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氷雪記  作者: ゐく
第三部
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第三十二章 氷姫がくれたもの(後) 壱

 すらりと高く伸びた木の上に、男がいた。装いは普通の村人のものだが、幹に手を添え、身を低くして枝に乗っている。

 どうやら彼は見張り役のようである。


 息を潜め、じっと遠くを窺っていたその目が、つと(すがめ)られた。

 街道から山吹という小さな村へ通じる道に、数人の旅人が入ってきたのである。五人組の少年と少女。もちろんそれは、雪姫達であった。


 見張りの男はその一行のことをしばらく観察したあと、跳躍した。

 音もなく木の枝から枝へ。素早い動作で跳び移り、山吹へ急ぐ。


 一方、街道を進んでいた雪姫達はというと────


 自分達の存在が気付かれていることも知らぬまま、山吹を目指して歩き続けていた。





 時は、雪姫達が疾風を取り戻す決心をしたあとに(さかのぼ)る。

 霜白の屋敷の一室に、「ええっ!」と少年少女の仰天した声が(とどろ)いた。


「若草の帝から恩賞として、疾風の命をもらうですってっ?」


「そうよ」


 目を白黒させる幼夢に、正座した状態の雪姫が毅然と答える。


「私のものになれば、誰も手出しできなくなるわ。そうすれば、疾風は本当の意味で自由になれるはずよ」


「た、確かにそうだけど……」


 畳の上では、会合が開かれていた。気圧されている幼夢の隣で、佳月が疑問を口にする。


「でも、実際の問題としてそんな望み、聞き届けてもらえるのか?」


 それには粋が反応した。


「まぁ、国を寄越せと言っている訳でも、人を傷つける訳でもありませんし……それに、亡くなったことになっている人の身柄を預けてくれと言っているだけですから、金品財宝や地位をねだるよりも遥かに経済的で良心的なお願いですよねぇ」


 眼鏡の少年は頬を掻き、苦笑混じりに見解を述べた。


「要は、うまくいく可能性が高い……ということですね」


 早智乃が悩ましげにこめかみを押さえる。

 雪姫は毅然とした態度のまま、仲間達を見回した。


「だからこの条件を武器に、正々堂々と山吹に乗り込んで疾風を取り戻しましょう」


 普段から一変して何とも勇ましい物言いである。そんな少女に、幼夢が呆けたように口を空け、目を(しばたたか)せた。


「な、何か急に(たくま)しくなったわねぇー」


「ええっ」


 言われて、雪姫は狼狽(うろた)えた。


「だ、だって、こっちも必死なのよ? こうなってしまったからには、利用できるものは利用させてもらわないと」


「ならば、私もそれに協力しよう」


「氷室様!」


 突然差し挟まれた涼やかな声に、全員が振り返った。(ふすま)の陰から屋敷の主が現れる。


「話は聞かせてもらった。それにしても、ずいぶんと物騒な計画を立てているのだな」


 彼は笑っていた。

 たしかに。命をもらうだとか、乗り込むだとか、さらには利用させてもらうだとか、そこだけ切り取ると穏やかでない。まるで(はかりごと)である。


「でも、氷室様……どうしてここに? いつもなら、この時間はまだ皇宮にいらっしゃるはずですよね?」


 驚いた顔のまま、粋が尋ねた。


「それが、先ほど疾風殿からの文を家臣から受け取って、急いで帰ってきたところだ。彼の正体に関しては、もしかしたらとは思っていたが、まさかこんな形の別れになろうとはな……」


 少し(うつむ)き、氷室は残念そうに声の調子を落とす。が、次には顔を上げて言葉を連ねた。


「取り戻しに行くのだろう? なら、私に考えがある。君達と一緒に行くことはできないが、支援ぐらいはさせてくれ。幼夢殿と早智乃殿の協力があれば、より確実な後押しの材料が用意できるだろう」



 そして翌朝。屋敷の門前には、旅支度を整えた雪姫達と、その向かいに見送りに立つ氷室と清晏の姿があった。


「どうもお世話になりました」


 全員で、しっかりと頭を下げる。


「何を言う。世話になったのはこちらの方だ。達者でな。疾風殿のこと、健闘を祈る」


「みなさんなら、きっと大丈夫ですよ。作戦は成功するはずです」


「はい。ありがとうございます。氷室様も、清晏先生も、どうかお元気で」


 雪姫は、懐にしまったあるものを着物の上から大事そうに押さえた。






 雪姫達が山吹に到着すると、村の入口で待ち構える者がいた。


「そろそろおいでになる頃だと思っておりましたぞ」


 (ひげ)を蓄えた老人が後ろに二人の男を従え、一行を迎える。

 さすがは忍びの村というべきか。こちらの(おとな)いなど、把握済みのようである。


「お久しぶりですな、雪姫殿。ようこそ山吹へ」


 相手が一歩、こちらに踏み出す。


「緑助様……」


 雪姫達のことを出迎えた老人は、緑助であった。彼は一年前と変わらぬ矍鑠(かくしゃく)とした姿で少女の目の前に立っている。


「どうもお久しぶりです」


 雪姫は丁寧に頭を下げ、今度は緑助の後ろに控えていた切れ長の目の青年と、がたいのよい(ひょう)々とした印象の男にも同様に挨拶した。


「藤太さん、草助さんも」


「お久しぶりです」


「よくきたな」


 雪姫は緑助の方に向き直り、口を開いた。


「やはり、山吹にいらしていたのですね」


「ええ。休暇をいただいて参ったのですよ。ここは、私の生まれ故郷でもありますからな」


 緑助が顎髭(あごひげ)を撫でた。


 先日、草助が「緑助のジジイが、うるせぇんだ」と言っていたので、山吹に来ているであろうと予想はしていたが、まさか出迎えてくれるとまでは思っていなかった。しかし、探す手間が省けたと雪姫は腹を(くく)った。


「疾風から聞きました。緑助様と取り引きをしていたんだ、って。それで、もう山吹に戻らなければならないんだ、って。でも、私達だって譲れません。だから来ました。疾風を、彼の自由を、返してもらうために」


「……残念ですが、いくら雪姫殿の頼みであっても聞き入れて差し上げることはできませんな。一年前の、離宮での数日間が特別だったのです。今後はそうもゆきませぬ。お引き取りいただけますかな?」


「いいえ、退()きません」


 雪姫ははっきりと口にした。


「先ほども言った通りです。私達は、疾風を返してもらいに来ました。こちらをご覧ください」


 そう言って懐からあるもの取り出した。


 緑助の目が(わず)かに見開かれる。

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