~後篇~
「姉上……っ!?」
その女性を見た刹那、私は“姉グロディアが何故こんな処に居るのか?”と一瞬、我が目を疑った。
柔らかな日差しを受けて輝くパール・グレイの髪が青銀に見えた事もあるが、彼女の面差しは最愛の姉によく似ていた。
けれど、彼女からは姉から受ける清冽な印象は微塵も感じられない。
面差しこそは姉に似ているが、受ける印象はどちらかと言うと義兄に近かった。
たおやかで儚げな花の風情。
それが彼女の鴇色の瞳にぴったりで、私は暫し……その女性に見惚れていた。
姉とは対照的な鴇色(紫を帯びた淡いピンク)の瞳。
「貴方は、もしやアル・サドマリクの次期様……アドラ・ジャウザ王子殿下ではございませんか?」
「は、はい……私を御存知なのですか?」
その人が私を知っているという事に驚きを隠しきれず、思わず声が上ずってしまったが、私は動揺を悟られまいと殊更に平静を装いながら
「……失礼ですが、貴女は?」
そう訊ね返した。
「これは不躾な事を致しました、アドラ・ジャウザ様。わたくしは、リーンシャルリーヌ・エル・ゼ・ルチオフェルと申します」
「ルチオフェル……? それでは、貴女は?」
彼女は小さく頷きながら、たおやかに微笑んだ。
リーンシャルリーヌ姫……確か、ルチオフェル王家の第一王女殿。
そう言えば、少し体調を崩していて今日の宴には出席出来ない……とか何とか、聞いたような?
体調がお悪いのに、こんな処で歌なんか歌ってて大丈夫なのか?
風は冷たい、身体にでも障ったら――─そう思ったが……
「(歌を)続けても、宜しいですか?」
と彼女に訊ねられて
「あ、あぁ……お手を止めてしまって申し訳ありませんでした。私の事はお気になさらずに。ですが今暫く、貴女の歌とハープの音を聴かせて頂いても構いませんか?」
思わず、そう聞き返した。
彼女は少し驚いたような顔をしたが
「お耳汚しかとは存じますが……」
恥ずかしそうに俯き加減にそう言った後、手にしたハープを奏で始めた。
美しいハープの音と心地良いメゾソプラノの歌声。
そう――彼女の声は私の心にストレートに入ってきたのだ。
私は暫し刻の経つのも忘れて、彼女の声に聴き惚れていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
全ての妃候補との顔合わせが終わり、本国に帰った私は父王から
「皆、麗しい姫ばかりであっただろう? どうだ、其方好みの姫は居られたか?」
と訊ねられて
「一度や二度お会いしただけで、生涯の伴侶を選べと仰られても困りますが……父上、もう一度私をルチオフェルに行かせて頂けませんか?」
その私の言葉に、彼の国に意中の姫が居るのだろうと思った父は、二つ返事で私のルチオフェル行きを許可してくれた。
妃候補の由緒正しき家柄の姫君たち。
確かに皆、美しい姫ばかりだったような気もするが、残念ながら顔もよく憶えていない。
会話を交わしたのは、お互いの名を名乗った時だけ。
後はただ、ハープの演奏と歌を聴いていただけだった。
それなのに私が鮮明に憶えているのは、パール・グレイの髪と鴇色の瞳の歌姫ただ一人。
どうして私は、あの女性が忘れられないのか?
