〜第二話~
ギリギリと首が絞まっていく。
「や……ろ……」
このままでは気道が圧し潰されて息が出来ないどころか、首自体をへし折られてしまう。
それ程マールの力は強い。否、容赦がない。
「や……めろ、マ……ルっ!」
ロトは渾身の力でマールを突き飛ばした。
否、ロトの叫びにマールの力が一瞬弱まった事で、彼から逃れる事が出来たと言っても過言ではなかった。
「ゲホ……グッ、う……っ、グフッ……」
その途端、開放された気道に空気が流れ込んでロトは咽返った。
あまりの苦しさに涙が零れる。
思わずその場に蹲りそうになったが、そろりそろりと此方に近付いて来るマールの姿が視界の端に映って何とか踏み止まった。
そしてロトもまたマールとの距離を取る。
「ロト……ごめんなさ、い。早く此処から、ううん……僕から逃げて!」
「マール……」
そんな事出来る訳ないだろう――そう叫びたい気持ちを辛うじて押し止める。
ロトにはマールの苦悩が手に取るように分かる。
彼は自らの意思通りに動かぬ身体と必死に戦っている。
抜け目のないアークトゥルスの事だ。
マールの身体をESPに耐えうるように改造した際、彼の記憶が戻った危険性も想定していたに違いない。
だからアークトゥルスはマールの身体に更に手を加えたのだ。
いくらESPを駆使した戦いだと言っても、相手に一度も触れる事無く戦闘が終了するなど皆無に等しいだろう。
そうなれば、アマラントの青い石の力で増幅された接触テレパスの能力でロトの記憶を読み取り、それに因って記憶が戻るであろう事は想像に難くない。
事実、前の戦闘の折、記憶を消されてはいても、自らの意思で戦っていたマールは決して全力ではなかった。
恩人(と信じている)アークトゥルスの敵だと認識はしていても、本来の優しさが災いして何処かで手心を加えていたからだ。
それ故に、ロトが他所事に気を取られてマールの攻撃を食らった刹那、マールは思わずロトを気遣った。
だから接触テレパスの能力は発動したのだ。
「マールの体内に、ナノマシンが埋め込まれている……」
マールの身体を透視能力で走査したロトは、バイオテクノロジーで作られた人工心臓に直径10nmのナノマシンが埋め込まれている事を探り当てた。
だがウイルスサイズのそれは、透視したからと言って肉眼で視認出来るものではない。
その気になれば原子レベルのものさえも見極められる視覚能力を持つロトだからこそ、発見する事が可能なものであった。
「あれでマールの身体を操ってるのか? なら……」
何の医療器具も医学的知識も無しに、ナノマシンを体内から取り出す事など不可能だ。
だがロトは200年という時間を無駄に過ごして来た訳ではない。
その時々で身に付けてきた技術や知識。
その中には医療に関したものも少なからずある。
そして、ロトの万能の能力者という技量もまた伊達ではない。
物質を瞬間移動させる能力やナノテクノロジー(10億分の1メートルの寸法単位で加工・製作するための技術)を再現出来る分子レベルの念動力を持つロトだからこそ、その能力をを複合させてマールの身体からナノマシンを摘出する事が可能となるのだ。
けれど、マールはじっとしている訳ではない。
自らの意思とは関係なく、ロトに攻撃を仕掛けて来るマールの身体からナノマシンを取り出す事など不可能に近い。
――何とかして、マールの動きを止めなければ――
「許せ、マール!」
意を決したロトが、マールの身体の動きを止める為に力を振るおうとした刹那
《それはダメだよ、ロトくん》
総帥の間に"声"が響いた。
それはアークトゥルスの立体映像が座っていた椅子の背後に設えられている"ステンドグラスを思わせる淡い七色の光を放つ石にもガラスにも見える物質が埋め込まれたようになっている一画"から聞こえて来る。
「博士! 否、ツイホォンか!」
どうやらそれが、肉体を持たぬツイホォンの意志を伝える為の媒介らしい。
姿を投影させるかどうかは、その時々に因って変わるのだろうが。
《マキュールくんの体内に埋め込んだナノマシンに気づいたのは流石だね。でも、それを取り出しちゃダメだよ》
「何っ!?」
《そんな事をしたら、マキュールくんの命が危ないよ。彼の心臓は、ナノマシンを介して私の端末が動かしているからね》
「っ!」
私の端末。
そう――宇宙船の事故で身体を失った……否、博士アークトゥルスは死んだと世間に信じ込ませる為の偽装工作は、彼が惑星ゴーガとなる為の儀式でもあった。
自らの脳を、意識を、魂を――ゴーガのメイン・コンピューターに移植し、彼は惑星そのものとなったのだ。
それが、永遠の命と無限の能力を持つと謳われた伝説の超能力者と互角の存在となる為の彼の選択であった。
