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スペリオルシリーズ

彩桜学園物語~そんな二人の恋愛事情~

作者: ルーラー

 ――ちょっと、考えてみてほしい。


 小学校を卒業すると同時に縁が切れた、幼なじみの女の子。

 彩桜学園の高等部に入学し、彼女と再会することになって。おまけに、また昔のように仲良くなれ、もうすぐ冬休みを迎えるというこの時期に。

 その彼女――岡本千夏おかもとちなつから『家の都合でね、二学期が終わったら転校しなくちゃいけなくなったんだ』なんて言われてしまって。

 それを聞いた瞬間、ただ『寂しい』と思うだけでなく、人の迷惑を省みず大声で叫びだしたくなったり、目的もなく全力ダッシュしたい衝動に駆られてしまったんだよ。端的に言うなら、焦燥感を覚えてしまったというわけだ。


 で、だ。俺のそんな心の動きを踏まえた上で。お前だったら俺がいま抱いている感情に、一体どんな名前をつける?


「や、そう直球で訊かれてもな。ただ、岡本に恋してんな、お前。としか。直接の答えになってなくて悪いが」


「それで充分だよ。……そうか。やっぱり恋、か……」


 友人兼現在においては相談相手でもある長谷部賢矢はせべけんやの非常にシンプルな返答に、がっくりとうなだれる俺。それだけでは足りなくて、机に突っ伏しもしてみたり。


 高等部一年二組の教室で、昼食をとりながらのことだった。

 ここ数日、俺――広世大河ひろせたいがを悩ませている幼馴染みの衝撃的かつ全然色っぽくない告白を俺なりに受け止めるべく、俺は今日、恥をしのんで『賢そうな名前をしてるくせに頭は全然よくない』と評判(?)の友人、賢矢にちょっとした相談を持ちかけた。焦る気持ちに身を任せて走り込みをしていても埒が明かないし、いい加減、タイムリミットのほうも迫っていたから。


 そう、走ることで現実逃避する時期は、今日、終わりを告げたのだ。もう、この件から目を逸らすことはできない。

 そして相談の結果、案の定というかなんというか、答えはあっさりと出た。出てしまった。確かに俺が抱いているものは紛れもなく『恋愛感情』だ。ただ、答えが出ればそれで解決とはいかないのが、この問題の厄介なところでもあり。


 身を起こし、学ランスタイルの友人へと視線を向け。俺は小さくため息をついた。


「……なんだよ。いきなり人の顔見てため息なんてつくなよ。失礼にも程があるだろうが」


 失礼だったか? ……あー、うん、まあ確かに失礼ちゃあ失礼だったか。でも、許してほしいところではある。だって、


「悪い悪い。でもさ、自分の気持ちがはっきりしても、じゃあ、これからなにをどうすればいいのかってことを考え始めると、どうにも気が重くてさ……」


「どういうこった? 好きなんだろ? なら告白しちまえばいいじゃないか。知らぬ仲でもあるまいし」


 出た。実に頭の悪い賢矢らしい意見。これが賢矢が賢矢であるゆえんだ。


「……なんというか、賢矢。お前は今日も賢矢だなぁ」


 こういった場面における『賢矢』は時折、『馬鹿』とか『頭悪い』といった単語の代わりを果たす。俺だけでなく、クラスの男子ほぼ全員と少数の女子までその意味合いで使うのだから、浸透率はかなりのものだ。

 なので当然、『賢矢』の意味は賢矢自身も知っており。


「んだとおっ!?」


 実に自然な流れで、彼は怒鳴ってきた。俺はそれを「まあまあ」と宥める。


「そりゃあ、千夏は今月一杯で転校するんだから、失敗したときのリスクを考えなくてもいいって利点はあるさ。だから、俺が怖いのは、むしろ上手くいったときのことなんだよ。遠距離恋愛でちゃんと続くのかな、とか考え始めると、さ……」


「相変わらず弱気な奴だな。遠距離恋愛なんて――いや、どんなことだってやってみなきゃわからないだろ? 上手くいかなかったときはそのときさ。駄目かもしれない、なんてウジウジ考え込むのが一番よくない。というか、だ。弱気になるなら、まず告白してOKしてもらえるかを心配しろっての」


 こいつは頭が悪いくせに、どういうわけかハッとさせられるようなことを言うときがある。そして、こういうときはつくづく思ってしまうのだ。


「なぁ、賢矢。どうしてお前は賢矢なのに、そんな目が覚めるようなことが言えるんだ?」


「馬鹿にするのもいい加減にしろよ、お前!」


「怒るなよ。褒めてるんだ」


「全然そうは聞こえんかったよ!」


 なぜか、またしても怒鳴ってくる賢矢。まあ、反応を予想しつつやっていた面もあったので、俺は再度「まあまあ」と宥めにかかる。

 と、そのとき。耳にクラスメイトの声が飛び込んできた。


「あれ? 付き合ってたんじゃなかったんですか? 広世さんと岡本さんって」


 顔を向ければ、目に入ってくるのはブレザー姿の少女の姿。肩のあたりで切り揃えられている髪型が千夏を想起させる第一演劇部の部員、西川詩織にしかわしおりがそこにいた。もっとも、千夏の髪はもう少しばかり短いが。

 彼女は丁寧な口調を崩さずに、きょとんとした表情で続けてくる。


「校内だけではなく、下校時や休日とかにも、よく一緒にいるのを見かけていたので、てっきりそうだとばかり……。あ、違っていたのならすみません。謝ります」


 ぺこり、と軽く頭を下げてくる西川。誤解は誤解なのだが、自分の抱いていた感情を受け入れたばかりの俺としては「ああ、まあ……」と曖昧に返すことしかできず。

 というか、だ。


「俺、どうして千夏のこと好きになったんだろう……。そりゃあ悪い奴じゃないどころか良い奴だし、教科書忘れたときに貸してくれたことも何度となくあるし、ノートを写させてもらったことも両手の指の数じゃ足りないくらいにはあるけど……」


「おい、大河。お前、いまサラッと自分の賢矢っぷりも口にしてたぞ?」


「とりあえず、忘れ物は極力しないように気をつけましょうね……」


 苦笑する賢矢と西川。や、この『賢矢っぷり』はわざと披露したんだけどな。これでお前の怒りが鎮まるのなら、と思って。

 しかし、そんなことはどうでもいいといえばその通りで、俺は二人の横槍を無視して呟き続ける。


「あいつと再会したときに『うわ、人って三年でここまで可愛くなるものなのか……!』とか思ったことも否定はしないし、容姿がいいことも認めるし、確かに性格もいいほうなんだろうし――」


