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氷雪記  作者: ゐく
第三部
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第二十九章 荒ぶる神 肆

「あ……あった! これですっ!」


 机上で広げていた巻物に、清晏が飛び付いた。

 書斎にこもり、寝る間も惜しんで作業していたせいで彼は憔悴(しょうすい)していた。眼鏡の奥の瞳はうっすらと充血しており、顔色も(かんば)しくない。そんな顔に、突如気力が甦る。


 清晏が見ていたのは、神を鎮めたという昔の記録であった。(はや)る気持ちを抑えながら、瞳を上下に滑らせ、さらに読み進めてゆく。

 そして、とうとう見つけたのである。


「──鎮めの祝詞(のりと)と、舞……」


 巻物から顔を上げ、熱に浮かされたような表情で呟く。

 探し求めていた鎮めの方法がやっと見つかったのだと、男の心は達成感に打ち震えた。


 しばらく感じ入っていたが、こうしてはいられないと、弾かれたように巻物をまとめだす。

 羽織に急いで袖を通し、巻物を脇に抱えると、転がるように部屋を飛び出していった。





「一葉様、準備が整いました」


「ご苦労」


 兵士から報告を受け、一葉が畳床机(たたみしょうぎ)(※)から立ち上がる。(※持ち運び用の折り畳み式椅子。交差状に組まれた足を広げて使う)

 用意された道を抜け、祭壇の前までやってくると、そこから一望した。

 すでに整列した状態で待機している巫女達や、持ち場についている兵士達。無数の視線が寄せられる中、一葉は彼らに向かって堂々と胸を張り、朗々たる声で命を下した。


「これより、儀式を開始するっ! (いにしえ)より霜白に巣くいし災厄を抹消せよっ!」


「かしこまりました」

「はっ!」


 巫女と兵士達が一斉に(こうべ)を垂らす。

 顔を上げた霜白神宮の大巫女が、(はら)(ぐし)(※)を持って祭壇に上がった。

(※木の棒にたくさんの紙垂(しで)をつけたもの。 紙垂:注連縄(しめなわ)などに使われる、稲妻のようなな形をした特殊な紙)


 壇の正面には、金属でできた巨大な円環状の呪物が設置されていた。

 形状を例えるなら、忍びの投擲(とうてき)武器である戦輪(せんりん)だろうか。ゆえに前に立つと、中央の穴から霜に覆いつくされた山が見えるようになっている。

 また金属の部分にはたくさんの紋様が刻まれ、その線の途中途中にも様々な種類の宝玉が埋め込まれていた。これらは単なる装飾ではない。綿密に組まれた術式である。


 壇上の両脇に組まれた焚き火用の井桁(いげた)に、兵士がそれぞれ松明(たいまつ)で火を入れる。

 点火されると、大巫女の手にしていた祓え串が掲げられ──


 そして、勢いよく振られた。






 雪姫達は大巫女から祝詞と舞の奉納に必要なものを貸してもらい、悪路と化した修験古道を登っていた。

 隊列は、体力のある幼夢と佳月が殿(しんがり)を勤め、真ん中に早智乃と粋。先頭に先導役の雪姫とそれを補佐する疾風という順である。


 古道は、進めば進むほど険しくなっていった。白き闇だけでなく、氷の群晶の影響も次第に濃くなり、雪姫達の行く手を容赦なく阻む。

 それでも、注意を払いながら、時には仲間同士で手を貸し合って確実に進んでいった。


 そうしてついに、前回氷之神と対面した場所──山頂手前の開けた場所──までもう少しというところまで来た時。雪姫は、ふわりと見えない手に頭を撫でられるのを感じた。


(────えっ)


 同時に脳裏で閃きが起こる。

 どうしてか、視えてしまった。わかってしまった。


「みんな、伏せてっ!」


 考えるよりも先に叫んでいた。雪姫が血相を変え、仲間達に知らせる。

 言われた側は、突然のことに面食らった。


「いいから早くっ!」


 切迫した様子の雪姫が、さらに声を荒げた。






  アア ウルサイ、ウルサイ……!


 ひゅうひゅうと、風がしゃべっているような声が(うめ)く。

 ここは、山頂手前の開けた場所。氷の群晶で覆われた地の中央に、氷霧のような淡い光の帯をまとった白く輝く存在が浮かんでいた。声は、()の存在から聞こえる。


 これまで悲しみで溢れていた輝く存在の感情は今、怒りに変わろうとしていた。

 先ほどから叩き付けられる、力の流れが(しゃく)(さわ)るのである。次第に大きくなってゆくそれは、自身を打ち消そうと働いているようであった。



  ウルサイ、ウルサイ、ウルサイ、ウルサイッ!



