~第一話~
小鳥の囀りが聞こえる。
カーテン越しに射し込む柔らかな陽光。
俺が意識を取り戻したのは、それから三日後の事だった。
薄っすらと目を開けた俺に気づいたセレナとハマルが
「ロト、気がついた? 良かった!」
「オリオニスお兄ちゃん!」
ほぼ同時にそう言って、安堵の笑顔を見せる。
「ぼく、父さんたちにお兄ちゃんが目を覚ました事、伝えて来るね!」
そう言うや否や、ハマルは部屋を飛び出して行った。
その元気なハマルの声を聞いて俺は
「そうか、みんな無事だったんだな」
大切な者を失わずに済んだ喜びを噛み締めた。
しかし……
「セレナ、此処は? ツイホォン……は? あれからツイホォンはどうなったんだっ!?」
徐に蘇った伝説の魔獣の記憶に、俺はそう言いながら思わず飛び起きた。
「痛ッ……!」
その途端、背中に走る激痛。
「ロト、そんなに急に動いちゃダメ! また傷口が開いちゃう。未だ横になってないと。此処はトゥバン・クリューゲルの屋敷よ。皆も居るし、だから安心して」
「そんな訳にはいかない。俺は……」
その時、ハマルと共にトゥバンとタラゼド、そしてルクバーが部屋に入って来た。
「ロト様、未だ起き上がったりしては……」
俺の姿を見るなり、心配そうに駆け寄りながらトゥバンがそう窘める。
「トゥバンさん、俺は大丈夫だ。それより、ツイホォンは?」
「やれやれ、貴方様という御方は……。そんな事をご心配なさいますな。余計な事はお考えにならず、今はご自分のお身体の回復だけを御心がけ下さいませ」
「でも……」
「大丈夫ですよ、ロト王子殿下。ツイホォンはあれ以来、一度も姿を見せておりません。他所に出現したという報告も今のところはありませんし」
ルクバーがそう答えた。
「じゃあ、あの時ツイホォンは瞬間移動じゃなくて、異空間に去ったって事なんだな?」
「はい、多分そうではないかと」
「…………」
何故、ツイホォンはあそこで攻撃を止めたんだろう?
どうして急に異空間に去った? 俺を殺す絶好の機会だったのに?
あいつは俺を憎んでいる筈なのに……。
そこまで考えて、俺は自身の思考に愕然とした。
ツイホォンが俺を憎んでる? 何で!?
俺はあんな魔獣なんか知らない! 相対したのもあの時が初めてだ。
なのに、何でツイホォンが探しているのは自分だと、俺は確信していたんだろう?
「……ト様? ロト様!?」
「えっ?」
「大丈夫ですか? やはりお身体の具合が……傷が痛みますか?」
タラゼドが心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「あっ、いや……ちょっと考え事してた。それより何の話?」
「はい、ツイホォンが異空間に去った今の内に、アマラントの青い石の所在を掴む事が最優先だという話をしていたのですが……」
「何か、アマラントの青い石の封印場所に心当たりはあるのか?」
「その事なのですが……伝承にはアマラントの青い石を封じた具体的な場所を指し示すものは何もありません。しかし、封印場所を知っているという人物が現れて、我々も困惑しているのです」
「封印場所を知っている人物?」
「はい。しかも、その人物はロト様、貴方のお知り合いの方のようなのです」
「俺の、知り合い!?」
「二日ほど前に、貴方を訪ねてお出でになられました。ですが、こういう状況でしたので、貴方の意識が戻られるまでお待ち頂いていたのです」
「誰なんだ? 俺の知り合いって?」
「全身黒装束の旅の占い師です。『占い師のお婆が尋ねて来た』と貴方に伝えれば分かると」
「占い師のお婆っ!?」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
遠い潮騒の調べが聞こえる――
そう思わせるような、心に染み入る低音のハスキー・ボイス。
俺が好きだった“占い師のお婆”の声。
「久しぶりだね、ロト」
彼女は俺を見るなり、落ち着いた優しい声でそう言った。
「お婆、どうして此処にっ!?」
彼女に最後に会ったのは、俺の13歳の誕生日の前日だった。
あれからまだ八ヶ月余り。
けれど、俺にはもう何年も前の出来事のように感じられた。
自分は普通の子供だと信じて疑わなかった、もう二度と戻れぬ懐かしい日々──
「私は諸国を巡っているからね。お前がこのアル・サドマリクに辿り着いた事も風の便りで知っていたよ。伝説の魔獣ツイホォンの復活も然り。お前にはアマラントの青い石が必要だと思ってね、だから伝えに来た」
「…………」
何で、そんな事をお婆が知っている?