「お~い、大河~」


「…………」


「夏休み、千夏とうちの弟との三人でプールに行ったときは水着姿に見とれたりもしたし、生まれてこの方ずっと一緒にいたってわけじゃないから、千夏に対する幻想がぶち壊れていないっていうのもあるんだろうし、一緒にいると楽しいし、なんだかんだで気が合うし、俺がボケれば突っ込んでくれ、俺が突っ込めばいいリアクションを返してくれて、相性もかなりいいだろうとは思っていたけど、それでもまさか異性として好きになる日がくるなんてなぁ……。

 本当、なんで俺、千夏のこと好きになったんだろうな……?」


「そりゃ好きになるだろうよ! というか、そこまでノロけておいて、なんでもクソもあるか!」


「むしろ、その関係性だと好きにならないほうが不自然な気が……。というか、よくそこまでノロけられますね……」


 賢矢からは勢いのある、西川からは苦笑混じりの控えめなツッコミがきた。……なぜに?


「うん? いや、あいつにだって欠点はあるんだぞ? ちょっと空気を読めなかったりとか、少し気を遣うポイントを間違えていたりとか、あと、料理作るのを面倒臭がって、いつも昼食をジャンクフードで済ませていたりとか。……まあ、面倒臭がってるんじゃなくて、ジャンクフードが大好きだから、料理を作ろうという発想に行き着かないだけかもしれないけど。というか、たまに俺の弁当を食おうとするのはどうしてなのか……」


「それも、やっぱりノロケだな」


「ノロケですねぇ」


「なぜに!?」


 わからない。いまのはマジで千夏のことを貶しまくっただけだというのに、なんでそう解釈されてしまうのか、本当にわからな――


「おお、詩織。ここに居たか。……ちょっと用があるんだが、いいか?」


 ガラッと教室の扉が開き、西川を呼ぶ声がした。廊下にいるのは長い黒髪をポニーテールにした女の先輩。名前は知らないけれど、確か第一演劇部の副部長だったはず。

 果たして、俺の記憶力はなかなかのものだったようで、「あ、はい」と西川が教室の出口へと歩いていく。途中で振り返って一礼してくるあたり、本当に如才ないな、こいつ。本当に高校一年生か?


「なんでしょうか? 副部長。もしかして部長がお呼びだったりしますか?」


「ああ、その通りだ。事実上、引退しているようなものなのだから、もう少し控えてほしいところなんだがな……」


 嘆息する副部長さん。そういや、第一演劇部の部長はトラブルメーカーで有名だったな。

 ため息をつき合いながら、第一演劇部に所属しているお二人さんは廊下を歩いていった。おそらくは、第一演劇部の部室に向かうのだろう。

 と、同じくその光景を見ていた賢矢が、どことなく感慨深そうな声を出した。


「なあ、今更かもしれねぇけど、美鈴みすずさん、なんか明るくというか、柔らかくなったよな、態度が。『彩桜祭さいおうさい』の前後あたりから」


 美鈴さん? ああ、あの副部長さんの名前か。まさか、賢矢なこいつが大して面識もない上級生の女子の名前を憶えていようとは。しかしその情報、いまの俺にはなんの興味もなかったり。


「そうか? それよりもそろそろ話を本題に戻そう。ちょっと脇道に逸れすぎた」


「ん? 言われてみりゃあそうだな。じゃあ、本題に戻すとするか」


「だな。で、だ。お前に言われた通り、まずは――」


「告白を成功させることを考えるんだな?」


「ああ。成功しなかったらどうしようって心配するようにする。お前が言っていた通りに、な。なんでも俺は、弱気なウジウジ野郎らしいから」


「根に持ってやがる! というか、誰もそこまでは言ってねぇよ!」


 まあ、最後のはさすがに冗談だけれど。

 本当、告白するにしても、どうやったものかなぁ……。





 放課後。

 俺は学ランに身を包んだそのままで、走り込みに精を出していた。……若干、習慣になりつつあった行動は、いきなりやめるのが難しかったりするんだよ、これが。それに、部活のことを考えれば、悪いことでもないのだし。


 千夏とは、今日は一緒に帰らなかった。それができる回数は残り少ないとわかってはいるけれど、だからといって一緒に帰れるような強いハートを、俺は持っていない。……欲しいなぁ、強いハート。

 と、そんなことを考えているうちに、竹林と、その合間を縫うようにして作られている長い石段が見えてきた。この石段を上りきった先には『道場』と呼ばれている剣道場があるらしいのだが、当然、俺は行ったことがない。剣道部に所属してはいるものの、ロードワークのときにはいつも素通りしていた。

 当然だ。だって、この石段は全九百段で構成されているというのだから。


 でも、なぜだろう。今日ばかりは、まるでなにかに惹かれるように、自然と石段に足をかけてしまっていた。……まあ、いざとなれば歩いて上っていけばいいさ。それでもきつそうではあるけれど。

 しかし、それからしばらく石段を上り続けて。俺は自分の考えの甘さをこれでもかというほど思い知らされることとなった。


 ……なんだ、この石段のしんどさは。なんというか、とにかく半端ないぞ。最初のうちは駆け足で上がっていて、五十段を数えたあたりで『このペース配分じゃ踏破は無理そうだな』と早々に結論し、そこからはかなりゆったりと歩くようにしたというのに、それでも足を進めるにつれてどんどん息は荒くなり……。


 ――いま、何段目だ? というか、この石段、本当に限りはあるのか……?


 そんなことを心の中で呟きながら、一段、また一段と石段を上り続ける。口に出して呟かないのは、そんな体力が残っていないから。

 そして、ついに。本当にようやく。俺は全九百段の石段を踏破した。……や、これ、マジで死ねる……!


 踏破すると同時に地面にへたりこみ、息を整えるべく心を落ちつけた。石段を上りきった果てにあったのは、永い時間を経たのであろう、年季を感じさせる木造の建物と、青々と茂る無数の木々たち。その風景を視界に収めながら、俺はここまで来た理由を思い出そうとし――ただの思いつきでここまで来たんだったと肩を落とす。


 それにしても、本当、なんでこんなキツイ思いをしてまで、ここに来ようと思ったんだろう。それも上っている最中、一度も足を止めようと思わずに。


「――気の迷い、かな……」


 呟き、嘆息する。

 と、その瞬間。返ってくる言葉なんて当てにしていなかった俺の耳に、幼い少女の声が忍び込んできた。


「気の迷い、か。ここは『学園』ではないがゆえ、お主がそう思うのなら、まあ、それもよかろう」


 その声は、静かに、柔らかに。


「なにせ『候補地』ではあっても、この道場はそれ以上の『場』ではないのじゃからな」


 けれどおごそかに、俺の鼓膜を振るわせた。そう感じたのは、その少女がする年寄り臭い口調のせいだろうか?