 ぶつけられる力を振り払うかのように、実態のない身体を明滅させる。

 それでも攻撃は止まなかった。やがて鬱陶しさに(しび)れを切らし、輝く存在は渦を巻いて内側に力を凝縮しはじめる。それに伴い、微かに地響きがし、びりびりと空気までもが震えはじめた。



  オロカナ……

  コノワタシヲ ケソウトイウノカ?

  ミノホドヲ シレ!

  ワタシノジャマヲ スルナッ────!



 輝く存在が閃光し、内側に貯めていた力を一気に放出する。


 山頂付近から放たれた強大な力は、大波となり、すべてを薙ぎ倒す勢いで霜白の山を襲った。森や村、そして都に、息もできないほどの颶風(ぐふう)が吹き付ける。


 輝く存在は山頂から高く上昇し、上空で冷気を巻き起こしながら、よりいっそう強い輝きを誇った。



「いったい何なんだ、あれはっ!」

「いま、確かに声が……」

「俺達、もしかして何かとんでもないことをしてしまったんじゃ……」

「大巫女様! 危険ですので、どうぞこちらに!」


 倒れ込んでしまった兵士と巫女達が、上空を見上げて怖じ気づく。

 大巫女も、祭壇から降りて避難した。焚かれた火は井桁ごと吹き飛ばされ、固定されていた呪物も(かし)いで、今にも倒れてしまいそうな危うい状態になっている。


 予想外の事態に、村は混乱に陥り、騒然としていた。


 輝く存在から放たれ続ける寒風は収まらない。ばかりか、雪まで混ざりはじめる。





「……くそっ、どうやら嫌な方の予想が的中しちまったようだな」


 よろりと佳月が起き上がる。吹雪に煽られながら、上空で輝く氷之神を見上げて悔しげにこぼした。


「やっぱり、先に動いておいて正解でしたね」


 続いて起き上がったがった粋も、しみじみとした口調で答え、ずれてしまった眼鏡を掛け直した。


「ううっ、冷たぁーい!」


「さすがは神様。すごい力です……」


 幼夢はぶるぶると首を振って霜や氷の破片を落とし、早智乃もあちこち(はた)いて身なりを整える。


「雪姫、大丈夫?」


 疾風が腕の中の少女をそっと解放し、窺い見た。


 先ほど雪姫が伏せるよう叫んだ時、切迫した様子から疾風が一番先に動いたのである。雪姫を抱え込み、指示に従う様に突き動かされて、他の仲間達も地面に伏せた。直後、山頂側が閃光して冷気の大波に飲み込まれた。しかし、受け身が間に合ったお陰で、誰も吹き飛ばされずに済んだのである。


「ええ、私は平気。疾風こそ大丈夫だった?」


「うん。問題ないよ」


「みんなは?」


 疾風と一緒に後続の仲間達を確認してみると、気付いた佳月が腕を振って合図してみせた。


「ありがとな、雪姫! お陰で助かったぜ!」


「ううん。よかった、全員無事で」


 ほっとし、雪姫は柔らかい笑みを浮かべる。

 それから首を動かし、山頂の方を見上げた。


 上空には、(まばゆ)いほどに輝き、吹雪を巻き起こしている氷之神の姿がある。


「一葉様の儀式は、氷之神様の怒りに触れてしまったのね……」


 雪姫は唇を結び、荒ぶる氷之神を見据えた。





 どさり、と力なく(くずお)れる。吹雪の中、一葉は凍てついた地面に両膝をついた。

 茫然と上空を見上げ、見開かれた瞳を揺らしながら唇を戦慄(わなな)かせる。


「そんな、まさか……」


 白く輝く存在とその圧倒的な力を目の当たりにし、一葉は雪姫の証言が真実であったことを思い知った。


(なんということだ……では、あの娘が言っていたことが、本当であったというのか? ならば、我が一族が今までしてきたことは……私のしてきたことは、いったい……)


 今まで正義と信じてきたことが反転し、過ちとなって自身を刺し貫く。真実は刃となり、一葉の心を深く(えぐ)った。


 信条を失い、ただひたすらに打ち(ひし)がれる。

 びゅうびゅうと吹き付ける風雪や混乱する人々の声を遠く感じながら、一葉は放心したように上空で荒ぶる輝く存在を眺め続けた。

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