31.闇夜の少女の心は
「明日さ、ノビ行くやん? めっさ楽しみなんだけどシフター行けそ?」
そうフラットが言ったのは、みんなが朝食を食べ終え、授業までの残りの時間をお喋りで潰していたときのことである。
「あ、多分無理、かな」
ノビというのは、正式名称ノビレッティ合衆国であり、同時にこのツァー王国の従属国の一つの名前である。去年一年間ノビ語を習い、明日明後日にノビに行き、異文化を研究すると言う建前の旅行である。
「そういえば……ここだけの話ですが、ノビレッティは十二年前に宰相が国を治めてからは荒れてるらしいです。私達が行くのは治安の良い……とは言いづらいかもしれませんが、魔法学院と王宮の城下町だそうですよ」
それなら俺も聞いたことがある。ノビレッティはツァーと違い、きちんと王族が生きてるのが確認されている。宰相が殺そうと躍起になっているので逃げ回っている、と。
「え、ホント? ひどい話だね。でもさ、もったいないよね。あたし達みたいなのは行く機会ないと思うし。あ、でも、外交の仕事についたら行けるのかな?」
「貴族とかってさー、外国とか行くの? パーティに招かれたりとかそんな感じの」
キャムの発言には理解に時間がかかった。フラットの発言でより理解した。
そうか。……庶民だと、外国に行く機会はないよな。商人でもないかぎり。
しかも、今ロジスは誘拐されているから旅行なんて無理だ。……よくよく考えて、俺は何をしてるんだろうか。友達が誘拐されている。学校でのんびり過ごしている。……でも、俺に出来ることはない。魔法だってやり始めたばかりだ。そんな俺に、何かできるとは思えない。それが言い訳であり、世の中の厳しさであることは百も承知だが。
「私はありますわ。といっても、言葉が喋れなくて粗相をしては困りますから、まだノビレッティしか行ったことありませんけど。この前初めて行きましたの」
「相棒、うゎー、あーなんでもない」
気を使われたな。今。わかりやすいほどに。
宗主国の王族の、命を守れなかった貴族には、外国からパーティのお誘いなど来ない。
「そろそろ時間だね。行こっ」
気まずい雰囲気の中で助け船を出したのはキャムだ。なるほど。確かにそろそろ行かないとな。
その日の夜。城下町の噴水の近くの路地で、それは行われていた。
「まさかあなたが生徒に偽装してるなんてね。顔は隠したようだけど、よく学院を騙せてるわね」
娘の声。先日とは違い、打って変わって違う印象をする服を着ている。
ゆったりとしたワンピースに、麦わら帽子。
「なんじゃ。何か不満かの?」
性別不明の老人は相変わらずの格好である。
「色々理由付けてたけど、それでわかったのね」
「ふん。大体わしは生徒に偽装などしておらん」
「じゃあ何? あなたが生徒だっていうの?」
「それは違うのう。ま、駄弁はこれぐらいにするかの。アヤツ、学校から抜け出したようじゃ。お主ら、誘拐はしておらんのじゃろう?」
驚愕の色に変わる娘。戸惑いを隠せない娘は口を開いて止まる。
「……どういうこと? ちょっと待って。こっちも聞きたいことがあるの。学院で、わたしをテレポートさせたのはあなた? 仲間は学院の外で待ってたの」
「その件か。いや、あれはわしではない。大人の事情じゃ」
「おと、って……。学校から抜け出したって、どういうことよ」
待ってましたと言わんばかりに楽しげな雰囲気を醸し出した老人。本当におとぎ話の悪い魔女のようだ。
「あっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ」
「何よ」
「どうやら、なるつもりらしいぞ?」
「なるって?」
話が理解できない、というように、苛立ちを言葉に含ませる娘。老人が変に溜めるのだ。うざいうざい。悪い魔女め、と性別のわからない老人に心の中で毒を吐く。
「王様に、な」
「…………え?」
信じられない。どういうこと。何があったの。沢山の思いが交錯する娘は困惑していた。
どういうことだ。え? え? 頭の中は疑問符で埋め尽くされている。どういう心境の変化? いやこいつの言ってることは嘘かも知れないよ? そんな簡単に信じるの? あれ? でも本当だったら? どうし、て? わたしの言ったこと……で?
「生まれた時からアヤツを匿っておったやつが仰山おってな。お前らが動いたことで腹を決めたらしい」
……嘘、だ。いや、あり得ることはわかってるの。別に信じたくないわけでもない。でも頭の理解が追いつかなくって。
でも。でも、そういうことなら。
「わたし、たち。解放、されるの?」
あの、宰相によって支配された私達の、国。ツァーの王族がいなくなって、反旗を翻し、王は殺され、王子はひっそり生きながら、それからは、宰相が好きかってして。
そんな、治安も悪くなった私達の国。変われる、の? 元に、戻れるの?
「それはどうかのう?」
「……どうしてよ」
だって、私達だって協力するもの。宰相から甘い蜜を啜ってるやつ以外なら、虐げられてる私達のような人なら、絶対。
「もしアヤツの根が宰相のように腐っておったらどうするのじゃ?」
……確かにその可能性もあるわ。でもね?
「匿われたのよね。なら、キチンとそういう思想とか、暗示みたいな感じの洗脳受けてるんじゃないの?」
宰相を悪とし、権限を取り戻すために。
「そうじゃな。じゃ、わしはこれで。少々私用で急いでおったんじゃ」
「そう。……また、とは言わないわ。多分あなたとはこれで最後ね」
「じゃな。では、さらばじゃ!」
老体には似つかわしくない、軽やかな足取りで路地の奥へと消えていく。
それを見ながら娘は安堵した。
「これからは、きっと楽になるよ。だから待っててね」
心の中を言葉にすると、なんだか軽くなったような気がした。でも肩はまだ重い。ある程度軽くなったけど。
まずは仲間にこれを報告しなくては。
そして、戻って、戦うんだ。戦わないかもれないけれど。
娘は、空を見上げて睨んだ。