 自分でも意識することなく、自然と息を詰め、隣――声がするほうに視線を向ける。すると、そこには彩桜学園のセーラー服に身を包んだ小柄な少女の姿。


「ここは確かに『候補地』どまりとなった『場』ではあるが、心を落ちつけて身を委ねてみい。感じられるはずじゃ、『候補地』となるに相応しい空気を」


 ……どういうことだろうか?

 隣に立つ、銀色の髪を腰まで伸ばしている少女に怪訝な視線を送る。だが、彼女から返ってきたのは、どこか得意げな、自信に溢れた笑みがひとつのみ。


 この子って、中等部のフィアリスフォールなんとかって名前の、『彩桜学園調査隊』の隊長をやっている子だよな、確か。銀色の髪の生徒ってなかなかいないし、弟がその調査隊に所属しているから、間違えようなんてないはず。そんなことを考えながら、とりあえず目を瞑ってみた。

 すると、一瞬の間をおいて、


「――あ……」


 学園にいるときに稀に感じる清浄な空気。穏やかな雰囲気。それが確かに感じとれた。学園にいるときにしか、それも『幸福』と定義できるときにしか感じられない、あの雰囲気が。なぜか、ここでも――。


 疲労が爽快感に変わり、心にくすぶっていた不安が消えていく。代わりに心を埋めるのは安らぎだ。唐突な、けれど決して嫌ではない心の変化。時間が経つと共に精神まで高揚してくる。すべての悩みが消えたような気にすらなって――


「どうじゃ? いいものじゃろう。すべてを前向きに捉えようと心が変化するのは」


 頭上から降ってきた少女の声に、高揚感が少し鎮まる。


「それでよい。高揚したままでは、人間、ただ逆上のぼせているのと変わらぬからな。その心境を保ちたいのなら『過ぎぬ』ことじゃ。高揚し過ぎず、されど高揚を抑え過ぎず。そう、常に『中間』であるよう心がけよ。

 して、お主はどんな悩みを持ってここにやってきた?」


 その言葉は、自信のような『なにか』を得た――否、取り戻した俺に冷や水を浴びせるかのごとく。


「聞こえんかったのか? なにゆえ、わしに助けを求めたのか、と聞いておるのじゃ」


「俺は、別に助けを求めてなんて……」


「いいや、求めておったろうよ。でなければ、このようなことは起こらん。『導き』があったからこそ、わしとお主は出会ったんじゃ。他でもない、この瞬間に。大体、そうでなければ、お主があの石段を上ってここまで来た説明がつかんじゃろう? もっとも、お主は『気の迷い』で片づけたようじゃが」


 つまり、彼女と会うために俺は石段を踏破した、と? 彼女に――いや、この場にいるであろう誰かに無意識かで助けを求めていたからこそ、一度たりとも休まずに石段を上りきった、と?

 それは、非現実的な説明にも程があるだろう。けど、じゃあ、なんでその説明で俺はこんなにも納得できているのだろうか。わらにもすがりたい思いだったから? その心境は否定しないけど、本当にそれだけの理由で?


 自問を繰り返す俺の隣、少女が地面にそのまま腰を下ろす。おいおい、制服汚れるぞ……。


「なんにせよ、悩みを断ち切らぬままでは、その心地よい心境は長続きせぬよ。『場』の力で一時的に正しき心の在り様を取り戻せてもな、その本人の魂に変化がないのでは、またすぐに悪しきもの――悪しき思いを引き寄せてしまうのじゃ。ゆえに、できる限りの解決は早々にしておかんとな。もっとも、わしとて全知全能ではない。お主の悩みをすべて解決するなど、おそらくは不可能じゃろう」


 いや、全知全能とか言う以前に、お前は俺より年下だろう。そんなツッコミが頭をよぎったが、なぜか口にするのははばかられた。理由は単純。彼女の瞳が真剣そのものだったからだ。――いや、本当にそれだけか……?

 地面についてしまった銀髪を弄りながら、少女は続ける。


「それでも……解決できなかったとしても、話を聞くくらいはさせてくれぬか? わしにとってもせっかくの『導き』なんじゃから。もちろん、お主さえよければ、じゃが」


 強制はしない、と少女。そんな少女のことを……なぜだろう、信じてみたくなった。彼女に、いま思い悩んでいることを話してみたくなった。

 それは、もしかすると、出来ないことは出来ないとハッキリ言う少女の姿に、真実味を覚えたからなのかもしれない。


 そうして、話し込むこと数分。


「そうきたか……。すまぬ、わしにはそれ、割とどうにもできぬ」


「おいおい……」


 どうしよう、千夏のこと、思いっきり話し損になったかもしれない……。

 というか、中学生相手に恋愛相談って、よくよく考えてみたら俺、どんだけなりふりかまってないんだよ!


「まあ、あれじゃな。少なくとも年下にする類の相談でないのは、確かじゃな」


「人の心の中を読むなよ! そしてピンポイントに指摘しないでくれよ!」


 ああもう、恥ずかしいったらありゃしない!


「そ、そう恥ずかしがらんでもよかろう? それはともかく、わしにできる助言は限られておるな」


「お? なんかアドバイスしてもらえるのか?」


「うむ。そういうときはじゃな、とにかく告白せい」


「うわ、なんのアドバイスにもなってない!」


「や、話を聞いていた限りじゃと、割と高確率で成功しそうなものじゃったから……」


「それは俺だってなんとなく感じてるよ! だから俺がアドバイスしてほしいのは、なんて言って告白すればいいのかに関することであって――」


「それは、お主が自分で考えること――というより、他の人間に頼ってはならぬことじゃろう?」


 うわぁ、なんか割とマジな感じで白い目を向けられてしまいましたよ。

 でもまあ、確かにその通りではあるんだろうな。大体、俺ってば年下の女の子に『気の利いた口説き文句を考えてくれ』って言っちゃってたわけだし、要約してしまうと。うん、これは立場が逆なら俺でも冷ややかな目を向けそうだ……。


「ああ、穴があったら入りたい……」


「穴か? ここで掘るのはさすがに手間じゃな。心から信じれば即、『想い』――いや、『おもい』を現実に反映させることのできる『学園』でなら、一瞬で掘れるじゃろうが」


 ……今更ではあるんだけど、大丈夫か、この子の頭の中。以前、弟が『フィアリスフォールの奴はちょっぴり電波』って言ってたことがあったけど、これはちょっぴりじゃないって。どうしようもないほどに電波だって。もう『不思議ちゃん』の域を超えているよ。


「む、お主、なにを失礼なことを考えておるか」


 ほら、断言口調できたし! 『失礼なことを考えてない?』じゃなくて『失礼なこと考えるな!』ってきたし! これじゃ『いや、別に?』という返しすら使えないよ!


