第三十章 雪と氷 壱
皇宮の一室に設けられた緊急対策本部。そこに、巻物を脇に抱えた清晏が肩で息をしながら駆け込んできた。
「氷室様、ありました! 見つかったんです。鎮めの方法が!」
文机についていた氷室も、思わず前のめりになって腰を浮かす。
「それは本当か!」
「はい!」
清晏は興奮覚めやらんといった様子で、氷室の前までやってくると、一気にしゃべった。
「祝詞と舞です。神を鎮めるためのものが存在していました。それらを奉納すれば、氷之神様は鎮まるでしょう。神事に関することなので、霜白神宮の大巫女様なら詳しい内容をご存知のはずです。こちらが当時の記録になります」
抱えていた巻物を机上に広げ、記述箇所を指し示す。
「清晏殿、よくぞ見つけ出してくれた! ……しかし、鍵となるのが神宮の大巫女か……」
突然、氷室の言葉の切れが悪くなる。顔も曇り、明らかに困った様子で額を覆った。
「どうか……されたのですか?」
「それが、肝心の大巫女が今いない。神宮の者も、ほとんど出払っている。部下からの報告によると、一葉殿が災厄を打ち払うための儀式を行うために巫女達を引き連れ、山の上の村へ向かったそうだ」
「なんと……」
清晏が静かに息を呑む。
氷室も悔しげに目を伏せた。文机に両肘をついて手を組み、頭を持たせかける。
「手が回らず、止めることができなかった。彼女は白き闇の原因が氷之神であるとは思っていない。災いと信じて打ち消そうとしている。儀式が氷之神の怒りに触れなければよいのだが……」
「お話し中、失礼します」
ちょうどそこに声がかかった。氷室が顔を上げ、清晏も振り向く。
入室してきたのは、兵士であった。彼は先客の清晏に遠慮しつつ、文机の近くまでやってくると氷室に告げる。
「山の上の村の者が、雪姫様達から使いを頼まれたとのことで氷室様との面会を希望しております」
「わかった、通してくれ」
「はっ!」
指示を受け取った兵士が礼をし、引き返してゆく。
氷室は、ほうっと口を開けて驚いている清晏に気付き、少々得意気な様子で伝えた。
「こういうこともあろうかと、もし彼らから連絡があった場合は、直接こちらに回すようにと命じておいたんだ」
清晏はその行き届いた根回しに感心し、「さすが氷室様です」と眼鏡の奥で目を瞠った。
通常では、平民がいきなり皇宮を訪ねたところで氷室と面会などできない。よほど重要な用件でもなければ相手にもされず、門前払いを食らうだけである。例え重要な用件であったとしても、役人が対応して伝言を預かるのが通例であった。しかし、今は緊急時である。氷室は雪姫達から連絡があった場合を想定し、備えていた。
「失礼いたします」
兵士に連れられてやってきた村の者は、少々緊張しているようであった。
氷室に礼をし、文を差し出す。
「氷室様への文をお預かりしました。大切な内容なので、直接おわたしするようにと言われております」
「ご苦労だった」
氷室は村の者を下げると、さっそく文を机上に広げて清晏と共に内容を確認しはじめる。
「……やはり祝詞と舞か」
「ええ。村の大巫女様も、鎮めの方法をご存じだったのですね」
それから再び読み進める作業に戻る。
しばらく沈黙が続き、やがて読み終えた氷室が、一旦頭の中を整理する思いで大きく息をついた。
「なるほど。皆は、一葉殿の動きを受けて山を登りはじめているのか。それで、我々の方で霜白神宮から祝詞の巻物を借り、舞手を集めてほしい……と」
「神宮の大巫女様達に手伝ってもらうことができれば、心強いのですが……」
「さて、どうしたものか」
氷室が唸る。
そんな時であった。
突然、皇宮がぐらぐらと揺れだした。外から凄まじい風が吹き付け、建物のあちこちが軋む。
「何事だっ!」
二人が慌てて廊下に出ると、暴風に煽られた。それと同時に目に飛び込んできたのは、山頂の上空で強力な輝きを放ちながら吹雪を巻き起こす、氷之神の姿であった。
「あれが、氷之神……」
呟いた清晏は、その力に圧倒され、茫然となる。
氷室も畏れを感じつつ、「怒りに触れてしまったか……」と唇を噛んだ。
暴風は収まったが、今度は都の方面が騒然としだす。
倒壊した建物。悲鳴。怪我を負った者。助けを求める声。
霜白は、ますます混乱に陥った。一葉もいない今、指揮を執ることができるのは氷室しかいない。
「…………」
ぐっと息を詰まらせ、拳を握って決意を固める。
「……清晏殿、危険を承知で頼みたい。私からの正式な使いとして、山の上の村まで行き、一葉殿と神宮の大巫女に鎮めの祝詞と舞について知らせてはくれまいか。そして、協力してもらえるよう説得してほしい」
「わかりました」
清晏は腹を据えた様子で、しっかりと頷いた。
「その役目、お引き受けいたしましょう」