そして、それはアークトゥルス……否、ツイホォンにマールの命を握られているのと同義だった。
「マールが眠らされていた、あの冷凍冬眠カプセルに繋がっていたCPか?」
《ご名答! 流石はロトくんだね》
「ツイホォン、貴様っ……! 何でこんな事をする? 俺が憎いんなら、俺を殺せばいいだろう? 何故、関係ないマールを巻き込む!?」
《さあ、どうしてだろうね?》
ロトの問いに、ツイホォンは問いで返す。
だが淡々としたその口調に、僅かにそれまでとは違う別の感情が混じっている事にロトは気づかない。
否、気づく余裕はなかった。
「ロトっ、避けて!」
マールの叫びに、ロトは我に返って彼のESP攻撃を紙一重で躱す。
「マール……くそっ、一体どうしたら良いんだ?」
彼に反撃する事など出来る筈がない。
ロトは防御壁を展開して防御に徹するより道は無かった。
だが延々とこの状態を続ける訳にはいかない。
アマラントの青い石そのものであるロトとは違い、マールは石の力を使う度に命を削るようなものなのだ。
「ロト……」
そんなロトの焦りも、何としてもマールを助けたいという想いも……
全てを分かっていて
否、分かっているからこそ、マールの心は血を流す。
――ロト、もういいから――
君と再び会えて、君と話せて僕は幸せだから。
もう充分だから……僕を置いて此処から逃げて!
君を傷つけるなら、君を苦しめるなら……
僕なんて、この世に存在しない方がいいんだ!
誰か……
誰か、僕を殺して!
それが無理なら……
せめて、この身体が動かないように!
お願いです!
僕をこの身体から解放して下さい――――っ!
そう心から願った瞬間、突如マールの身体に異変が起こった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『え……っ?』
気がつけば、マールの身体は遥か上空に居た。
異様に天井が高い総帥の間のその天井近く、マールの身体はふわふわと宙に浮いている。
『これは、一体……?』
透き通る身体。
下方でロトに容赦ない攻撃を仕掛けている己の姿が見える。
『僕は死んだの? それともこれは、幽体離脱?』
どちらにしても、自らの意識が肉体から解放された事に違いはなかった。
『僕の願いを神様が聞き入れて下さったのだろうか?』
――でも、これなら――
肉体から離れた今、物理的攻撃は不可能だが、ESPは使える可能性がある。
『僕の心を、僕の願いを……力に変換する!』
そう心を決めたマールはロトの許へと降りて行く。
――ロト、君は気づかなくて良い。僕だけ、ごめんね。……ずるいよ、ね。
でも……最期にもう一度だけ、君に触れたい――
マールはそう思った。
けれど……
『ロト、僕が分かるの?』
「ああ。やっぱり、マールなんだな!」
『僕の声も聞こえてるんだね?』
「ああ、思念波とは少し違うみたいだけど……」
マールの肉体から彼の精神が離脱した瞬間、彼の瞳から"光"が消え失せた事にロトは気づいていた。
それと共にマールのESPが格段に撥ね上がった事も、彼の身体を意思の力で抑え込もうとしていた精神が、もう肉体には無い事の証明でもあった。
――君が僕に気づいてくれた。それだけで、充分だよ――
『ロト、申し訳ないけど……もう少しだけ、僕の身体の相手をしてて』
「えっ?」
『僕の邪魔をされると困るから』
「マール……お前、一体?」
『僕があのCPを止めるよ』
「何を、馬鹿な! そんな事をしたらお前は……」
『じゃあ、ね……』
「ま、待て! 行くな、マール! マールっ!!」
だが……ロトの制止の声がまるで聞こえていないかのように、振り返る事無くマールは総帥の間の壁をすり抜けた。
『ごめんね、ロト。でも、僕は……』
「マール――――っ!!」
追いかけて行きたくても、行かれない。
跳躍しようにも、マールの身体の絶え間ない攻撃にそんな暇もない。
――誰か、マールを止めてくれ! このままではマールが!――
誰か……!
「ツイホォン! お願いだ。何でもする! お前の言う通りにするから、だからマールを……!」
――止めてくれ!――
しかし、ロトの叫びはツイホォンには届かない。
魔獣の心には響かない。
「マールの気が……消え、た?」
それは、精神体となったマールがあの部屋に辿り着いた事を示していた。
あそこは内側からの全ての"気"を遮断するのだ。
そう思った瞬間、立っていられない程の激しい振動がロトとマールの身体を襲った。
「これは……っ!?」
その直後、ナノマシンに因って操られていたマールの身体の動きがピタリと止まる。
そして――
崩れ落ちるマールの許へと跳躍したロトは、彼の身体を受け止めた。




