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氷雪記  作者: ゐく
第三部
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第二十八章 対面 肆

 きりりと引き締まった男性の声と共に、引き戸が開け放たれる。突如現れた人物に、一葉は目を()いた。


「なっ……! ひ、氷室っ? なぜここに!」


「も、申し訳ございません、一葉様……」


 氷室の後ろで、家臣がばつが悪そうに縮こまる。どうやら引き留めに失敗したらしい。

 一葉は舌を打ち、射殺さんばかりの眼差しでもってその者を非難した。


「一葉殿。たしか、脅迫(きょうはく)は罪に問われるはずでは?」


 氷室が涼しい顔で言う。

 一葉は眼光を鋭くし、(いま)々しげに歯を(きし)った。


「氷室、お前ぇ……! いったい、いつからそこにいた! どうやって入り込んだ! ええい、番の者は何をしていたっ!」


 大きな身振りで(くう)を薙ぎ払い、家臣を責め立てる。激昂する過激派の長に対し、穏健派の長は冷静に応じた。


「入り込んだとは人聞きの悪い。私は正面から堂々と訪ねただけだ。先ほど帝から都の混乱を収めよとの(みことのり)が下り、至急、一葉殿とその対策について話し合わねばと思ったまで。屋敷を訪ねるついでにと、貴殿への詔書(しょうしょ)も預かってきている」


 氷室は懐から(くだん)のものを取り出し、一葉に見せた。


「ところで……私の屋敷で迎えている客人の行方がわからなくなっていると連絡が入っていたのだが、まさかここに居られたとは。それに、この状況。どう見ても拉致(らち)してきたようにしか見えないのだが、いかがだろう?」


 白々しく切り出した氷室を、一葉が黙って()め付ける。


「雪姫殿は返してもらう」


 有無を言わさぬ態度で宣言し、氷室は一葉に詔書を握らせると雪姫の後ろに回ってしゃがみ、縄を解きはじめた。


「あ、ありがとうございます」


「立てるか?」


 氷室が先に立ち上がり、雪姫に手を差し出す。引き上げると、横に立たせて一葉と再び向き合った。


「さて、これらのことを罪に問いたいところだが……都が混乱しているというのは、事実だ。この状況で一葉殿に抜けられてしまっては、国としても困る。そこで提案だ。お互い、ここでのことを全てなかったことにするということで、どうかな?」


「なかったことに、だと?」


 尋ね返した一葉は、何を企んでいる? とばかりに眉を潜め、警戒を(あらわ)にした。


「そう。つまり、雪姫殿の拉致はなかった。だから私達も、一葉殿の一族の秘事をすべて聞かなかったことにしよう。もちろん、他言もしない。その代わり、そちらは今後一切、雪姫殿に手出しをしない。いわゆる交換条件というやつだ」


「……なるほど」


 一葉は顔を引きつらせ、にたりと苦り切った笑みを浮かべた。


「言い換えれば、娘に手を出したりすれば、秘事を公にする……ということか」


「そう取ることもできるな。さぁ、いかがなさる?」


 弱味を握られ、一葉は歯噛みした。悔しそうに両の拳を握りしめ、肩を震わせる。

 くっ、と小さく呻き、目を閉じる。ぎりぎりと歯を軋り、(しば)しの葛藤(かっとう)したあと──ようやく両手に込めていた力を解放した。




「……よかろう。背に腹は替えられぬ。それで手を打ってやろう」




 黒く重たい夜空を、門戸の脇に配置された(かがり)の炎が焦がしていた。

 ここは、氷室の屋敷前。雪姫が氷室に連れられて帰りつくと、門の前で数人の人影がうごめいた。


「雪姫っ!」

「みんな!」


 どうやら二人が帰ってくるのを待っていたらしい。仲間達がこちらに気付いて、駆け出す。

 雪姫はあっという間に囲まれ、揉みくちゃ状態になった。


「よ、よかったぁ……! 無事だったんですねっ!」


「氷室様、ありがとうございます! 何とお礼を言ったらよいか……」


 粋はふにゃりと顔を緩ませて安堵し、佳月が雪姫の頭を撫で回す手を止めて氷室に礼を述べる。


「雪姫、怪我はありませんっ? ……って、もうっ! 幼夢、邪魔です! おどきなさい!」


「うわぁぁぁん! 雪姫ぃーっ!」


 早智乃は雪姫の手を握り、表裏と返したりして怪我がないかどうか、あちこち確認する。幼夢は雪姫の首にしがみつき、ぎゅうぎゅうに抱き締めながら、泣きそうな顔で「よかった、よかった!」と繰り返した。