…───…───…───…───…───…───…───…
「リン……。貴女をそうお呼びしても構いませんか?」
私は不躾なのを承知でそう切り出した。
“リーンシャルリーヌ”という名は美しい響きだし素敵な名だとは思うが、どうにも長くて会話の中では呼び辛い。
一瞬、彼女は驚いたような顔をしたが
「リン……可愛い響きですね。わたくし、愛称で呼んで頂くのって初めてです。ありがとうございます」
そう言って、嬉しそうに微笑んだ。
リンは、私より五歳年上だった。
生まれつき病弱な彼女は、華奢で儚げで、宴でお会いした第二王女や王家所縁の姫君たちよりも歳若く見える。
まるで少女のように純真で、可憐で。
けれどハーブを奏で、詩を歌う事で胸に秘めし想いを語る女性。
彼女は物静かで、私の話を何時も微笑みながら聞いていてくれた。
別段、取り立てた会話をする訳ではなかったが、彼女と過ごすしっとりとした時間が私は好きだった。
彼女が傍に居るだけで周りの景色が輝いて見える。
「ああ……やはり私はこの方が好きだったのだな。多分、初めてお逢いした時から」
そう気づくのに時間はかからなかった。
それは正に三度目の“恋”。
二度の恋は、その想いを伝える事さえ叶わぬ相手だったが、此度は違う。
誰に憚る事もない。
だが、そう思った矢先……私は突然、父王に本国に呼び戻された。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ルチオフェルの第一王女殿、だとっ!? 何故、選りにも選って……第一王女殿なのだ!? 他にも美しく優れた姫は沢山居ろうに、何故っ!?」
国に帰り、私の意中の姫はルチオフェル王家の第一王女リーンシャルリーヌ姫だと父王に伝えた私を待っていたのは、全く予期しなかった父王の怒りと落胆の言葉だった。
「妙な噂を耳にしたので、な。間違いが起こる前に、早々に其方を呼び戻して正解だった。何かあってからでは先方にも申し訳が立たん」
「妙な噂? 一体、何を仰ってるんですか? リーンシャルリーヌ姫の何処が不服だとっ!?」
「不服も何も、手の早い其方の事だ。第一王女殿と何かあってからでは遅いのだ!」
「ち、父上っ! 私を何だと思ってらっしゃるんですか!?」
……と反論したものの、そう思われても仕方がない。
今までの私の所業を考えれば、完全に自業自得以外の何者でもなかったのだが……。
「彼女が私より年上だから、ですか?」
「そんな事は問題にはせん」
「……なら、何がいけないんですか? 彼女はルチオフェル王家の第一王女ですよ。そりゃあ~多少、身体は弱いかもしれませんが……」
「そう、それが問題なのだ! だからこそ、第一王女殿は其方の妃候補から外された。そもそも、第一王女殿は其方の妃候補ではないのだ! 私は"正妃は妃候補の中から選べ"と申した筈だ!」
「妃候補ではない? 身体が弱いからって……それだけの理由で、ですか?」
「何を申しておる? それが一番大切な事なのだ! 其方はこの私の後継、アル・サドマリクの次期ぞ! 病弱な身体で、第一王女殿に其方の子が生せるのか!?」
「そ、そんな事は分かりません! 子は天からの授かりものなのですから。けれど、健康だから授かるというものではないでしょう?」
「そんな事は分かっておる! 確率の問題を申しておるのだ。其方はより確実に、国の為、民の為、この世界の為に次代の王を得なければならないのだぞ。それが英雄王伝説を誇る、我が聖アル・サドマリク王国の嫡男として生を受けし者の当然の責務だ!!」
「…………」
そして私は当然の如く、父王から暫くの謹慎を命じられた。
…───…───…───…───…───…───…───…
「ご機嫌斜めですね~アドラ様」
「当たり前だ!」
「アドラ様の意中の方がリーンシャルリーヌ姫だったとは……。本当に貴方様は何時も何時も、恋してはいけない方に恋をされますね~」
「っ!!」
カイトスは呆れ顔でそう言った。
カイトス・アルフェラッツ――侍従の一人で、幼い頃から私に仕えている男だ。
歳が近い事もあって昔から気が置けない間柄ではある。
彼の歯に衣着せぬ物言いは、周囲からは敬遠されがちだったが、私は裏表のない彼の人柄を好ましく思っていた。
しかも彼は必要以上にデキる男で、兎に角鋭い。
上手く隠していたつもりだったが、私の姉に対する想いも義兄に対する想いも彼には筒抜けだった。
「ところで、アドラ様。引き裂かれた恋人気取りで悲嘆にくれるのは結構ですが、肝心のリーンシャルリーヌ姫は貴方の事をどう思われているのですか? 告白は、なさったんですよね?」
「…………」
至極の当然のようにそう言いながら私に同意を求めるカイトスの視線を、バツが悪そうに避けた途端……
「まさか、未だなんですか!? どうなさったんですか、貴方らしくもない! さっさと既成事実を作ってしまえば宜しかったのに……」
「カ、カカカ……カイトス! お、お前……な、何をっ!?」
思いっきり動揺している私を後目に
「まあ、それが出来ないほど本気で好きだ……という事なんでしょうね。貴方はお手はお早いですが、本気で惚れた者には指一本触れられない小心者ですから」
「っ……!!」
――こ、こいつは! 耳に痛い事を、よくもぬけぬけと!――
二の句が継げない私に、カイトスは大仰な溜息をつきながら
「何はともあれ、貴方は姫様のお気持ちを確認しないと埒が明かないですよね? 両想いなら兎も角、貴方の片思いでは話になりません。こんな処で思い悩んでいてもどうにもなりませんよ」
「そんな事を言っても、私は謹慎中の身だぞ」
「おやっ、そんな事で諦めるのですか? 父王様に逆らう気概もないとは情けない。私は貴方をそんな子に育てた憶えはありませんよ」
とワザとらしく泣き真似をする。
「……って、お前に育ててもらった憶えは私にだってない! だが、そうだな。お前の言う通りだ。何もしないで諦める……なんて事だけはしたくない!」
「そうそう! それでこそ、アドラ・ジャウザ様です。それに今使わないで、その小賢しい頭を何時使うのですか?」
「……お前なあ~」
本当に口の減らない奴だ!
