第三十一章 氷姫がくれたもの(前) 参
それは、ひどく古びた鈍色の墓石であった。
上部には霜白皇家の紋章である雪紋。中央には、初代帝と奥方の名が刻まれている。
如月
深冬
彫られた二者の名前に、影がかかっていた。
墓前には六人の少年少女が並んでおり、皆で静かに手を合わせてお参りしている。
この少年少女らこそ、雪姫達である。
「…………」
氷之神を鎮めた日から、数日が経過していた。霜白を覆っていた雪と霜は残らず溶け、復興は始まったばかりであるものの、町はすでに活気を取り戻しはじめている。
大通りでは被害の少なかった店が営業を再開しており、賑わっていた。そこに建物を修繕する金づちの軽快な音が加わって、賑やかさに輪がかかっている。
復興は、国の支援で進められている。もちろん、指揮を執るのは氷室であった。
その氷室だが、次期皇位を継ぐことが正式に決まった。
一葉が己の過ちで氷之神の怒りを買い、民を危険に晒してしまったことに責任を感じて、自ら辞退したのである。
政界からも退こうとしたが、そちらは氷室が止め、説得の末に次期帝の補佐官という形に収まった。
清晏はというと、雪姫の証言をもとに氷姫や深冬、氷之神についての調べも進めて歴史の真実として発表したいと意気込んでいる。
山の上の村でも、職人や兵士達が派遣され、都と同様に修繕が進められていた。大巫女と孫の少女も、元気そうにしている。
そして、ここ。皇家の墓地には、新たに氷姫の墓石が加えられる予定であるという。
しかし、残念なことに雪姫達がその完成を目にすることは叶わない。なぜなら明日、霜白を発つことになっているからであった。
雪姫達の旅の目的は果たされたのだ。名残惜しい気持ちはあるが、いつまでも氷室の屋敷に居座る訳にもいかない。霜白の混乱も鎮火し、落ち着いてきたので頃合いであると判断し、帰ることを決めた。
こうして皇家の墓地を訪れているのも、深冬に氷之神や氷姫のことを報告し、別れの挨拶をするためである。雪姫達は、山の上の村で大巫女に挨拶を済ませたあと、その足で深冬に会いにきていた。
「そういえば、雪姫はあの件についてどうするのか決まったの?」
墓地からの帰り道、歩きながら幼夢が尋ねてきた。
「あの件?」
「ほら、若草の帝から褒美がもらえることになったっていう」
「ああ、あの話ね。それが……まだぜんぜん決まっていないの」
雪姫は眉を下げ、淡い苦笑で返した。
実は先日、若草から使いが訪ねてきたのだ。もちろん、その時は本当に驚いた。
使いから話を聞いてみると、どうやら雪姫達が氷之神を鎮め、大寒気を防いだという情報が若草の帝にも届いたのだという。
ちなみに、白き闇は水澄にまで進行していたらしい。幸い人里から外れていたので被害は出ていないそうだが、もしも氷之神が鎮まらなければ、白き闇の勢力はますます拡大し、三国──水澄、若草、緋那は大寒気に飲まれていたであろう。
若草の帝は、この危機を解決に導いた者達の中に自国の民がいると知り、その功績を称え、褒美を与えたいという。そのため、雪姫には帰りに皇宮に寄るように、何が望みであるか決めておくように、とのとであった。
その話を受けて、雪姫は心から恐縮した。
もともと、この旅は自己満足のために始めたものである。それがまさか英雄扱いされ、恩賞までもらえる事態に発展してしまったので、身に余ることだと感じていた。
「そろそろ決めないといけないわよね。でも、欲しいものなんて、これといって思い浮かばないし……」
どうすればいいのかしら……と悩む少女に、幼夢がやれやれと肩を竦めて溜め息をこぼす。
「はぁ……わかってはいたけど、雪姫ってば本当に欲がないわよねぇ~」
「そ、そんなことないわ」
雪姫は慌てて反論する。
「欲しいものは、あるにはあるのよ? ただ、物ではなくて願いというか……私だけの問題でもないというか……」
最後は、ごにょごにょと口ごもって胸の前で指同士を絡める。
雪姫は、ちらりと前を歩く疾風を窺い見た。彼は、佳月や粋と何やら楽しそうにしゃべっている。
(疾風はこの先、どうするのかしら)
そっと目を伏せる。
思えば、詳しいことは何ひとつ聞いていなかった。彼が今後どこに身を置くつもりでいるのか、そもそも行く宛はあるのか。それすらわからない。
もし、行く先が決まっていなかったとしたら。もし、雪姫が風見ヶ丘に来ないかと誘ったら。疾風は、一緒に来てくれるだろうか。
(あら?)
一行が屋敷まで戻ってくると、正門付近に誰かいるようであった。
四十を過ぎたぐらいの、がたいのよい男性である。髪は短く切っており、浪人のような態をしている。
男は腕を組んで屋敷の板塀に寄りかかっていたが、雪姫達が近付いてくると反動をつけて押し返し、道に躍り出た。
「よぉ、久しぶりだな」
片手を上げて、疾風に軽い調子で挨拶する。
対する疾風は息を飲み──
「草助……」
やっとのことで、喉から声を絞り出して呟いた。