〜最終話~
「陛下を死に導いたのは、紛れもなくこの私。私は最も敬愛する人物を自らの手で死に追いやった愚か者。……そんな事は重々承知しています。けれど、そんな私に見す見す操られ、誰よりも大切な主君を己が手に掛けた大罪人が居るのだと。その男を憎み、見下げる事で私は自らの心の安定を得ていた。この男は私より遥かに可哀想な男なのだ、とね」
そう語るブラッドの言葉には何処か自嘲的な響きが込められていた。
そして「内乱を起こした直後なら兎も角、私がサザンの実権を掌握した後もサンダーを生かし続けたのはその為です」と付け加えた。
「サンダーの本心に気づいていたのに?」
「ええ。様々な方便で私を説得しておりましたよ、滑稽なほどにね。世界侵略の足掛かりはまず隣国から――サザンと並び称されるアル・サドマリクからが妥当だというのに『アル・サドマリクを攻めるのは後回しにしろ。あの国に下手に侵攻すれば"魔獣"の復活を促す恐れがある』とか、ね」
「…………」
「世界を壊したい私には魔獣の復活は願ったりの事でしたがね。一気に滅ぼしてしまっても面白味はないですし、サンダーが最も護りたい国を壊す楽しみを最後に取っておくのも面白かろうと承諾しました」
だから、アル・サドマリクは平和だったのか?
公然と対サザンを宣言し、反サザン勢力を擁護していたにも関わらずブラッドが黙認していたのは、そういう理由だったのか?
「貴方の事に関してもですよ、ロト王子殿下。『ロト王子の生存を公にはするな。各地に燻る反サザン勢力が一斉蜂起する火種になる。あくまでも秘密裏に抹殺せよ』と尤もらしい理屈をつけておりました。貴方を護る為だという事は一目瞭然でしたがね。奴の息子も常に貴方の傍に居りましたし」
「やっぱり知ってたんだな」
「ええ、滑稽でしたよ。私の掌の上で踊らされているとも知らず、足掻く様は」
「っ!!」
一瞬、頭に血が上った。
ブラッドを殴り倒したい衝動を、拳を握り締める事で辛うじて堪える。
どうも俺は、ハロルドの事を悪く言われると冷静ではいられないらしい。
自分を落ち着かせる為に一呼吸置いてから、俺はブラッドに問いかけた。
「今回の事も?」
「ええ。奴の息子がアガスティーア・エルゲバルで我が一族とサンダー精鋭軍を一人で迎え撃ち、奴は私の息の根を止める――なんと杜撰な計画よと思うておりました。サンダーに私が死んだと思い込ませるのは簡単でしたよ、マインド・コントロールが効かなくてもね」
やはり気づいていたのか、サンダーの手の甲の傷に。
死して尚、サンダーを護る父上の光を……ブラッドはどんな想いで見つめていたのだろう?
でも違うんだ、父上は……。
「けれど、まさかアガスティーアがああも簡単に落とされるとは! 漆黒の悪魔一人に全滅させられるとは……我が一族も存外に不甲斐ない」
「そ、そんな言い方っ! あそこにはあんたの娘だって居たんだぞ!」
そう言いながら俺は、俺の中に流れ込んで来たブラッドの記憶の断片を思い出す。
俺の父が死んで、内乱の混迷が一応の収束を見せた後、ブラッドは『これはどういう事なのか? 何故、レグルス陛下を?』と一族の者たちに詰め寄られた。
ブラッドは顔色一つ変えず『これが私の決意だ。大恩あるレグルス陛下の御命を奪ってまで選んだ道。もはや後戻りは出来ぬのだ!』と言い放ち、一族の者たちの反論を一切許さなかった。
そして一族は輝かしい未来を捨て、血塗られた道を歩む。
ブラッドが一番護りたかったのは一族の安寧ではなかったのか?
父が事切れた瞬間からブラッドの心もまた壊れてしまったのか?
いや、まだ間に合う筈だ!
凍りついたブラッドの心の奥底に封じ込められた、魂の燈火は今も完全に消えてはいないと俺は信じたい!
