第三十章 雪と氷 弐
「それにしても、よく危険を察知できたね」
雪姫が座り込んだまま雪と氷の破片を払い落としていると、立ち上がった疾風が身を屈め、手を差し出してくれた。
(あ……)
なんだか、急に気恥ずかしくなってしまった。危険も去り、落ち着いたことで先ほどまでの彼との密着状態を思い出し、今さら意識してしまったのである。
こんな時に! と少女は自身を戒め、会話に意識を集中さる。
「そ、それが、見えない手に頭を撫でられた気がして……その時、危ないってわかったの」
立たせてもらいながら答えると、疾風が不思議そうに小さく首を傾げた。
「見えない手?」
「ええ」と雪姫が頷く。
「確かに触られている感じがするのに、そこには何もないの。実は、以前も同じことがあって、ずっと気のせいかと思っていたのだけれど……でも、今回は撫でられる感触だけではなくて、危険が訪れるってことがわかって……それで、みんなに知らせることができたのよ」
「そ、それって予知能力ってこと? やっぱり、雪姫には霊力があるの?」
聞いていた幼夢が、思わずといった様子で口を挟んだ。雪姫が「ええっ?」と狼狽える。
「それは、ないはずだけれど……」
はっとする。また頭を撫でられる感覚がしたのだ。
慌ててその箇所に手をやり、今度は何事かと身構える。
「ど、どうしたの? もしかして、また?」
幼夢がおそるおそる尋ねてきた。
「ええ。でも今度は……何かしら……呼ばれている……?」
返答が疑問形なのは、本人もまだ探り探りなところがあるからであった。
心を落ち着かせ、感覚を澄ましてゆく。
── 進んで ──
「……違う。進めと言っているんだわ、この先に」
雪姫は振り返って山頂方面を見やった。
「行きましょう。たぶん、これは氷之神様にも関係していることだと思う」
少女が先頭をきって歩きだした。
(あなたは、誰? どうして助けてくれるの?)
撫でられる感覚は、止むことなく続いていた。
この見えない手に助けられたのは、先ほど危険を知らせてくれた時だけではない。雪姫が暑さのため倒れ、己の器の小ささを突き付けられて気落ちしていた時も、この手は雪姫のことを優しく励ましてくれた。
(ねぇ、あなたはいったい誰なの? もしかして──)
山頂近くの拓けた場所。氷之神が目覚めたこの地に、雪姫達は再びやってきた。
ようやくここまで登り詰めたのである。
辺りを覆い尽くしていた氷の群晶は、先ほど氷之神が力を振るったせいで半壊していた。それでも、ここは群晶の発生した中心地である。氷の成長度合いは、当然ながら古道で見てきたものと一線を画しており、行く手を阻むには十分であった。
「待って、雪姫」
ごく自然にそのまま進んでゆこうと踏み出した雪姫の肩を、疾風が掴んだ。
「この状態じゃ危険だから、僕が先に……」
「いいえ、大丈夫よ」
雪姫が首を振って答える。
「わかるの。みんな、ついてきて」
撫でられる感覚は今も続いている。そのせいか、道がわかるのだ。
雪姫の足取りには、迷いがなかった。折れた結晶を利用して足場にしたり、脆くなった部分を突いて道を拓いたりと、安全かつ効率のよい順路でどんどん進んでゆく。
目指す場所が近づいてゆくにつれて、雪姫の中でもこの見えない手の正体が徐々に確信に変わってゆくのを感じた。
── あと少し ──
氷之神がいた場所だけ、ぽっかりと広く空いていた。
力に圧されて氷の群晶は粉々に砕けて吹き飛んだらしく、平地と化している。今は、雪と氷の破片が地表を覆っているだけであった。
── 私を、見つけて ──
その地点に着くと、雪姫は皆を待たずして先に飛び出していった。
「雪姫っ?」
「見つけた……!」
後ろからあがった仲間達の心配の声も、雪姫には届いていなかった。彼女の意識は、すでに目の前のことに釘付けになっている。
座り込んだ少女が白い地面を掻き分け、あるものを探し当てた。
そして、こう叫んだのである。
「やっと……やっと見つけた! 氷姫っ!」
きらり、と雪と氷の破片に埋もれた中から、何かが少女に応えるかの如く光る。
途端、その場所から淡い虹色の光の柱が立ち、粗削りの氷を思わせる水晶の勾玉が浮上してきた。
雪姫からも淡い虹色の光が発生し、勾玉が反応して閃光する。
次の瞬間、まるで薄い硝子を粉砕したかのような、透明感のある高い破裂音と共にこの場にあるすべての群晶が砕け散った。
粉砕された破片が、きらきらと舞散る幻想的な光景の中。雪姫から出ていた虹色の光が背後に集まり、人の形をとった。
仲間達は皆、唖然としている。
雪姫が目の前に浮かぶ勾玉に手を伸ばし、掴み取ると、頭の中にいくつもの映像が流れ込んでくる。
少女は目を閉じ、その奔流を受け止めた。
(ああ、そうか。そうだったんだ────)
情報の滝に打たれ、雪姫はすべてを理解した。