「まあ、それは置いておくとして、じゃ。少々情けなくはあるが、わしにできる助言はあとひとつだけじゃな」


「へ? まだアドバイスがあるのか?」


「うむ。お主からはどうにも『弱気』が感じられる。多少はこの『場』の力でよい方向に向きつつあるようじゃが、まだ足りん。つまり、失敗したらどうしよう、という不安が未だ心に深く根を張っているわけじゃな」


 彼女が口にする言葉の正しさに、俺は無言で首を縦に振る。そう、その不安はここ数日、常に俺の心を縛りつけていた。ここで、あの穏やかな雰囲気を感じていたときには、不安なんてなくなっていたのだけれど……。

 それはなぜだろう、と漠然とながら疑問に思っていたことに思考を向けようとした瞬間、目の前でピッと少女が人差し指を立てた。


「不安が完全には拭えぬ状態にあるのなら、悪いことは言わぬ。『学園』で告白するのだけは避けることじゃ。あそこは『候補地』ではない。わしの紡いだ『神性聖結界しんせいせいけっかい』の内側。ゆえに不安がある場合、『想い』が成就する確率は下がる。わかるな?」


「……いや、悪いけど、さっぱり。なんというか、なにを言ってるのかがさっぱり」


「…………。ええい! とにかく、『学園』で告白を実行に移すのだけはやめい! メカニズムなど理解できずともよいのじゃ! 『お主の精神状態では、学園で告白すると成功率が下がる』、ただそれだけを憶えておけばよい! お主はテレビの仕組みを一から十まで知り尽くしておらねばテレビを使わんのか? そうではなかろう! 構造など、よく知りもせずに使っておるじゃろう! それと同じことじゃ! よいな!」


「ら、ラジャー!」


「ふぅ、ふぅ……。よ、よい返事じゃ……。――とにかく、わしもお主の『想い』が成就すること、心より願っておるぞ」


 底意ない笑顔を浮かべ。少女は立ち上がって石段のほうを向く。


「さて、ではそろそろ帰るとしよう。お主もあまり遅くならぬうちに帰るがよいぞ。温かく受け入れてくれる者がおるというのは、この上ない幸福じゃ」


 そして少女は俺に背を向け、石段を鼻歌交じりに下っていく。

 だが、最後にもう一度だけ俺のほうに振り返り。


「そうじゃ。あとひとつだけ。――女子おなごが恋に悩む姿は可愛いものじゃがな、男が色恋沙汰に悩んでおるのは、あまり見ていて気持ちがよいものではないぞ?」


 ……ああ、そうですか。というか、最後の最後でそれかよ!


 そう口にしようとした瞬間、少女は穏やかに微笑んで。


「じゃから、早いところ覚悟を決めて告白し、幸福になれ。残された時間も少ないようじゃからな。お主が幸福を逃すのは、わしとて悲しい」


 その言葉を最後に。今度こそ。少女はゆっくりと石段を下って彼女を待つ『誰か』のもとへと帰っていった。


 ……くそ、そんな風に言われたら、間違っても悪態なんてつけないじゃないかよ。





 自宅の玄関で靴を脱ぎ、奥にある自分の部屋に向かって歩を進める、その途中。


「あれ? 兄貴、なんかいいことでもあったのか?」


 リビングでソファに寝転がってテレビを見ていた中学三年生の弟が起き上がり、こちらを見てきた。


「なんで、そんな言葉が出てくる?」


 というか、この『お帰り』もちゃんと言えない、十人中九人までが『憎たらしい』と評価するであろう我が弟が、なぜ俺の微妙すぎる心境の変化に気づけたのだろう。


「や、なんとなく。それで、なにがあったんだ?」


「ん~? ちょっと『道場』に行ってきた。そこで――」


「げっ、『道場』!? ってことはあの石段上ったのか!? 正気かよ、兄貴! なんだってわざわざ……」


 弟――まもるがこれ以上続けなさそうなのを確認してから、俺は改めて口を開いた。


「人の話を遮るなよ。ちゃんと最後まで聞け。――あのな、その『道場』でお前がよく知ってる奴に会ったんだよ。ほら、あの銀髪の――」


「電波フィアリス? え、マジ? なんだってあいつも『道場』なんかに……」


「だから話を遮るなって」


 まったく、この弟は……。まあ、『電波フィアリス』発言には同意だから、自分が所属してる『彩桜学園調査隊』の、仮にも隊長のことを『電波』なんて呼ぶなよ、とは突っ込まないけど。

 柔らかい髪色の短髪を揺らし、弟が「やれやれ」と頭を振る。


「どいつもこいつも物好きな……。まあ、それで兄貴にいい影響があったのならいいけどさ」


 聞き捨てならない一言。


「どういう意味だよ?」


「言葉どおり。あいつ、電波な奴ではあるけど、なぜだか的外れなことは言わないからさ」


 ふむ、それなりに評価はしている、ということか。この弟が。珍しいこともあるもんだ。


「それはそれとして、いつまでウダウダやってんだよ。いい加減、腹括れよな」


「なんだよ、藪から棒に」


 守はひとつ嘆息を挟んで、


「千夏姉ちゃんのこと。ここのところ、ずっとそれで暗い表情してたろ? 親父も母ちゃんも、なにげに心配してたぞ」


「父さんと母さんも?」


 うわぁ、そこまで表情に出しちゃってたのか、俺。ちょっとヘコむなぁ。……でも。


「そっか。心配してくれてありがとな。でも大丈夫、そのことなら、もう、あまり悩んではいないから」


 笑って告げると、守は照れたようにそっぽを向いた。こいつ、実は意外と照れ屋なんだよな。俗にいうツンデレってやつだ。


「……ふん。礼なら親父たちに言えよ。僕は心配なんてしてなかったんだから。……大体、『あまり』悩んでいない、なんだろ? まだ完全解決したってわけじゃないみたいじゃんか」