「心配かけてしまって、ごめんなさい。私は大丈夫。何ともないわ。襲われた時も、単に気絶させられただけだったから」


「氷室様」


 その時、凛とした声がこの場にいる全員の意識を(さら)った。


 声の主は、疾風であった。輪から外れて奥にいた少年が、一歩一歩踏みしめながら氷室に歩み寄る。

 雪姫達の脇を通り、氷室の正面に立つ。そこでしっかりと腰を折り、頭を下げた。


「どうも、ありがとうございました────っ」


 それは、心からの感謝であった。


 短い音の中に凝縮された、真摯(しんし)な想い。

 深く礼をする少年の顔は、なかなか上がらなかった。


 物々しい様子に仲間達は静まっていた。抱き付いていた幼夢も、雪姫から離れて他の者達と共に成り行きを窺っている。


 氷室は眉を下げ、困ったように微笑んだ。


「疾風殿、顔を上げてくれ。私は雪姫殿を迎えに行っただけで、大したことはしていない。そもそも、屋敷の警備に不備があったのは私の責任だ。むしろ謝らなれけばならない」


 それを聞いた雪姫は、ひどく慌てた。二人の間に飛び込み、今の言葉を全力で否定する。


「い、いいえ! 氷室様が謝る必要なんてありません、絶対に! 今までだって、十分過ぎるほどよくしてくださいました! 今回のことは、私の不注意が原因です。例えお屋敷の中であっても、一人になるべきではありませんでした」


 気が急いているせいで口調も早まる。今度は疾風の方を向き、伝えた。


「疾風も、ごめんなさい。私、気を付けろって、ちゃんと言われていたのに……」


 少年を見上げる顔が、悲痛に歪む。

 そんな少女に対し、疾風はゆるゆると首を横に振った。


「いいや。氷室様と同様に、君が謝る必要だってないよ。油断していた僕が悪かったんだ。それよりも、危険な目に遭わせてしまって、ごめん」


 疾風は目を伏せ、思い詰めたように唇を噛む。


「ああもうっ! やめやめ!」


 幼夢が両腕を大きく振り動かし、重たい空気を払いのける。そのまま両手を腰に当てると、少し怒った口調で告げた。


「今回のことは、きっと誰も悪くなかったのよ。ただ相手が手強すぎただけ! 警備が万全であっても、それを掻い潜ってくるとんでもない人だったんだから。それより、雪姫が無事だったことを喜びましょ?」


 雪姫の後ろから両肩にぽんと手を置き、「ねっ?」と肩口から覗き込むようにして三人を窺う。


「……ありがとう、幼夢殿。そう言ってもらえると、少し心が軽くなる」


 氷室が表情を和らげる。

 疾風と雪姫は何も言わなかったが、浮かべられた表情から同様の感想であるのは皆にも伝わっていた。


「それで氷室様、今回の件ですが……」


「ああ、すまない。報告がまだだったな」


 佳月が話題を改め、氷室もそれに応じる。

 すうっと息を吸い込み、気持ちを切り替える彼の姿を見て、幼夢達も反射的に聞く態勢になった。


「怪我の功名と言うべきか、災い転じて福と成すと言うべきか……何はともあれ、あちら側には雪姫殿への手出しをしないと約束させることができた。刺客に関しては、もう安心してよいだろう。明日の準備の方は、どうなっている?」


 それには粋が答えた。


「必要なものは、すでに取り揃えてあります。あとは雪姫さんに最終確認をしてもらって、問題がなければ終了です」


「そうか。ならば後は君達に任せよう。だが、今日はもう遅い。できるだけ早く休むように。私は仕事の続きがあるので、先に失礼する」


 氷室が官服の袖を翻し、颯爽と門をくぐって屋敷に入ってゆく。

 その後ろ姿を全員で見送り、やがて疾風が抑揚のない声で「僕達も戻ろう」と氷室の後に続いた。


 雪姫は手を伸ばしかけて、留め置いた。胸の前で握り、遠ざかってゆく背中を見つめる。


(疾風……)


 彼の様子が、いつもと違うのである。

 どこか儚げで、雪姫の目には疾風がひどく傷付いるように見えた。

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