「ブラッド。あんたは何故、そんなに自分で自分を貶めるんだ?」
「……?」
「あんたは誰よりも情深くて、責任感が強い人間だった」
「な……っ? 何を、馬鹿な……」
「だからあんたは余計に許せなかったんだ。一族を護れなかった自分自身を!」
「っ!!」
だからブラッドは自分を責め続けた。
己を頼って集いし同胞を……
必ず護ると誓った仲間たちを、むざむざ死なせてしまった悔恨を……
サザンで安寧を手に入れた後も一時たりとも忘れた事はなかった。
そうでなければ悪夢に魘されたとしても、ブラッドが選択を間違える事はなかっただろう。
無念に死んで逝った者たちの復讐か? それとも、生きている者たちの未来か?
どちらを選ぶか苦悩はしても、千辛万苦の果てに一族の未来を選んだ筈なんだ。
けれどブラッドが死んだ者たちに抱き続けた罪悪感は、彼の思考能力を狂わせた。
夢の中で彼らに責められた時、ブラッドは"自分だけが幸せになっていいのか?"と錯覚してしまったんだ。
彼らの不幸に目を背けて自分だけが――と。
復讐と己の幸せと――
二つを天秤に掛けたなら……いや掛ける必要もなく答えは決まっている。
ブラッドは己の幸せを捨て去るしかなかった。
「あんたも本当は待ってたんじゃないのか? サンダーと同じように自分を止めてくれる人間を。この復讐劇に終止符を打てる日を! だからあんたは無意識のうちに手心を加えてたんだ」
「手心?」
「ああ。サンダーが何を言ったところで、あんたがその気になれば俺の命なんて疾うに無かった筈だ。アル・サドマリクの事だって、サンダーに止められたからじゃない。あんた自身がアル・サドマリクを滅ばしたくなかったんだ。サザンを奪ってしまったあんたは、父上の第二の故郷でもあるアル・サドマリクを最後まで残しておきたかったんだ」
「違っ、私はそんな……」
「サンダーの命だから仕方なく従っているのだという大義名分が、あんたには必要だったんだ!」
「……っ!!」
畳みかけるような俺の言葉に、ブラッドは明らか動揺していた。
俺はブラッドの両手を握りしめ……
「ブラッド、あんたに父上の最期の言葉を伝える」
「陛下の……最期、の?」
「ああ。父上は母上とハーリスに『誰も恨むな。罪は全て私が背負って逝くから』と。そして、あんたに『貴方を責める者など存在しない。貴方は本当によくやった。だからもう楽になってほしい』と」
「……陛下が、私に? 私を責める者は……居ない、と?」
「ああ!」
ブラッドを苦しませた悪夢は、ブラッド自身の罪悪感が創りだしたモノ。
ブラッドは自分で自分を追い込んでいった。
父は多分、その事に気づいていたんだろう。
けれど、己の居ない世界なら壊せる等という考えにブラッドが行きつくとは考えもしなかった。
内乱が勃発した事実を知った時、父は己の考えの至らなさを嘆いた。
「死んだ者が望むのは復讐なんかじゃない。残された者の幸せだ。彼らはあんたに感謝こそすれ、恨んだりなんかする筈がない! だからもう自分を責めるなと。あんたは幸せになっていいんだと……父上は言いたかったんだ!」
「そ、そんな……そんな事……。レグルス陛下、貴方は何故、何時もそんな……」
震えるブラッドの手が俺の手を振り払い虚空を彷徨う。
ブラッドの瞳は俺を通り越して、其処には居ない筈の誰かを見ているようだった。
――父上?――
そのブラッドの視線を追って、思わず視線を動かそうとしたその刹那……
俺は思いっきりブラッドに突き飛ばされた。
「痛っ……」
予期せぬ衝撃に無防備に倒れた俺は、床に思いっきり右肩を打ち付けた。
「ブラッド、何をす、る……」
その右肩を庇いながら、ブラッドの方に向き直った俺が見た光景は――己の短剣を胸に突き刺し、その傷口から大量の血を流してその場に突っ伏したブラッドの姿だった。
「な……っ! ブラッド……あんた、何で!?」
思わずブラッドに駆け寄って、彼の身体を抱き起す。
「ロト……王子殿下、貴方の能力は……レグルス陛下から譲り受けられたもの、大切になさいませ」
「……何を言ってるんだ、こんな時に!」
サンダーの傷痕に宿った"光"を見た時から、薄々気づいていた。
父は多分、能力者だったのだと。
だからこそ、サンダーのマインド・コントロールを解き、念動力を弾き返す事が出来た。
隠し通路の扉を閉じる瞬間、己の最期を予知してあの言葉を遺したんだろう。