 まったく、揚げ足をとるのが上手い奴だ。これだから憎らしいって思われるんだよ。


「つーかさ、普通、もっと早く動くもんだろ、こういうときって。下級生の女子に言われてようやく腹括るって、どうなんだよ」


 あ、なんかちょっとだけ腹立った。下級生の女子云々は、いまの俺にとって禁句なのだ。

 なので、少しばかりやりこめてやることにする。幸い、ネタはいくつもあることだし。


「……うるさいな。そういうお前のほうはどうなんだよ? 同じ部活の……確か、そう、歌恋かれんちゃんっていったっけ?」


「あっ、てめえっ! 馴れ馴れしく『ちゃん』づけすんなよ、円谷つぶらやのこと!」


 抗議の声も『てめえ』呼ばわりも無視して、ニヤニヤ笑いを浮かべる俺。


「……! いいんだよ! 僕には誰かさんと違って、タイムリミットなんて迫ってないんだから!」


「へえ~。本当にそうかなぁ。そうだといいなぁ~?」


「どういう意味だよ、クソ兄貴っ!」


「別にぃ~。ただ、お前だって歌恋ちゃんだって中三だろ? 歌恋ちゃんが彩桜の高等部に進むとは限らないんじゃないか?」


 瞬間、天変地異が起こった。


 正確には、天変地異を目の当たりにしたような絶望的な表情を、守が浮かべた。


「そ、それは……っ! って、いやいやいやいや、別に構わねぇよ? そうなっても。ほら、円谷は僕にとっては、隊の仲間、それ以上でもそれ以下でもないし?」


 ……正直、今更強がられても対応に困る。お前、じゃあ一瞬前のあの絶望に染まりきった表情はなんだったんだよって感じだ。


「や、本当だぞ? 別に僕、円谷のことなんて好きじゃないし? というか、そんなのありえないし?」


 ……うん。なんか、これ以上突っ込むのが可哀想になってきた。今日はもう大人しく部屋に撤退してやるとしよう。


「……って、待てよおい、兄貴!」


 見逃してやろうと思ったのに、熱くなっている弟はそれに気づかず待ったをかけてきた。やれやれだ。

 俺が振り向くのが早いか、顔を赤くした守が怒気をたっぷり込めた言葉を浴びせてくる。


「大体だな、円谷はロクな奴じゃねぇよ。見た目がいいのは認める、認めるぞ? でもな、隊の活動中にやってた携帯ゲーム機の電源を勝手に落としてくるのは外道のすることだろうよ!」


「……とりあえず、部活動の時間中にゲームやってるお前のほうがロクな奴じゃないだろ」


 憤りとかよりも呆れのほうが勝り、俺は至極冷静に突っ込んだ。というか、こいつは本当、部活動中になにをしてるんだ……。


「なに言ってんだ、兄貴! いいか、断りもなく電源を落としたんだぞ! 僕の一時間を返せってんだ! まったく、あいつはフィアリスが振ってきた『人間には想像もつかない高位存在による介入について』なんて話に乗って、『高位存在の介入や干渉というのは、それによって時間すら巻き戻してしまうほどのものなのですよ。例えば――そう、こういう感じでしょうか?』なんて軽々しく電源落としやがって……!」


 そ、それはそれは……。ゲームなんてしてた弟が一番悪いとは思うものの、なんとも独特な理由で一時間をフイにされたものだなぁ。

 というか歌恋ちゃんもフィリアスに負けず劣らず電波だ。さすがは『彩桜学園調査隊』の隊員。

 しかし、それにしては守が本気で彼女のことを嫌悪しているように見えない。きっと、彼女とコミュニケーションがとれたのが嬉しかったのだろう。それがどんな形であれ。


 口の悪く、不器用かつ照れ屋という難儀な弟との会話が一段落し、俺は再度、自分の部屋へと歩を進め始めた。ちなみに俺の家は3LDKの賃貸マンションで、弟の部屋は玄関のすぐ近くにあるのに対し、俺の部屋と両親の部屋はリビングを通った先にある。……正直、守が主張するよりも先に玄関近くの部屋がいいと言っておくべきだったろうかと思うこともあるが、それはもう後の祭りだ。


 そもそも、奥の部屋であることに不満があるわけでもない。家族と顔を合わせたくないときなんて、俺の人生にはまだ一度もなかったし、きっとこれからも訪れないだろうから。


 余談だけど、うちの親はちゃんとマイホームを持っている。……地方に、だけれど。

 それは二階建ての立派な一軒家なのだが、住み始めるとほぼ同時に父さんが転勤を言い渡されてしまったという苦い思い出のある家でもあった。

 偶然にしては出来すぎなタイミングに父さんと母さんは嘆き、当然、単身赴任の話が持ち上がったりもしたのだが、俺と、意外と寂しがり屋でもある弟の必死の抵抗もあって、家族全員で引越し、この賃貸マンションに住むことになったわけだ。


 ちなみに、一ヶ月少々しか住まなかった一軒家だが、やはり両親(特に父さん)には思い入れみたいなものがあるらしく、売りには出さなかった。家賃収入も得られるからと、貸しに出したのだ。まあ、いまのところ、まだ借り手は見つかっていないのだけれど。


 と、部屋のノブに手をかけたときだった。

 ズボンのポケットに入れておいた携帯電話が軽快な音楽で着信を報せてくる。

早速取り出して、液晶表示を一瞥いちべつしてみると。


 ……まさかまさかの千夏からだった。

 これは、いよいよ弟の言うとおり、腹を括るときがきたのだろうか……。





『ちょっと、いまから出てこれる?』


 その呼び出しに応じ、俺は夜の街に繰り出していた。そして、辿り着いたのは一軒のファーストフード店。


「さて、と……」


 店内に足を踏み入れ、周囲を見渡し。


「あっ。来た来た。お~い、大河、こっちこっち~」


 千夏の姿を見つける前に、少し離れた席から声をかけられる。笑顔で大きく手を振っている幼なじみの元へ早足で直行する俺。……恥ずかしいったらありゃしない。


「とりあえず、あたしは『絶品マグロハンバーガー』ね」


「人をキャットバーガーに呼び出しておいて――いや、俺が座ったと同時にそれか。というか、なにか? 千夏は俺に金を出せと?」


「いや~、今月のお小遣い、もう使い果たしちゃってさ。俗にいう金欠ってやつ?」


 照れくさそうに「てへへ」と笑い、肩の少し上で切り揃えられている黒髪に手を添える千夏。……や、そこは笑うところか?


