16.あの黒い使い魔の名前は
「まずは……、挨拶から始めるか」
教壇に腕を立てて生徒六名、使い魔四匹の居る教室を見回して口を開く先生。
「俺が今日からこの第二学年無属性の授業を担当する。普段は灰組の担当をしていて、俺もみんなと同じ無属性だ。生徒とは気軽に話せるようになりたいから砕けた口調で接してくれるとありがたい。あ、でも呼び捨てはダメだからな?」
入学当初の灰組で行ったものとほとんど同じの自己紹介。最後に表情を柔らかくして笑いながら、みんなに『先生』と呼ばせることを認識させるた。
隣でフラットとキャムが何かこそこそ話している。といっても主にフラットがキャムに小さな声で話しかけていて、キャムは受け答えをしているだけである。いくら通路を挟んで隣の席であろうと、ささやくような声で行われる会話ははっきりとは聞き取れない。しかし「――――名前――わす――――去年――」などと言ってることから話の内容は大体理解できた。
先生は去年も自己紹介で名前を言うのを忘れていたのだ。
去年はみんな入学したばかりで誰もそれを指摘することができず、教室には気まずい雰囲気が流れていた。先生が、入学前から家同士で交流があると思われる生徒達が目を合わせては首を傾げたり困った顔をするので、疑問に思ったところ名前の紹介を忘れていたことに気がついた、といつかの授業に言っていた。
初授業からさっそく私語をしているフラットに対して注意をしようと思ったところ、この感じに既視感を覚えたらしい。
眉間にしわを寄せて考えるようなそぶりをした後、何かを思い出したかのように目を一度瞬かせた。
「あ、またやっちゃったよ……ハハハ」
困ったように頭を掻いて再度口を開く。
「名前はチェーカス。よろしく」
前を向いて力強く自分の名を名乗ると、隣でまたフラットがキャムに何かこそこそ言っていた。「先生の――――らなかった」などと驚いた顔をしながら言ってるのから察するに、先生の名前を知らなかったのだろう。だが灰組のクラスメイトならば、先生が一度名乗っているので知っているはず。つまり忘れていたのだろう。
言っちゃ悪いが、クラス一の馬鹿という称号は侮ってはいけないようだ。まぁそういう俺もクラスメイトの名前をしっかり覚えているわけじゃないが……。
「出席を取ろう。使い魔のお披露目も兼ねるか。じゃあみんなまずは使い魔を見える所へ出してくれ」
この言葉にいち早く反応したのは先程叫び声をあげた女子生徒だった。ハッとした顔をしてダッシーという人を一目見ると、自らの使い魔のネズミを抱きかかえて彼女の方を向いて警戒態勢を取った。
先生はそれを不審がりつつ、ダッシーという人を見る。他の生徒の使い魔は先程見えるところにいるし、彼女一人に対しての言葉だったのだろうと思われる。
ダッシーという人は少し顔を顰めると、一つ溜息を吐いて諦めたように右脇に左手を伸ばした。右手は相変わらず頬杖をついているが先生は気にしないらしい。
巾着袋の代わりに灰色のバンダナで包まれた木箱がコトッと音を立てて机に置かれる。先生は硬い音がしたことに疑念を抱きつつも、ゆっくりと二つの結び目がほどかれると納得したような表情をしたあとすぐに腑に落ちないとでもいうような顔をした。
みんなすることがないので先生と同じようにダッシーと言う人に目を向けている。この状況は先程と少し似ているなと思う。隣ではフラットがキャムを指で突いていた。フラットが顎をあっちを見ろとでもいうように指すと、わかってるとでもいうようにキャムがダッシーと言う人を見ながら――いや、木箱を見ながら数回頷いた。
灰色のバンダナに敷かれた木箱の蓋が上に持ち上げられる。それだけのことで女子生徒はピクリと反応したのだが、トラウマになっているのだろうか。
そして現れたのは、さっきも見た黒く大きなゴキブリ。荘厳な雰囲気を出してそこに存在していた。
女子生徒はまた反応したがすでに耐性はついたらしく、ヒッと掠れ声を上げるに留まった。
フラットと男子生徒は落ち着いた様子でそれを見ている。
キャムはいつもゆるやかに開かれた目をしっかりと見開いている。しかしそれは驚きではなく……なんだろうか?
一方の先生はダッシーの使い魔を見た途端、目を大きく開き、口をあんぐりとさせて止まった。しかしそれも一瞬の事で、次の瞬間には優しいような、愛しいような、悲しんでいるような、俺にはよくわからない笑みを浮かべた。その表情は正に大人の顔だった。こういうときは少し先生と年の差という距離を感じる。
「ゴキブリ、か。珍しいものを召喚したな」
ゴキブリ、と先生が言うと女子生徒がピクリと頭を動かした。それにつられて先生も一瞬目を向けるがすぐにダッシーと言う人に視線を戻した。
「みたいです」
「さて、出欠だな」
そっけない応対を流しつつ手に持っていた板を、いやその上に置いてあるだろう紙を見ながら名前を読み上げる。
「ダシタム・アンキャリー」
「はい」
先生が名前を読み上げるとダッシーという人が軽く手を挙げて返事をした。へえ、本名はダシタムというのか。
「と、使い魔の……ゴッキー……」
板へ向けている視線を右へと流して、怪訝な顔をしながら彼女の使い魔の名前を読み上げる先生。いぶかしむ視線をそのまま上に流してダシタムという人を見た。隣ではフラットが口を開けずに吹き出していた。といっても口は開けてないので頬が膨らませている。
名前を読み上げられた使い魔は、四枚の翅をはばたかせて自分の主人の顔に飛び付いた。
「きゃあっ!」
それを見ていた女子生徒が叫び声をあげる。
ダシタムという人は鬱陶しそうに自分の使い魔を顔から剥がすと、右手を頬から離して蓋を取る。六本の足を動かしてもがいている使い魔を木箱に近付け、蓋も木箱に近付けた。
もう何をするかわかった。無理矢理入れるつもりだ、と思った途端、実際にゴキブリを木箱にねじ込むようにして入れた。……乱暴だな。……死ぬぞ?
「はい、ゴッキーであってます」
蓋を閉めた後再び頬杖をついたダシタムという人は、先生の不審そうな顔を見ながら答えた。
「そう、か。ゴッキーな」
隣ではフラットがキャムに笑いを含んだ声でみみうちしている。興奮しているのか小さいながらもはっきり聞き取れる音量だった。
「ゴッキーとかそのままワロスー」
震える声でそう言ったフラットに心の中で同意した。テレパシーは使わなかったがな。
ダシタム君。あれ、授業が始まらない。
女子生徒と男子生徒の名前は次話で。
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