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氷雪記  作者: ゐく
第三部
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第二十八章 対面 伍

「……うん、大丈夫! 必要なものは全部そろっているわ」


「ありがとうございます、雪姫さん。では、これで準備完了ですね。明日に備えて休みましょう」


 確認作業が終わり、粋の指揮で解散となる。皆が立ち上がったところで、雪姫が疾風を呼び止めた。


「あの、疾風」


「雪姫、私達は先に戻ってるから」


 気を()かせてくれたらしい。幼夢と早智乃が振り返り様に軽く手を上げて合図し、部屋を出てゆく。

 疾風は二人から視線をこちらに戻し、雪姫に問いかけた。


「うん。どうしたの?」


「あのね、少しだけ話を聞いてもらえたらなぁ、と思って」


「……わかった。それじゃあ」と少年は軽く首を巡らせ、辺りを見回した。


「庭に出ようか」


 たしかに。ここは男性陣の部屋であるため、佳月や粋を追い出す訳にはいかない。

 了承すると、疾風は部屋の二人に声をかけ、雪姫を連れ立って夜の庭に出た。




 霜ついた道を、さくさくと踏みしめながら進んでゆく。

 気温の低下は進行しているようであった。夜ともなると、(こと)さら冷える。雪姫も疾風も、山で羽織を着てからそのままの格好でいた。


 二人で(かがり)の前に立ち、ぱちぱちと薪の()ぜる音を聞きながら、明かりと共に暖を取る。

 雪姫は、暗闇の中で燃え上がる炎に目を向けたまま、隣の疾風に語りかけた。


「屋敷へ帰ってくる途中にね、氷室様から聞いたの。疾風が一早く私の居場所を突き止めて、知らせてくれたんだって。だから、ありがとう。私が助かったのは、あなたのお陰よ。私、いつもあなたに助けられているわ」


 そうっと首を動かして、少年を窺う。

 疾風は黙ったまま、炎を見ていた。


 二人の間に、静かな時が流れる。やや間を置いてから、疾風がぽつぽつと話し出した。


(さら)われた先の場所が場所なだけに、僕にはどうすることもできなかった。氷室様に頼るしか、なかったんだ……」


「で、でも、それが最善だったのではないの?」


 雪姫が困惑しながら問う。

 疾風は何も間違ってなどいない。むしろ一葉の屋敷に単身で乗り込む方が、よほど愚かしいといえた。ゆえに、彼がどうして思い悩んでいるのかを少女は掴みきれずにいた。


 疾風はさらさらと髪を揺らしながら、否と首を振る。その目元が、切なげに歪んだ。


「違う。違うんだ、雪姫。そうじゃない。僕は──」


 ひゅ、と息が喉の奥に消える。少年はゆっくりと両手を持ち上げ、己の手のひらを眺めた。


「僕は、この手で……自分自身の手で、雪姫を救い出したかった。君を助けるのは、氷室様でなく、僕でありたかったんだ……」


 無力を噛み締めるかのように拳を握り、空を仰いで目を(つむ)る。


「この命は雪姫にもらったものだから、雪姫のために使いたいと思っていた。それぐらいの覚悟をもって君を守ると約束したはずなのに、この(ざま)だったから」


 ほうっと落胆の息を吐き出し、ゆっくりと目を開く。

 態勢を戻して身を翻すと、地面と草鞋(わらじ)が擦れて、じゃり、と微かな音が立った。


「だから悔しくて、情けなくて、落ち込んでいただけだよ」


 疾風の双眸(そうぼう)が、やっとこちらを向いた。少女を見て、悲しげに微笑む。


「疾風……」


 雪姫には、かける言葉が見つからなかった。

 落ち込む原因を作ってしまった当人が、慰めの言葉をかけるのはよくない気がした。では、何と言えばよいのだろう。どうすれば、彼の心は救われるのだろう。

 歯痒くて仕方がない。


「────っ」


 雪姫が距離を詰めて、疾風の両手を自身のそれで上から強く包み込んだ。

 重ねた手に思いを注ぐつもりで(うつむ)き、ぎゅっと口を引き結ぶ。


(私には、こうして寄り添うことしかできない。でも──!)