「お前な。だからって俺にたかるなよ」


「口ではそう言いながらも、立ち上がって財布を取り出してはくれるんだね~。うん、それでこそ大河!」


 そんな評価されても全然嬉しくないぞ。こうすることにしたのは、この状態の千夏相手だと、大人しく奢ってやったほうが傷は浅いと、経験上、よく知っているからだし。

 絶品マグロハンバーガーとチィズバーガーをテイクアウトで注文し、「ええ~、中で食べていこうよ~」とごねる幼なじみに背を向け、受け取った紙袋を片手に提げて店を出る俺。いまはさすがに、千夏と向き合ってハンバーガーを食べようなんて心境にはなれない。


「ぶーぶー!」


 外に出た瞬間、俺について来ざるをえなかった千夏が、わかりやすく声に出してブーイングを飛ばしてきた。それを尻目に「ほい」と絶品マグロハンバーガーを手渡してやる俺。


「おっ! ありがと、大河!」


 子供のような無邪気な笑みを浮かべ、ハンバーガーを受け取る千夏。単純な奴だなぁ。


「や~、でもやっぱり寒いものは寒いね~」


「まあ、十二月も終わりに近づいているからなぁ」


 そう、あともう少しで冬休みに突入だ。そして、休みが明ければ千夏は引っ越してしまう。いや、もしかしたら冬休み突入と同時に引っ越してしまうのかも……。


「どうしたの? 急に暗い表情になって」


「……なんでもない」


 そういうお前は、どうしてそんな明るいんだよ、なんてお門違いもいいところの激情をぶつけてしまいそうになって、ぐっとこらえる。そして、そんな激情を覚えている自分自身に驚いた。

 ……駄目だ。なんか駄目だ。ちょっと気持ちを切り替えがてら、自分のほうから話題を振ってみるか。


「ところで、お前が俺を急に呼び出すなんて、珍しいこともあったもんだな。なにかあったのか? まさか、ハンバーガーを奢らせるのが目的だったとも思えないし」


 問うてみると、マグロバーガーをぱくついていた千夏は顔をこちらに向け、不意に、はにかむような笑顔を浮かべてみせた。思わず、ドキリと心臓が高鳴る。


「や、金欠なのも奢ってもらおうと思ってたのも本当ではあるよ? というか、目的の八割ではあった。残りの二割は……」


 言いよどむ千夏。彼女のこんな態度もまた、非常に珍しいことだった。

 カイロの代わりに、とチィズバーガーを包みごと握りながら、続きの言葉を待つ。心はいまにも焦れそうで、いつ抑えが効かなくなるかわかったものじゃなかったが、それでも自分に『もうちょっとだけ待て』と何度も言い聞かせて。

手にしたマグロバーガーを見下ろしながら歩くこと、数十秒。ようやく彼女は言葉の続きを紡いでくれた。


「……ほら、今日、先に帰っちゃったでしょ? 大河。だから、どうしたのかなって思って」


 思わず絶句。

 だって、どうしたのか、なにかあったのか、とお互いに思っていたのだと、気づいてしまったから。


 普段よりも大きい一口で、バクッとマグロバーガーを食べ終えて。千夏は改めて俺のほうに視線を注いできた。少しだけ潤んだ瞳で。なにかを求めるように。

 その視線の先を辿って、俺は気づいた。


「…………」


 そして、再びの絶句。俺と千夏の間に落ちる、沈黙の時間。

 そう、彼女の瞳は――物欲しそうな色をした彼女の両の目は、誤解できる余地なく、俺の持つチィズバーガーへと向けられていた。


「…………。……まだ、食い足りないのか?」


「あー、うん……」


 少しだけ恥ずかしそうに小声で呟く千夏。やれやれと、俺は仕方なく口を開いた。


「……やろうか?」


 途端、千夏は弾けるような笑顔になり、


「くれるなら、もらっておこう、ホトトギス!」


「なぜに五・七・五!? いや、やらないって! 金出したのは俺だし、これ、俺のだし!」


「くれぬなら、奪ってしまえ、ホトトギス!」


 岡本千夏 が 襲いかかってきた!


 こいつがこういう奴だってことはわかっていたし、当然、買った段階から欲しがるであろうことも予想はできていたので、あっさりとチィズバーガーを渡す俺。気分は猛獣使いだ。しかし、本当、空気というものが読めない奴……。


 チィズバーガーを手に入れて、千夏は俺がいままでに見てきた中で一、二を争うようなイイ笑顔を浮かべてみせた。そんな食い意地の張った幼なじみの表情に、いや、すべてに『可愛い』という感情を抱くあたり、俺の精神状態ははいよいよ末期だと思う。


 まったく、『恋は盲目』とはよく言ったものだ。あるいは『惚れた欲目』か? 『惚れた弱み』はちょっと違うし。

 しかし、だからといって告白する勇気が持てるかというと、決してそんなことはなく。ああ、我ながら情けない……。


 少しクールダウンしたほうがいいかもと、街行く人に目をやってみる。すると端正な顔立ちをした大学生くらいの男性と、彼と同い年だろうか、カラスの濡れ羽色をした長い髪が印象的な女性のカップルが視界に入ってきた。自分たちの進行方向とは逆のほうに向かっていたので、ほんの数瞬しかその表情は見られなかったが、それでも、充分だった。俺の網膜に焼きついてしまうのには。


 すれ違う間も、隣で千夏が「平日半額のサービスは、絶品マグロハンバーガーと並ぶ、キャットバーガー最大のウリだよね!」とか言っていたし、俺も「ああ、確かにそうだな」なんて無意識的に返していたような気もするが、そんな会話は俺の中に留まることなく消えていく。


 ……なんて、自然な。一緒にいることが、あそこまで自然に映るカップルがこの世にいるなんて。

 若干、二人の表情が真剣だったのが気にかかったといえば気にかかったけれど、そんなのは些細な問題だ。確実に訪れる明日や明後日、一週間後、あるいは一ヶ月後。それさえあるのなら、仲直りは可能に違いない。割と派手なケンカを何度もして、それでもこうして、いまを千夏と一緒に過ごしている俺が思うんだから絶対だ。


 それに対して、俺は一体なにをやってるんだろう。ケンカ中というわけでもない。お互いを気遣い合えていないわけでもない。千夏が俺を嫌っていないことだけは、間違いないはずなのに。


 わかっている。ああ、わかっているさ。俺はただ、怖がっているだけなんだってことは。とっくに、わかっていた。

 でも、それじゃ手に入らないものがある。この関係性は心地よいけれど、この関係性のままじゃ手に入らないものだってある。心地よい関係性が崩れることを恐れてばかりじゃ、俺が本当に望むものは手に入らないんだ。


