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氷雪記  作者: ゐく
第三部
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第三十一章 氷姫がくれたもの(前) 肆

「疾風の知り合いか?」


 (いぶか)しさと心配とが入り交じった顔で、佳月が少年を窺った。

 問いかけられた本人はそこで我に返り、ぎこちなさを残しながらも男の紹介にあたる。


「あ、ああ。草助というんだ」


「まぁ、なんだ、こいつの保護者代わりってとこだな」


 草助が口の端を吊り上げ、歩いてこちらとの距離を詰める。後列にいた雪姫が目に入るや、思案する時のように顎先へ指をやり、よく見ようと身を乗り出した。


「へぇ、なるほど。この嬢ちゃんが例の村娘か」


 雪姫はぱちりと大きく(まばた)いた。


「私のこと、ご存知だったんですか?」


「そりゃあな」


 立ち直し、草助が簡単に答える。

 ところが、それ以上語る気はないらしい。そのまま「さてと。時間もねぇし本題に移るとすっか」と誰にともなく前置きして、疾風の肩に肘をもたせかけた。


「悪いが、こいつと風見ヶ丘の嬢ちゃんは借りてくぜ」





 道端で話すのは何だが、かといって屋敷に上がるまでもないと草助が言うので、庭に場所を移すことになった。

 三人は幼夢達と別れて屋敷の正面から左に回り、西側の庭に入ってゆく。


 こちらは他と比べると何もない場所であった。屋敷の縁側を囲むように木が生い繁り、木漏れ日がさやさやと地に揺れている。

 縁側の雨戸と障子は開け放たれていたので、屋内が見えた。

 その広さと造りに、草助が素直に感心する。


「ほぅ、こりゃまた大した屋敷だなぁ」


 雪姫はさっそく彼に対して、憎めない人だな、という感想を抱いた。

 以前、疾風が霜白に来るまでの経緯を語ってくれたことがあったので、草助の存在は知っていた。疾風いわく、ざっくばらんで飄飄(ひょうひょう)とした人物とのことだが、その通りのようである。


 疾風は彼に対して、世話になった、なんだかんだで懐いていた、と言っていた。そんな風に慕っている人物が訪ねてきたというのに、当の本人が先ほどから心ここに在らずの状態であるのが雪姫には気になっていた。

 何か考えているようにも、必死に心を落ち着けようとしているようにも見える。


「それで、用件というのは……」


 口をつぐんだままの少年に代わり、雪姫が話の口火を切った。草助が横目で疾風を気にしながら、言いづらそうに頭を掻く。


「ん? ああ、それなんだがな……」


「大丈夫だ、草助。約束は約束だ。従うよ」


 疾風が先回りして答える。

 草助の頭にあった手が、ゆっくりと下ろされた。


「…………そうか。わかった」


 その声には、噛みしめるような響きがあった。疾風の覚悟を悟り、草助も納得したようである。


「個人的には、少しくらい多目に見てやってもいいと思うんだけどな……。緑助のジジイがうるせぇんだ。悪いな」


 申し訳なさそうに言うと、男は大きく息を吸って気持ちと場の空気を入れ替えた。


「そんじゃ、手短に頼むぜ。俺は門のとこにいる。早く来いよ。──それと、嬢ちゃん」


 明るい口調で(きびす)を返した草助が、雪姫にも声をかけてきた。


「あとのことは任せた。周りのやつらに、うまく言っといてくれよな」


 最後に軽く肩を叩かれ、草助は後ろ姿のまま、ひらひらと手を振りながら立ち去った。


 呼び出した本人が退場し、庭には疾風と雪姫だけが残された。

 雪姫は、話が掴めないどころか謎のお願いまでされてしまい、大いに困惑する。


「ど、どういうこと?」


 救いを求めて疾風に顔を差し向けたが、彼は拳を握り、静かに目を閉じていた。


(……疾風?)


 少しして、彼の(まぶた)がようやく持ち上がる。


「雪姫、聞いて。大事な話がある」


 真剣な声であった。

 何となく背筋が伸びる。疾風が身体をこちらに向けたので、雪姫も口を引き結び、それに(なら)った。返事の意味を込めて彼の瞳を見つめると、向こうもそれを汲んだようであった。少年の唇が、すうっと動きだす。


「僕は、君と一緒に行けない。これから、草助と山吹に行かなければならない」


 雪姫の心がさざめいた。

 声が出ない。何と言ってよいのかもわからなかった。

 息を詰めたまま棒立ちになってしまっている少女に、疾風は言葉を重ねる。


「まだ君に言っていなかったことがある。僕は、霜白に旅立つ前に緑助と取り引きをしていたんだ。しばらくの間自由を許してもらう代わりに、その後は緑助の意向に従うという約束をした。そして僕が手に入れた自由の期間は、雪姫の手伝いが終わるまで。だからもう、戻らなければならない」


 ふっと表情を緩め、疾風が悲しげに微笑む。


「せめて、君が風見ヶ丘に帰るまで見届けたかったけれど……迎えが来てしまったから、ここでお別れだ」


 雪姫は震える唇を必死に動かして、おそるおそる尋ねた。


「で、でも……また会える、わよね……?」


 声が上擦(うわず)る。

 嫌な予感がしたのだ。不意に渦巻きだした不安を掻き消したくて、確かな安心と希望が欲しくて。雪姫は(すが)る思いで答えを求めた。

 しかし、対する疾風は黙ったまま否と首を横に振った。


「どうして……」


「理由は言えない」


「そんな……じゃあ、本当にここで最後だというの? もう、会えないというの?」


 今度は、雪姫がいやいやと激しく(かぶり)を振った。


「このままお別れなんて……そんなの、納得いかない……私は、疾風とまた会いたい……一緒に、いたいの……!」


 口にしたからといって通る道理でもないとわかっている。それでも、これが本心で、訴えずにはいられなかった。


 疾風の顔が悲痛に歪む。

 ぐん、と雪姫は腕を引かれ、次の瞬間にはもう抱き(すく)められていた。

 力いっぱい、震えるほどに。固く、固く胸に押しつけられる。

 苦しいくらいの抱擁(ほうよう)

 少女を閉じ込めていた腕が、そっと緩んだ。雪姫が上向くと、切なげな微笑みとぶつかった。疾風の温かな指が滑り降りてきて、優しく頬にかかる。



「雪姫、今までどうもありがとう。僕は、君のことが好きだよ……」



 言い終わるのと、雪姫の目の前に影が落ちるのは同時であった。返事をする前に、口づけられる。


 重なっていた影がゆっくりと、名残惜しげに遠退いた。雪姫は驚きのあまり、疾風を見上げたまま茫然としている。


「さようなら。どうか元気で」


 その言葉と、泣いたような笑みが最後であった。抱き締められたまま後ろから当て身を受け、雪姫は気を失った。

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