15.教室を混乱に陥れたのは
叫び声をあげて立ちあがった女子生徒は目に涙を溜めて腕を身体の前で構え、ゴキブリの襲来に備えている。彼女の使い魔は机の上で後ろの足で立って主人をどうにか宥めようとしていた。
一方二回も叫び声をあげられたゴキブリは、叫び声に全く動じず木箱の中で鎮座していた。
「こういう反応されるから、出してない」
ダッシーという人が女子生徒を横目で見ながらいった。とても納得のいく理由だ。使い魔召喚儀式はクラス別に行ったが、おそらく召喚した際にクラスが混乱に陥ったのだろう。ほとんどの女子が叫び声をあげたはずだ。
「でも呼吸できなくない?」
「木箱の下、穴開けてあるんだ」
「ふーん」
そう答えながらゴキブリが入った箱を持ち上げて下からのぞくフラット。俺も便乗して見ると、そこには確かに四つ角に爪の大きさ程度の丸い穴が開けられていた。
その間もゴキブリは静かに箱に納まっている。
「……ところでー、これ、生きてる?」
木箱をゆっくりと机に置いたフラットが何を思ったかダッシーと言う人に尋ねた。
「生きてるよ。ほら」
そう表情の変わらぬ言いながら箱の中の大きなゴキブリを右手で摘みあげたダッシーという人。左の方から「ひっ!」と女子生徒の声が上がる。
主人に摘みあげられたゴキブリが動く様子はない。本当に生きてるのか?
主人が生きているのを証明しようとしているのに動かないゴキブリに何を思ったのか、ダッシーと言う人はそのゴキブリを――――投げた。
上に向かって投げられたと同時に体長およそ十cm、幅およそ五cmの大きなゴキブリは、二対四枚の翅を広げて羽ばたく。
「お、おおう!?」
ゴキブリを見て叫ばなかったフラットも、流石にこれには驚いたらしく素早く後ろに四歩程度下がった。俺もそれには驚いたので一歩身体を後ろに引く。
それに少し遅れて反応したのが女子生徒。
ゴキブリが宙に向かって投げられたという事実が信じられなかったらしい。ダッシーと言う人の頭上で円を描いて飛んでいるゴキブリを見て、綿が詰められただけの木箱を見てゴキブリを主人の手元を見てから再びゴキブリを見る。
そうしてゴキブリが飛んでいるのを自分の目でしっかり確認して
「きゃあああああああああああああああああ!」
と先程よりも大きな声で叫んだ。声が大きすぎて耳が痛い。教室にいる女子生徒以外が耳をふさいだ。
恐怖に耐えきれず叫んだ女子生徒はそのまま椅子によろよろとへたり込んだ。使い魔が主人の身を案じて方に飛び乗る。
男子生徒は使い魔とともにゴキブリを目で追っていた。
ダッシーという人ははぁ、とため息を一つ吐くと、右手を自らの使い魔に対しておいでおいでとでもいうようにパタパタさせる。
するとゴキブリは大きな体を窓から差し込む光に反射させて光らせながら降下する。音も立てずに下降した使い魔はそのまま主人の右手に着地した。さすがに使い魔なだけあって野生のゴキブリとは違う……。
ダッシーという人は自分の手のひらに舞い降りたゴキブリを、左手で木箱から出した時のように摘み、そのまま綿の敷き詰められた木箱の真ん中へと入れる。蓋を乗せ、下に敷いていた灰色のバンダナの対角同士を結ぶと結び目を持って自分の左脇に置いた。そしてまた右肘をついてこちらに視線だけを寄こした。
そのとき教室のドアが控えめな音を立てて開く。
教室の中がさぐるように顔をのぞかせたのはキャムだった。
教壇を見て先生がまだ来てないことを確認して一安心。そして教室の生徒達を見て不審がる。俺達の姿を確認して近付いて来るその足元には使い魔である犬のルーもいた。
「なにかあったの?」
目に涙を浮かばせて椅子に脱力したように座り込む女子生徒に、使い魔とともにこちらを警戒したように見ている男子生徒。その二人に対して何事もないように肩肘を付いた無表情な男子のような女子生徒。そしてその女子生徒から戦くように数歩離れた俺とフラット。
それを見て疑問を持たなかったら逆におかしい。
「ダッシーの使い魔見てみんなで驚いちゃっ、てー。」
理由を説明するフラットの歯切れがやけに悪い気がする。顔もまずいことをしたとでもいうように顰めているような……。気のせいか?
「そうなんだ。そんなに驚くの使い魔なの? 何?」
様子からしてキャムもダッシーという人とは知り合いなのだろう。ダッシーに質問を投げかけるキャム。
「ゴキブリ」
短く答えたダッシーと言う人にキャムは顔にやわらかい笑顔を貼りつかせたまま複雑な顔をした。フラットも何かを止めるように出した右手を身体の前に出したまま固まっている。……何かまずいことでもあるのか?
「……そ、そっかー。じゃ、じゃあ授業も始まるし、ブルー、後ろの方行こ!」
「うー、うん」
目に見えて挙動不審なキャムとフラットが気になるところだが……。
キャムに手首をつかまれて教室の後ろのほうに歩いていくフラット。本人は先程叫び声をあげた女子生徒が気になっているらしかったが、その女子生徒が姿勢を正し心をもちなおしたのを確認すると、安心したように大人しくキャムにひきずられていった。その後について行きながら一度ル―の尻尾を踏みかけてしまった。
警戒心が薄れたらしい男子生徒の横を通ってキャムとフラットが中央列の一番後ろの席に座ったので、俺は右列の一番後ろに座る。教室の中は左右対称なのでドアを除けばいつもと同じだ。だからある意味いつもと同じ席だ。フラットと通路を隔てて隣の席に座ったのは、使い魔と席が離れてるのもどうかと思ったからな。
教室のドアがキャムの入室した際の音より大きな音を立てて開けられる。
そこから入ってきた先生は教室をぐるりと見回して教壇に立つ。窓の外を見て一度なぞの笑みを浮かべ、授業を始めるために口を開いた。
猫や鼠はゴキブリを食べますが、人の使い魔だということで食べませんでした。
キャムちゃん、ゴキブリは苦手だっていうわけじゃないんです。
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