 願わくば、俺の手が届くところにいて欲しい。それが叶わないのなら、せめて心だけでも――。


 それが、俺の望み。

 おそらくは『恋愛感情』と呼ばれるであろう、『ずっと一緒にいたい』という、俺の願い。

 それを現実にするためには、どうしたって勇気が必要で。言葉が必要で。


 恥ずかしい気持ちは、あるけれど。


 心にある『弱気』は、拭えていないけれど。


 それでも、俺の『想い』を現実としたいのなら。


 踏み出さなければ。


 勇気を持って、踏み出さなければ――。


「な、なあ! 千夏!」


「は、はい!? というか、そんな大声でなに!?」


 驚きと戸惑いに目を丸くする千夏に、俺は告げる。唐突であることは、当然、自覚しながら。


「お、俺、お前のことが好きなんだけど! お、お前は俺のこと、どう、思ってる……!?」


 最後の最後で弱気が首をもたげ、絞り出すような声で千夏に訊いてしまう。でも、これで精一杯だったんだよ、そこにはどうか、目を瞑ってくれ……。

 果たして、千夏の返事は。


「…………。え、えっと。うん、あたしも好きだと思ってるよ、大河のこと。この――」


 一度、言葉を区切って。手にあるチィズバーガーを空いた手の指先で示してみせる彼女。


「この、チィズバーガーと同じくらい、ね」


 ……ちょっと、千夏さんや。一世一代の告白だったというのに、その返事はいかがなものかね……。


「食べ物と同列の扱い、か。はは、わかってた、わかってたさ、こうなることくらい……」


 でも、いまくらいは泣いてもいいでしょうか? 心の中で。


「え? あの? おーい、大河ぁ! な、なんで落ち込んでるの!?」


「なんでって……」


「……えっと、あたしにとって、どれだけジャンクフードが必要なのか、あたしがどれだけジャンクフードというものを愛しているのか、ちゃんとわかってる?」


「そりゃあ――」


 そこまで口にして、思わず足を止める。

 千夏にとってのジャンクフードとは、彼女曰く『生きる糧』だ。つまり、水や空気と同じくらい、なくてはならないもの。摂取しなければ生きていけない、といってもいいくらいのものなのだ。……もちろん、若干大げさには言っているけれど。


 で、そのジャンクフードと同列に扱われたということは、果たしてなにを意味するか。


「……つまりは、オッケーってこと? 俺と付き合うの」


「遠距離恋愛になるであろうことを、了承していただけるのであれば」


 千夏もそれなりにテンパっているのだろうか。微妙に言葉遣いがおかしかった。

 ともあれ、俺は大きく息を吸って。


「……紛らわしいんだよ!」


 安堵のあまり、千夏に大声をぶつけてやった。ちなみに、今日の俺たちがらしくなかっただけで、普段の会話はこんな感じだ。仲が悪いわけじゃないし、ケンカしてるわけでもない。

 それでも驚きはしたのか、千夏が食べかけのチィズバーガーを落としてしまう。彼女は慌ててそれを、


「こら待て、拾うな。いくらなんでも」


「うう、だってぇ……!」


 マジで涙声になるなよ、おい。……まあ、仕方ないか。早々に割り切って、嘆息交じりに俺はひとつの提案を持ちかけてやる。


「また奢ってやるから。なんなら、いまから引き返して奢ってやってもいいから」


「本当!?」


 目を輝かせる千夏。本当、どこまで単純な奴なんだ。……いまこそ使うべきかな、『惚れた弱み』。





「『あけましておめでとう』は電話越しで言うことになるかもね」


 キャットバーガーに舞い戻り。改めて買ったチィズバーガー二つをトレイに乗せて千夏の席の対面に座ると同時、彼女は少しだけしんみりした口調でそう話しかけてきた。「そうだな」とだけ呟き、俺も少しだけ落ち込んでしまう。でも、


「まあ、もう二度と会えないってわけじゃないしな」


「そうね。大河たちが引っ越しちゃったときには、もう会うことはないんだろうなって、わんわん泣いたものだけど」


「お前が、か?」


 茶化そうと思ってそう口にし、しかし、思い直してその先に続ける言葉を変更する。


「まあ、おかしくはないかな。なんだかんだで仲よかったから」


「なんだかんだで、なんてものじゃなかったよ。男子の中では一番仲よかったんだから。ううん、もしかすると同年代の中で一番、かもしれなかった」


「そこまで、だったか?」


「うん。そこまで、だった」


 囁くように。そう小声で呟いて、千夏はいつもより控えめにチィズバーガーにかぶりつく。


 しかし、仲がよかったのは記憶にあったが、そこまでだったとは初耳だ。こいつは基本、誰とでも仲よくなれる奴だったから。

 と、まるで俺の心を読んだかのように、千夏がチィズバーガーから口を離して、


「仲のいい友達は多かったんだけどね、あたし。でも、深いことも話せる相手は、そうそう見つかるものじゃないから」


 ――そんなものかね。


 『そんなものだよ』と返されるのはわかっていたので、心の中だけで思う俺。

 ドリンクがないからだろうか、千夏は若干の不満を覚えたような表情をあらわにしたのち、再び、今度は場の空気を明るくしようと思ったのか、大きくかぶりついてみせた。


「今度もまた、わんわん泣いちゃうのかなぁ、あたし。あ、今度は大河が泣く番か。残されるのは大河のほうなんだから」


「……泣かないよ」


 強がりではなく、そう思う。それから無言でチィズバーガーに手を伸ばし、もうちょっとつけ加えておいたほうがいいか、と考え直す。


「俺も、お前もな」


「ん、そうだね」


 そして。そこからは、意識して普段どおりの会話をした。「明日は一緒に下校してよね」とか言われたり、「冬休みになるのは嬉しいけど、宿題が出るのがなぁ」なんて言ってみたり。


 そんな風に。


 チィズバーガーをぱくつきながら他愛のない会話をしている俺たちの姿は。


 客観的に見れば、充分に、恋人たちのそれに見えたんじゃないだろうか――。





 冬休みが明けた。


 千夏との別れのときは過ぎていた。


 見送りには、行かなかった。来るな、と千夏に言われていたから。それでも駅には行ったけれど、もう出発したあとだったらしく、彼女の顔を見ることは叶わなかった。

 あいつのことだから、嘘の出発の日を教えたのかもしれない。わんわん泣くかも、と言っていたから、ありえることだ。


 初詣に一緒に行けたのは僥倖ぎょうこうだった。まあ、千夏と守と三人で、ではあったが。とりあえず、守はもう少し気を遣うべきだと思った。

 あと、その帰りに『千夏、家まで送るよ』といつも通りに切り出したら、不思議と妙に慌てられてしまった。些細なことではあるのだが、謎といえば謎だ。


 彼女からの電話は、毎日のようにかかってくる。いや、『ように』なんてものじゃない。多いと一日に数回かかってくる。それでメールまで頻繁に来るのだから、千夏の内にあるエネルギーの強さみたいなものを垣間見たような気がした。