「陛下の御力は潜在していて、目覚めていた訳ではありません。貴方と違ってその必要もなかったでしょうし。けれど、そのお立場上……人を見極める力は必要だった。悪しき者に惑わされて国に憂いを齎す事は許されない。その為に心を遮蔽する術を会得されていた。陛下御自身に自覚はなかったでしょうけれど……」
「ああ、解ってる! だから、もう喋るな!」
俺はブラッドの傷に手を当てて心霊治療を試みる。
兎に角、止血しなければ……そう思った。
「私は一度だけ、陛下にマインド・コントロールを試みた事があるのですよ」
「……っ!?」
「勿論、陛下を操る為ではありませんよ。まあ、それが出来れば内乱を起こすより手っ取り早いですけどね。サンダーではなく、私を腹心の友だと思って下されば、と。……見事に失敗しましたが」
そう言って苦しい息の下にも関わらず、ブラッドは僅かに口角を上げた。
「その折に陛下の御力に気づきました。貴方がお生まれになった時も同じものを……いや貴方は陛下よりも、もっと……」
「分かった。もういいから、黙ってろ!」
――どうして、こんな事になるんだ?――
憤りでブラッドの傷口に翳した手が震える。
その俺の手にブラッドはそっと触れながら……
「これで良いのですよ、ロト王子殿下。私は貴方やレグルス陛下、そしてサンダーのようにはなれない。己の罪を自覚して生きていけるほど……強くはないの、です」
「ブラッド……」
ブラッドは心を凍てつかせていたからこそ、"生きて"いられたのか?
サンダーを陥れたのも、父を弑逆したのも、世界への復讐も……心を殺さなければ、実行出来なかったから?
ならば、俺がやった事は……?
「私の犯した罪は……決して、許されるものではありません。けれど、生き残った者たちに罪はな……い。彼らは族長の命に仕方なく従ったのです。ですから、どうか……」
生き残った一族の者たち――アガスティーア・エルゲバルでの戦闘に参加したなかった者。
老人や子ども、そして戦う為に特化した能力を持たぬ者たち。
「そんな事は分かってる! 俺は彼らを責めるつもりはない。でも生き残った一族を護るのは俺じゃなく、あんたの務めだろう? あんたは死んじゃいけないんだ、彼らの為にも!」
「…………」
ブラッドは黙って首を横に振った。そして……
「貴方は本当に陛下によく似ておられる……その御姿も、御心も……」
そう言いながら、ゆっくりと手を伸ばす。
「……へい……か。レグルス、陛下……」
父上?
やはり父上がいらっしゃるのか?
「ああ……貴方は、こんな私にも……手を差し伸べて……下さ……る…………」
ブラッドの手の先に微かに感じる温かな光。
その光が消えた瞬間、ブラッドは事切れた――
「ブラッド……っ!」
彼の死に顔は穏やかだった。
あの光――
父レグルス・ナスルはサンダーとブラッドを迎えに来たんだろうか?
俺は彼らの心を救えたのか?
父とハロルドの願いを叶える事が出来たんだろうか?
けれど心の底から込み上げて来るのは、二人の命を救えなかった悔恨。
何故? どうして、こんな事になった?
一体、誰が悪かった?
一体何処で、ボタンを掛け違えてしまったのか?
そして掛け違えたボタンを、何故最後まで掛け直す事が出来なかったのか?
誰もが私利私欲ではなく、大切な者の為に動いた筈なのに……
何故、こんな哀しい結末を迎えねばならなかったんだろう?
人は――人間という生き物は、なんと愚かで傲慢で、弱くて……
なんと強く優しく、尊く……そして、哀しいのか。
俺はただ、悔しくて切なくて……後から後から溢れ出る涙を止める事が出来なかった。
どうか今だけは、心のままに泣かせてほしい。
再び立ち上がった時には、俺はもう涙を拭っているから。
だから、どうか今だけは――!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
王城から姿を現した俺の姿を見つけて、セレナが……
そしてタラゼドたちが駆け寄って来る。
こうして、長きに渡った内乱は終止符を打った。
それはサザンに――
そして世界に訪れた14年ぶりの平穏。
けれど、それは同時に……
俺の新たなる戦いの幕開けでもあった――
次回はエピローグです。
エピローグは後日談ではなく、プロローグの続きになります。