 かつて、それで救われたことがあるのだ。

 若草の皇子が亡くなったと報じられた日。人目も(はばか)らずに道のど真ん中で大泣きした、あの時に。寄り添ってくれた人達がいたことで、雪姫は確かに支えられたのである。

 だから疾風にとっても、そうであれたらと心底から願った。


 果たして、その思いが通じたのか。


(─────あ……)


 少女の手の内側が動き、小さく握り返される。

 なんだか、雪姫の方が泣きそうになってしまった。


 疾風は何も言わない。雪姫も、聞いたりはしなかった。ただ黙って、彼と彼の心に寄り添い続けた。






「ありがとう、雪姫。もう大丈夫だよ」


 お互いの手の温度が溶け合った頃。深呼吸の気配のあとに、優しい声が降ってきた。

 雪姫が顔を上げると、先ほどよりずいぶんと和らいだ表情とぶつかった。


「ほ、本当に? 私に気を使って無理していない?」


 慌てて問うと、微笑みが返ってくる。


「うん。本心で言っているから、安心して」


 疾風の言葉を合図に、両者はゆっくりと手を放し、向き合った。


「お陰で気持ちの整理がついた。雪姫を守るという約束だって、まだ続いている。刺客が襲ってくる心配はなくなったとしても、氷之神様を鎮めるまでは何があるかわからない。だから、二度と危険な目に遭わせたりしないよう、全力を尽くすよ。あと……」


 照れくさそうにし、一瞬だけ躊躇(ためら)ってから、口にする。


「今さらではあるけれど……君が無事で、本当によかった。お帰り」


 はっとした少女の表情に、喜びの色が広がってゆく。


「ええ。ただいま!」


 雪姫はもちろん、元気な笑顔で応えた。

 疾風も頬を緩める。目を細めたその表情は、いつもの穏やかなものに戻っていた。


「心配してくれてありがとう。雪姫は、僕の様子を気にして声を掛けてくれたんだろう?」


「やっぱり気付いていたのね」と、少女が苦笑した。


「どうしても気になって、見過ごせなかったの。とても責任を感じているようだったから」


 疾風は少しだけ黙ると、再び口を開いた。


「ねぇ、雪姫は……さ。どうして僕が君を守りたかったか……わかる?」


「えっ?」


 不意の質問によって、少女の瞳が、ぱちりと大きく瞬く。

 疾風は少し前屈みになり、そんな雪姫の顔を覗き込むようにして視線を合わせた。


「僕がそう思うのは、命を救われたからという理由だけじゃないよ。優しい君だから。雪姫だから、守りたいと思うんだ」


 疾風の瞳が、何かを訴えていた。いつもは優しく穏やかなそれが、今は芯の通った直向(ひたむ)きなものに変わっている。


「君に、この気持ちの意味が……わかる──?」


 ふっと、少年の瞳が熱を帯びた。

 繋がる視線を通じて、雪姫の中に疾風の意識が入り込んでくるような錯覚に囚われる。じわりじわりと内面が少しずつ攻め侵され、追いつめられてゆく感覚がして、怖くなる。それでも、視線を()らしたりできなかった。

 否、逸らしたくなかった。

 このまま彼を見ていたい、この視線を受け止めていたいという思いの方が(まさ)っていたのである。


(ど、どうしよう、どうしよう。私……)


 少女の心臓は、早鐘を打ちはじめていた。

 もう、自身が心臓になってしまったのではと思えるほどに、鼓動が身体中に響いている。顔も、なんだか燃えるように熱かった。内側から上がってくる熱のせいか、瞳も勝手に潤みだす。


(私……)


 がらり、と篝に(くべ)られていた薪が崩れて、火の粉が散る。

 互いに、はっと我に返った。


「ご、ごめん、寒いのに長こと付き合わせてしまって。そろそろ戻ろうか」


 疾風が、さっと雪姫から素早く離れて(きびす)を返す。雪姫の方も「え、ええ。そうね」と、応答こそできたものの、内心では激しく狼狽(ろうばい)していた。少年を追いかけて隣につくが、自身の思いに気付いてしまった今、すぐには彼の顔を見ることができそうになかった。


 歩きながら、胸の上で拳を握りしめる。


(うそ、うそ。どうしよう。どうしよう! だって、これって……この気持ちって、もしかして──────)


 雪姫は、ぎゅっと目を(つむ)った。



 どうやら自分は、疾風に恋心を抱いているらしい。

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