 でも、いくらなんでも頻繁すぎると思う。『俺のことを監視したいのか? 浮気するとでも思ってるのか?』と突っ込みたくすらなったし。……まあ、あいつも守同様、実は寂しがり屋だったということなのだろうか。


 と、そんなことを考えながら、机の上でウダウダとしているときだった。


「おはよう! どうしたの? 黄昏ちゃって」


 周囲からはそんな風に映るのか。ちゃんといつも通りにできていると思っていたのに。


 ……いや、ちょっと待て。いまの声って。


「――千夏……?」


 声のしたほうに振り向くことなく尋ねる。


「うん」


 返ってきたのは、間違えようのない俺の幼なじみ――いや、恋人の声だった。


「ここは二組だぞ。お前は一組だろ? 早く自分のクラスに戻れよ、じゃないと先生来ちゃうぞ。……とか言って流すと思ったら大間違いだぞ!」


「あたしとしても、流されちゃったら嫌かな。せっかく親の転勤についていったと信じてもらえるよう、電話やらメールやらを頻繁にしたんだから。なんていうの? 流されちゃったらすべてが水の泡?」


「一体お前はなにをやって……。や、とりあえず説明しろ、いいから説明しろ。なんでお前、まだここにいられるんだ!? まさか引っ越し云々自体が嘘だったのか!?」


 思わず千夏に詰め寄る俺。お互いの顔の距離、わずか数センチ。しかし、それで取り乱すような俺たちではなかったり。だって小学校時代――いや、こっちに来てからも、こんなことは割と頻繁にあったから。

 現に、千夏はちょっとだけ顔を離しはしたものの、動揺の気配なんて微塵も見せずに返してくる。


「さすがに引っ越しが嘘ってことはないよ。実際、お父さんたちは年明け前に引っ越していっちゃったから」


「ということは、なにか? お前が無理を言って、一人でこっちに残ったとでも?」


「うん、大正解。まあ、あたし一人のためにアパートを借り続けることはできないって言われたから、いまは彩桜学園の寮――桜華おうか寮で暮らしてるんだけど」


 ああ、あの女子寮か。それはさておき、読めてきた。読めてきたぞ。


「初詣のとき、家まで送るって言って慌ててたのって、それが理由か? 寮暮らしだってバレるから?」


「またしても大正解。今日は大河、鋭いね~。ほら、転校するって言ってる人間が寮で暮らしてるなんて、不自然極まりないじゃない」


 ついさっきまで俺の頭の中は、混乱すること、ここに極まれり、だったけどな。


「なんで、そんな嘘ついたんだよ。こっちに残れるって決まった段階で教えてくれたってよかったじゃないか。そうしてくれれば、ここ四日ほどだって、どこかに出かけたりできたんだし」


「あー、うん。それはそれで魅力的な提案ではあるんだけどね。でもほら、大河をびっくりさせたかったし、なにより、ちょっとは置いていかれる側の気持ちも知っておいて欲しかったのですよ、あたしとしては」


 その思考は理解できなくもないが、それでもなぁ……。


「それで、俺に見つからないように、という意味も兼ねて、電話とメールをこれでもかというくらい頻繁によこしていたと?」


「あ、その言い方は酷いなぁ。――でもまあ、それも大当たり。まさか四日間、ずっと寮に引きこもっているわけにもいかないから、『いま、どこでなにしてる?』ってメールを頻繁に送らせていただきました。あたしが買い物に行く直前とかには、特に念入りに、ね」


 イタズラっぽく笑いながらそこまで話し終えると、千夏は顔をわずかに背け、照れ臭そうに頬を掻いた。


「……もう、離れるのは嫌だなぁって思ったんだよね。あの日、大河に告白されてから。だから、お父さんたち相手に無理を押し通しもした。――それから四日間、あたし自身の意思で離れてみたんだけど……」


 や、俺の視点からならともかく、お前の立場からしてみればいつでも会えたんだから、離れたうちには入らないだろ。

 それを口に出すよりも早く、千夏が言葉を継いできた。


「やっぱり、駄目だね。こんな近くにいたのに、それはわかってたのに。それでも、会わずに過ごせたのは四日が限度だった。ううん、始業式の日には会えるってわかっていたから耐えられたんだよね。これじゃ、もし本当に転校していたら、普通に日常を過ごせていたかどうかすら……」


 切なげな表情でそんなことを言われてしまうと、俺としてはもう、沈黙以外の選択なんて選べなくなってしまうわけで。というか千夏さん、ここ、一応は俺の教室ですよ? けっこう大勢の人がこっち見てますよ? ほら、賢矢とか、西川とか。

 それにようやく気づいたか、千夏は少し慌てて会話を切り上げようとする。


「えっと、まあ、そんなわけで……! 大河、これからもよろしくね! えっと、色々な意味で……!」


 そして教室の外へと駆け出していく千夏。『色々な意味』が一体なにを指すのかはいまひとつわからなかったが――というか、多分あいつ自身もわかっていないんだろうが、なんにせよ、千夏の転校はなくなったわけで。それは、俺にとっても喜ばしいことだ。


 そして、ようやく鳴り始めたチャイムの音を聴きながら、今日はホームルームだけだから、帰りに千夏とどこかに遊びに行けたらいいな、なんてことをウキウキと考え始める俺なのだった。

 それは世間一般的には『デート』と称される行為で、しかし、そんな単語とは縁遠い人生を送ってきた俺はまた、ようやくそれを自覚して気恥ずかしい思いをしたりすることになるのだけれど。


 それはまた、別のお話ということで――。

今回は『恋愛』の短編です。

しかし、あんまりラブラブはしていないような……。

ま、まあ、コメディを楽しむ作品ってことで!

え? ヒロインの出番が少ない?

き、気のせいじゃないカナ~?

ともあれ、楽しんでいただけたのなら嬉しいです。

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[良い点] 主人公とヒロインの会話劇が自然ですごく良かったです シナリオもベターですが個人的にはこういうベタベタな話も大歓迎! [気になる点] 短編に収まらないことを承知で言うと、途中で登場してきた弟…
[一言] Twitterではお世話になっております。 ようやく読むことができました。 長らくお待たせし、すいません。 キャラ同士の掛け合いが上手だな、と感じました。あとは、何か特徴のある面白いキャラ…
2013/12/24 15:16 退会済み
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