……という疑問よりも、それは当然の事なのだと納得している自分自身に驚いていた。
「やはり、御存知の方なのですね」
「ああ。スィーで居た時に世話になった人だ。この人は信頼出来る人だから」
タラゼドの問いに俺はそう答えた。
「アマラントの青い石の所在を御存知なのなら、早速場所をお教え頂けませんか? お婆様、事は急を要しますゆえ」
「ああ。私はその為に此処に足を運んだのだから、それは構わぬが……アマラントの青い石の封印を解けるのも、使えるのもロトだけだよ。だが、今のロトでは無理だろう? もう少し傷が癒えねばな。封印を解くにはそれなりの体力が要る」
「えっ?」
意外なお婆の言葉にその場に居た全員が驚いた。
「俺だけしか、使えない? お婆、それはどういう意味なんだ?」
「アマラントの青い石は“只人”が手にしても何の効力も発揮しない。あれを使えるのは“力”を持つ者だけだ。その点で言えば、能力者であれば石を使う事は可能だが、その効力は使い手の能力に左右される。しかし、石を護る結界を通れるのはロト、お前だけなのだ」
「結界を通れるのは俺だけって、それはどういう……?」
「その理由を、今お前が知る必要はない。いずれ分かる事だ」
「でもお婆、俺は力が……っ!」
「知っているよ。……こっちへおいで、ロト」
お婆は俺を自分の傍に招き寄せると俺の両手を握りしめた。
「ロト、お前は大切な人を失った時、こんな力は要らないと願ったね? そのお前の想いが、お前の力を封印してしまっているのだよ。だから、お前は力を失った訳じゃない。“力”は何時もお前と共に在る」
「でも、肝心な時に使えなかった! 無くした訳じゃないなら、何で!? 力が欲しいと願っても、力は発動しなかったんだ!!」
辛い記憶が蘇る。
セレナを護りたいと思った時も、ハマルたちを助けたいと願った時も、“力”は発動しなかった。
そう……“力”は何時も俺を裏切る!
「ロト、人の心は数学の方程式のように簡単なものじゃない。力が戻るには切っ掛けが必要だ。お前が『力が欲しい』と心底願っている今なら、アマラントの青い石の結界に触れる事は、その切っ掛けになるかもしれないよ」
(尤も、ツイホォンと接触した事で、思念波は若干戻ったようだが。だからこそ、あやつはお前を見つけられたのだろう。……でなければ、あの暗闇であやつにとっては豆粒に等しい人間を識別するのは不可能だったろうからな)
「力が、戻る?」
「どうした、ロト? 嬉しくはないのか? 何故、躊躇う? 再びツイホォンを封印する為にも、お前がこれから次代のサザン王としてサンダーの手から国を取り戻す為にも“力”は必要不可欠だろう?」
「お婆まで、そんな事を言うんだな。確かに力を取り戻したいと思う。みんなを助けたいって、俺だって思ってるよ! でもそれは、サザンの王子としてじゃない! 俺の後ろに父上や英雄王の姿を重ねるのはやめてくれ! 俺にはそんな力も価値もないんだ! 俺は、俺の所為で誰かが犠牲になるのはもう嫌なんだ!!」
「ロト、それは……」
「それは違うよ、お兄ちゃん!」
セレナの言葉を遮るようにハマルが叫んだ。
「ハマル?」
「確かにぼくは、英雄王様にもレグルス様にも憧れてた。肖像画のレグルス様を見て『何て綺麗で優しそうな方なんだろう』って、ずっと思ってた。レグルス様の髪と瞳を青銀とエメラルド・グリーンに置き換えて、ぼくは英雄王オリオニス様の姿を想像したりしてたんだ。お兄ちゃんを見た時、ぼくの思い描いた通りの姿だったから、本当にびっくりしたんだけど」
「…………」
「でもね、お兄ちゃん! ぼくがお兄ちゃんを“オリオニス”って呼んだのは、そんなんじゃないんだ。お兄ちゃんは何時だって、ぼくの事を心配してくれてた。傷つきながら、勝目がないって分かっていながら、あの伝説の魔獣にさえ立ち向かってくれた。力があっても、なくてもお兄ちゃんはお兄ちゃんだよ。英雄王もレグルス様も関係ない!」
「ハマ、ル……」
(お兄ちゃんは何時だって自分の事より他人の事ばっかり考えてる。だから傷つく。だから、何時も辛そうで……。でも、お兄ちゃんはその哀しみに負けたりはしないんだ。誰よりも優しくて強い――どんな宝石よりも綺麗なお兄ちゃんの心。だからこそ、尊い)




