という事はあり得ません。それを陛下にお見せする訳にはいきませんでしょう? そんな事をすれば、あの心優しき御方がどれほど御心を痛められるか。ですから……」
「それ以上は言うな! ブラッド、私は陛下の御望みにならぬ事を為すつもりは毛頭ない! 今の話は聞かなかった事にする! 其方もそのような事は二度と口にするな!」
そうブラッドの言葉を一蹴した父だった。
けれど――
ブラッドは折に触れ、狡猾に、そして言葉巧みに父の心を支配していった。
それは恰も呪いのように、ゆっくりと時間をかけて……。
…───…───…───…───…───…───…───…
そして、父は蜂起を決意する。
レグルス陛下に一旦、御退位頂き、何処か静かな場所で暮らして頂く。
そう言えば聞こえは良いが、それは実質的には「幽閉」に他ならない。
そんな事を陛下や周りの者たちが許すべくもない……と承知していたからこそ、父は力に因って事を為すしかなかったのだ。
しかし、出来る事なら誰も傷つけたくない。
それ故に、父は“その日”を王子殿下のご生誕の祝賀の日とした。
その警備の一切を任されていた父には打って付けの好機の筈だった。
世界を征服するという父の目指す覇道が、レグルス陛下の御意志ではなく、サンダー・フォル・レオニスの独断だという事を……。
サザンの実権は今、己にあるのだという事を世界中に知らしめる為にも!
だが、そんな父の思惑とは裏腹に、事態は全く予期しなかった最悪な方向へと突き進んで行く――




