第二十八章 対面 弐
「では、よろしく頼む」
氷室が霜白神宮の大巫女と話し終え、その場を辞そうとした時であった。
「氷室様っ!」
驚いて振り返ると、血相を変えた疾風がこちらに駆け寄ってくるところであった。
「疾風殿ではないか……いったい、どうなされた?」
ただならぬ様子に困惑するも、氷室はすぐに切り替えて、これから告げられるであろう事態に対処すべく気を引き締める。
疾風は息を切らせながら、氷室に縋った。
「氷室様、大変です! 雪姫が──!」
目を覚ますと、雪姫は後ろ手に縛られた状態で、冷たい板敷きの床に転がされていた。
(ここは……──そうだわ! 私、誰かに襲われて……)
初めのうちは朧気だった意識も、次第にはっきりしだす。たしか、先ほど納屋の出口で何者かによって背後から襲われ、気絶させられたのである。ここへは、その者に連れてこられたようであった。
雪姫が置かれていたのは、暗い部屋の中であった。
しかし、自身の他にもう一人いた。蝋燭の明かりに、緩やかに波がかった髪の人物が照らしだされている。
その者は、前髪を右側から大きく流して分けていた。文机につき、筆で何かを認めていたが、雪姫が目覚めたことに気付いて顔を上げた。
「気が付いたか」
後ろ髪は短く、纏う衣も男性のものだが、それとは裏腹に耳に届いたのは女性の声であった。
たしかに、よく見てみれば顔立ちや身体つきから女性とわかる。この装いも、自身の性別を包み隠すためのものではなく、男性と渡り合ってゆくための武装の意味で着ているように思われた。
歳は雪姫より上、氷室よりかは下に見えた。おおよそでいえば、二十二か三といったところであろう。
目付きは氷のように鋭く、背筋もピンと伸びて隙がない。加えて、堂々とした態度がきつい印象をさらに引き上げている。
彼女の持つ空気は、明らかに平民のそれではなかった。命令されるよりも、する側の人間という風格がある。
「あなたは、いったい……」
雪姫がどうにか起き上がると、男装した女性の方も徐ろに筆を置いた。静かな部屋では、その小さな音でさえも嫌に響く。
「私か?」と、女性の唇の端が不敵に吊り上がった。
「私は霜白次期帝候補、一葉だ」
雪姫が、はっと息を呑む。
一葉といえば、氷室と皇位継承問題で争う過激派の長であった。
少女が出された名前に驚いたのを見て、自身のことを知っていると判断した一葉は、単刀直入に尋ねた。
「お前の目的は何だ? 氷室と手を組んで、いったい何を企んでいる?」
「わ、私、何も企んでなんていません!」
雪姫が慌てて首を振ると、一葉は「ほぅ……」と目を眇めた。
それだけで、少女の心臓は縮み上がる。しかし、怯えていても始まらない。勇気を出し、竦んだ身体を精いっぱい張って、背筋を伸ばした。
「わ、私はただ、氷姫に白き闇を防いでもらいたくて、彼女を捜すために足取りの残る霜白に来ただけです。たしかに、調査をするにあたり拠点として氷室様のお屋敷でお世話になっています。ですが、それは予め彼が穏健派であり、氷姫捜しにも尽力していると話をお聞きしていたからです。氷姫が亡くなっていたと判明してからも、白き闇の原因を突き止めて、未然に防ごうと調査を続けていただけです。本当に、それだけです」
ところが、言い終えてから彼女の本当の目的は別のところにあるのでは? と思えてきた。まさか、今の質問をするためだけにここへ連れてこられた訳ではあるまい。おそらく、何か考えがあるのだ。
ならば負ける訳にはいかないと、雪姫は気丈に振る舞おうと努めた。
「一葉様こそ、いったい何のために私をここへ連れてこられたのですか?」
「……始末するため、と言ったら?」
一葉が挑戦的な笑みを浮かべる。
(そんなの絶対に嘘だわ!)
見え透いた嘘に怒りを覚え、奥歯をぐっと噛み締める。
雪姫がここへ連れてこられたということは、氷室の屋敷に間者が潜伏していたことを表していた。
これまでに何度も刺客を送られているのである。それが、突然生け捕りにしたのには何か理由があるのではないかと思われた。逆に、その理由がなければ、雪姫はあの場で殺されていたであろう。
「でしたら、氷室様のお屋敷で私を襲った時点で、息の根を止めていたはずです」
「なるほど。ただの村娘だが、多少は頭を回せるようだな。感心したぞ?」
煽るような言い方で感想を述べ、一葉は文机から立ち上がって雪姫の目の前までやってくると、そこで悠然と構えた。
きしり、と人の重みで床が鳴る。
「お前には、これから私の側で役立ってもらおう。お前の力は、霜白の民を救うのだからな」
「私の力……?」
いったい何の話をしているのか。要領を得ず、雪姫は眉を潜めた。
「先ほど、不可思議な現象を起こして皇宮の中庭に現れただろう。私には、お前が原因であるように思えたが?」
「あ、あれは……」
思わず目を逸らした。どうやら、先ほどのことを見られていたようである。雪姫は返事に窮し、言葉に詰まった。
あの現象は、完全に雪姫の意識の外側で起きたことであった。自身を介して、何か不思議な現象が起きたにすぎない。
「あれは、私にもよくわからないのです。自分の意思で何かした訳では、ありません」
「だったら、扱えるようにしてもらおうか」
否定するが、一葉は引き退がらない。
「霜白神宮の大巫女、直々に訓練させる。もちろん、否やとは言わせぬ。お前とて、大寒気で死にたくなかろう? 時間もあまりないからな。死に物狂いでやってもらう。逃げ出す暇もないぞ?」
最後に浮かべられた妖艶な笑みが、逃がしはせぬぞと語る。
「──問いの答えだ」
一葉は、ふっと表情を消し、淡々としながらも突き刺すような物言いで告げた。
「なぜお前をてここに連れてきたのか。それは、単に利用できるとわかったからだ。今までは邪魔で仕方なかったが、使えるなら生かして役立ってもらおうと考えを変えただけにすぎん」
言い切ると、今度は歌うような口調に変えて余裕を見せつける。
「協力してもらう代わりとして、お前が知りたがっていたことを教えてやろう」
一葉は雪姫の前に片膝をついて屈むと、そのしなやかな指を少女の顎に絡めて上向かせた。
「白き闇の原因は、氷姫だ」