私が寛大だからいいようなものの、主にこんな物言いをしていたら不敬罪で処罰されるぞ……と言ってやりたかったが、今度ばかりはこの男に感謝しない訳にはいかない。
カイトスの後押しもあって、私はこっそり城を抜け出して、ルチオフェルに――リーンシャルリーヌの許へ急いだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私は今まで、告白した相手に拒絶された事など一度もない。
だから私は高を括っていた。
きっとリンも私と同じ気持ちで居てくれる、私の想いを受け入れてくれる……と、そう信じていた。
しかし――
「アドラ様、貴方のお気持ちは嬉しゅうございます。けれど、わたくしは何方の許へも嫁がぬと心に誓っておりますので」
「それは貴女の御身体の事で……ですか? 跡継ぎを望めぬから?」
「はい……。絶対に無理だという訳ではありません。ですが、もし子を生せなければ肩身の狭い想いをするのはわたくしだからと……お父様やお母様と決めた事です。“王女”として生を受けながら、わたくしは国にも王家にも何のお役にも立てない。わたくしはそれが辛かった。……けれど、わたくしには歌がある。わたくしはこの城で生涯を過ごし、歌と琴で民の心を癒すのだと……。それがわたくしに出来る唯一の……」
「リン……」
「ですから、わたくしの事はどうか……」
そう言うと、彼女は私の許から走り去ろうとした。
「待って下さい! 貴女のお気持ちはどうなのですか? 身体がどうとか、王女としての立場がどうとか、そういう事ではなく……一人の人間として私の事をどう御思いですか?」
「……アドラ、さま?」
「私は貴女を誰よりも愛しています。多分、この庭で初めて貴女にお逢いした時から……」
「わ、わたくしは……」
「リン、私には大切な方が二人居ます。一人はもうこの世にはいらっしゃいません。一人は哀しみを乗り越えて生きようとされています。その御二人は私が決して焦がれてはいけない方たちでした。出来る事なら、私自身が幸せにしたかった。けれど、告げる事も許されない恋でした」
「…………」
「私が何より願ったのは、その方たちの幸せでしたから、私以上にその方たちを幸せに出来る者が居るなら、その方たちを託せる。私は黙って身を引こうと、“それでいい”と思っていました。そして実際、お二人はその方に巡り逢いました。でも、貴女は違うんです。勿論、私は誰よりも貴女の幸せを願っています。けれど、貴女を幸せにするのは私でなければならない。他の男になど渡したくはない! 独占欲丸出しの、貴女より五つも年下の子供の我儘だと思って下さっても構いません! 私が私である為に、私には貴女が必要なんです!!」
「アドラ様……。わたくしは、貴方にそんな風に思って頂けるような人間ではありません」
「いいえ! 貴女は御自身の価値を過小評価し過ぎます。貴女の価値を決めるのは貴女ではない。この私です! 私は貴女とならば、何処までも行ける。貴女が傍に居て下さるのなら、私はどんな事でも出来るんです!」
「でも、わたくしは……」
「私がお嫌いですか?」
「…………」
リンは無言のまま首を横に振った。
「ならば好き、ですか?」
「…………………………は…………ぃ……」
長い沈黙の後、彼女は俯いたまま消え入りそうな声でそう答えた。
「……多分、わたくしも初めてお逢いした時か、ら……」
「本当ですか?」
「でも、わたくしは……」
「それ以上は仰らないで下さい。貴女が私を受け入れて下さるなら……貴女が私の傍に居て下さるなら、私は何だって出来る! そう言った筈です。貴女との婚姻を、父にも貴女のお父上にも――他の誰にも反対はさせません。否、誰からも祝福して頂けるように根回し致します」
