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氷雪記  作者: ゐく
第三部
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第三十一章 氷姫がくれたもの(前) 弐



  ……う……ううっ

  わたしは……いったい…………



「氷之神様!」


 雪姫は疾風に手を引いてもらい、苦しそうに(うめ)く神のもとへ戻る。

 今なら届けられるかもしれなかった。好機を逃すまいと、食らいつく思いで叫ぶ。


「氷之神様! 深冬様の真実を届けに参りました! どうか、聞いてください!」



  みふゆの……しん、じつ……だと……?



 今度は通じた。深冬と聞いて、雪姫に関心が寄せられる。

 向こうから歩み寄ってくれたのである。あとはもう、己の言葉で説明するだけであった。


「はい、そうです! 深冬様は──!」


 氷之神が神の次元へ帰っている間に、深冬が人間と恋に落ちたこと。

 結婚して氷姫が生まれたこと。

 夫が病で亡くなったこと。

 深冬も、氷姫に霊力を譲ることで人間に近い身となり、夫と共に永遠の眠りについたこと。

 娘である氷姫が、氷之神にそれを伝えようとしていたこと。

 氷姫に代わり、雪姫がその役目を果たしに来たこと。


 話を聞いている間、氷之神は暴れる己の力に飲み込まれないよう、懸命に抗ってくれた。

 雪姫がすべて伝え終えると、



  ──そうか

  そうで、あった、か……

  みふゆは にんげんとして “し”をえらび、このよにはもう いないのだな……



 しんみりとした声が、頭上から降り落ちる。

 どうやら真相を受け止め、納得してくれたようであった。氷之神の発していた輝きが徐々に弱まり、まろやかなものに変じてゆく。吹雪もそれに伴い、凪いでいった。


 厚かった雲もみるみるうちに薄れ、一筋二筋と、続けてあちこちの切れ間から陽が差す。

 空が晴れ、澄んだ薄青色が広がった。


 氷之神が平静を取り戻した。完全に鎮まったのである。



  ひとのこよ、そして みふゆのむすめよ

  せわをかけた……



 上空から、ゆっくりと滑るようにして高度を落とし、氷之神が雪姫と疾風の前に降りてきた。



  わたしは もう だいじょうぶだ

  しずめてくれたこと かんしゃする


  しかし、しょうきを うしなっていたとはいえ、おおくのものを きずつけてしまった……

  ゆえに かみのくにへ かえることにしよう


  かのばしょから、いのっている

  このくにが、ひとが、いつまでも あんねいでいられるように、と……



「氷之神様……」



  さらばだ



 穏やかな声を最後に、氷之神が景色に溶けてゆく。


 ──終わったのだ。

 氷之神は鎮まり、神の次元へと帰った。もう二度と白き闇が降りることも、大寒気がくることも、ない。

 危機は去ったのである。


 雪姫と疾風は山頂に立ち尽くしたまま、氷之神のいた場所を見つめていた。


「…………終わった……の、よね?」


 ぽつり、と少女が言の葉を落とす。


「うん」


「私達、氷之神様を鎮めることが……できたのよね?」


 実感が湧かず、確認したくなってしまった。隣の少年を見ると、


「うん」


 疾風もこちらを向いて、目許を緩めて。もう一度、しっかりした声で頷いた。


「雪姫が真実を届けてくれたから……みんなの力が、ひとつになったから、やり遂げることができたんだ」


「力がひとつに……ええ、そうね。疾風に氷姫に幼夢達、それから氷室様に清晏先生、村の大巫女様。それに、霜白神宮の人達や一葉様だって……」


 他にも雪姫が知らないだけで、氷之神が鎮まるようにと祈りを捧げてくれた人だって、たくさんいたはずである。そのすべての人達に感謝を捧げたくなる。


「あ……」


 すると、疾風が何かに気付いた。


「ねぇ、雪姫。見て」


「え? ……わぁっ!」


 頂上から望む、季節外れの雪景色。

 二人の足が、自然と崖側に寄ってゆく。


 多くの人達と協力して守りきった世界が、眼下に広がっていた。

 どこまでも続く白い大地が、陽の光を受けて明るく輝いている。

 折れた木々が突き刺さっていたり、建物の破片が散乱していたりと、痛々しい傷痕もたくさん見受けられたが、それでも世界は美しかった。


「気がつかなかったわ。こんなにいい眺めだったなんて」


「たったさっきまで、それどころじゃなかったからね」


 疾風が肩を(すく)めて、いたずらっぽい口調で言うので雪姫も笑ってしまった。


「ふふっ、そうね」


 こんな冗談が言えるのも、生きているからこそであった。少しでも歯車が狂えば、霜白ごと凍り漬けにされる運命を迎えていたはずである。

 本当にすべて終わったのだと、ここにきてようやく実感が追い付いた。


 景色を眺めながら雪姫が感慨に(ふけ)っていると、


「おーい!」

「雪姫ーっ! 疾風ーっ!」


 遠くで誰かに呼ばれた気がした。

 辺りを見回すが、特に人の気配は感じられない。しかし、すぐに下方からであると思い至り、膝をついて崖下を覗くと、手を振りながら坂道を駆け登ってくる幼夢達の姿が見えた。


「みんな!」


 どうやら、迎えにきてくれたようである。雪姫が落ちない程度に縁から身を乗り出し、満面の笑みで大きく手を振っていると、不意に氷姫の思いが伝わってきた。



 ── ありがとう ──



(あ…………)


 首に下げていた勾玉が、先端から少しずつ崩れだす。さらさらと優しい光に変わり、天に昇ってゆく。

 最後に残ったのは、首に掛けていた紐だけ。雪姫は目を閉じ、胸元でそれをぎゅっと握りしめた。


(私も。私もよ、氷姫。ありがとう。そして──)


 さようなら。

 おやすみなさい。

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