「アドラ様……」
「それに私は、もし貴女との間に子が出来なくても構いません。ですから、貴女がその事で御心を痛める必要などないのです」
「そ、そんな事は許されません! 貴方はアル・サドマリクの“次期様”なのですよ!!」
「大丈夫です。私には既に姫が二人居ます。いざとなれば、どちらかの姫が女王としてアル・サドマリクを継げばいい」
「でも……っ」
「それとも貴女は、側室の存在が気になりますか?」
「そんな事、は……」
「確かに私は今まで不誠実な男でした。……が、それは貴女に出逢うまでの私です。これからの私は違う! 未来永劫、私が愛する女性はリン……貴女一人です」
「アドラ様……」
そう、カイトスの言う“小賢しい頭”を今こそフルに使う時だ。
私はリンの為なら何だって出来る!
父王にも、誰にも“否や”を唱えさせたりはしない。
直接交渉は避け、まず外堀から確実に埋めて行き……
それから二年後、私とリンは皆から祝福されて無事に結ばれたのだった。
…───…───…───…───…───…───…───…
【おまけ(その後談)】
そうか、貴女はこの子の中に……。
貴女は何時も私たちの傍に居て下さったのですね。
「お父様、“リン”って……?」
「ああ、君のお母様の“愛称”だったんですよ」
「お母様、の?」
「ええ」
「お母様って、どんな方でしたの?」
「素晴らしい方でしたよ。美しくて、優しくて、繊細で儚げに見えるのに芯はお強くて。命を懸けて君を産んで下さった」
『王妃様の御命を御救いする為には、お腹のお子様はお諦めになられた方が……』
王室づきの主治医は申し訳なさそうに私とリンにそう告げた。
私は断腸の想いで"后を助けてほしい"と、そう答えようとした時……
『大丈夫です、アドラ様。御子様は必ず御生み参らせます。わたくしも生きてみせます。決して貴方と御子様を残して逝ったりは致しません。ですから、どうかわたくしを信じて下さいませ』
――自分の命より御子の命を優先してほしい――
そう言えば、私が承知しないであろう事を悟っていたリンは、そう言って私を納得させた。
否、その言葉以外で私が自身の決断を覆す事はなかっただろう。
そして、その言葉通り、あの出産で消える筈だった命を、リンは三年という歳月を長らえて下さったのだ。
あの選択を私に後悔させない為に。
そして何より、イドリア――君の為に!
「ぼんやりとしか覚えていないのですけれど、お母様は素敵な淑女だったのですね」
「勿論ですよ! 君のお母様ですし、何より私が好きになった方ですからね」
「それはそれは……お父様は何でもご自分の自慢にしてしまいますのね」
「でも、そうですわね。私も頑張ってお母様のような素敵な淑女になってみせますわ。ですから、二人っきりの時で構いませんの。私の事を“リン”って呼んで下さいませ、お父様」
「イドリア……姫?」
「そうしたら、きっと私もお母様のようになれると……そうお思いになりません?」
「そうです、ね。では、二人きりの時だけという事で構いませんか?」
~刹那の鴇色・永遠のパールグレイ~ 完
「刹那の鴇色、永遠のパール・グレイ」はブログ本のページ数調整の為の書き下ろしです。ですから、webで公開したのは“初”という事になります。
あくまでページ数調整なので淡々と物語が進んでしまった事をお許し下さいませ。まともに書くと、それだけで一つの物語になってしまいますし。
ですが、この物語を書いたお蔭でイドリアがリンという愛称になった経緯を書けて良かったなあ〜と思っております。




