第二十八章 対面 壱
絶望している暇はなかった。
白き闇は寒さを呼ぶ霜である。伝説どおりであるならば、大寒気が訪れるまでにまだ多少の時間はあるはずであった。
あきらめてはならない。最後まで闘おうと、雪姫達は氷室と共に中庭から移動して彼の仕事部屋に集まり、これからどう動くのかを話し合うことになった。
使いを出したらしく、間もなくして清晏が訪ねてくる。
雪姫達は、まず氷室と清晏に山の上であったことを報告した。
「………………」
清晏は、現実離れした一連の事態に驚いて、口をぱくぱくとさせる。ようやく喉に声が通るようになると、つかえながらも、どうにか感想を吐き出した。
「白く輝く存在のことも、もちろんですが……山の上からここまで一瞬で移動してきたとは……本当に驚き、ですね……」
真剣な表情で口を引き結んでいた氷室も、それに同意し、頷いた。
「ああ。私もこの目で見たが、まだ信じられないくらいだ。あの不可思議な現象は、雪姫殿が関わっていたようだが……」
ちらり、と黒い瞳が動く。
件の少女は、居心地悪そうに俯いた。雪姫自身、混乱しているのである。
「それが、自分でもよくわかっていないんです。肩から頭にかけて、ぞわっと上昇感があったのは確かですが、自らの意思で何かした訳ではないので……」
それよりも、伝えなければならないことがあった。雪姫はそこで一旦言葉を切り、気持ちを替える思いで顔を上げた。
「それよりも、氷室様、清晏先生。聞いてください。私、白き闇を生み出したものの正体が……白く輝く存在の正体が、わかった気がするんです」
氷室の眉が、ぴくりと動く。
「何? 本当か?」
「はい。実際に近くで見て、感じました。あれは、あの力は、自然現象や呪詛の類いではありませんでした。あれは、人など足元にも及ばないぐらい、何もかもを超越した圧倒的な存在。まさしく、神と呼ばれるようなものではないかと……この国の土地神、氷之神様なのではないかと思いました」
氷室は、にわかに信じられないといった様子で座っていた敷物に深く沈み込み、頭を抱える。
「白き闇の原因が、氷之神であるというのか……?」
「他の皆さんは、いかがですか?」
清晏は青褪めながらも、他の仲間に意見を求めた。
「同じくそう思います。本当に強大な力でした」
はっきりとした声で、粋が答える。
他の皆も頷いて、同意であることを示した。
「それに、ミフユって呼んでいたんです。それって、きっと、“雪女”だった氷姫のお母様……深冬様のことだと思います」
幼夢が一歩前に踏み出し、続けて理由を述べる。早智乃も後ろから寄り添い、それに加勢した。
「どこにいる? 返事をしてくれと、捜しているようでした」
氷室は口許に手を添え、考え込んだ。眉間に皺がよる。
「どういうことだ? 氷之神は、深冬様がすでに亡くなっていると知らないのか?」
「それは、わかりません。本当に行方が分からずに嘆いているのか、はたまた死を受け入れられずに事実を拒絶しているのか……ただ、確かなのは我を忘れている、ということです。そのせいで、力を暴走させているようでした」
「なるほど」
佳月からの新たな情報で話が繋がり、氷室も納得する。
「白き闇とは、氷之神の暴走の一端……という訳か。ならば、解決の道は一つだ。暴走の理由がどちらであっても、すべきことは同じ。何とかして、鎮めの方法を探し出そう」
「氷之神を鎮めることができれば、大寒気がくるのも阻止できるはず……ということですね」
氷室の意図を理解し、疾風が口にする。
「ああ」と氷室が頷いた。
「我々に残された時間は、そう多くはない。早急に取り掛かろう。私はこれから、霜白神宮に掛け合ってみようと思う」
「わかりました。では、私は神事の資料をあたってみます」
解決の兆しが見えたところで、大人二人組はさっそく次の行動を弾き出した。雪姫達の側では、粋が皆に提案する。
「僕達は大巫女様に氷之神を鎮める方法がないか、聞いてみましょう。村の様子も気になります」
「そうだな。大巫女様なら、何か知っているかもしれない」
佳月が即座に反応する。雪姫も続けて意見を述べた。
「ええ。私も賛成だわ。それに、大巫女様も私達が修験古道から戻ってきていないと思って、心配しているかもしれないものね。無理を言って鍵を開けてもらったのだし、無事であることを伝えないと」
ところが、大事なことに気付いて再び口を開いた。
「あ、でも、いくら急ぎであっても出発は明日にした方がいいわ。この時間から何の準備もなしに雪山に登るのは、とても危険だから……」
「そうですね。では、今日はこれからお屋敷で準備を整えることにしましょう」
他の仲間からも異論は出なかった。幼夢が「了解!」と元気よく敬礼し、他の仲間も頷いてみせる。
「そちらも決まったようだな」
「はい!」
氷室が雪姫達を見やると、全員の声が重なり、響く。
話し合いはこれで終了となり、それぞれが成すべきことをするため、動き出した。
寒中の山を登るとなれば、いろいろと準備がいる。こういうことに関しては村で生活していた雪姫に知識があるので、他の仲間はそれに頼ることになった。
氷室の屋敷に戻った一行は、明日のために納屋で必要なものを取り揃え、部屋に運び込む作業をしていた。その最中、
「あっ!」
荷物を持ちながら廊下を進んでいた雪姫は、取り忘れがあったことに気付いて声をあげた。
先を歩いていた仲間達が、次々と足を止めて振り返る。
「いけない! 胴の火(※)のことを忘れていたわ。私、取りに戻るからみんなは先に行ってて?」(※火種を携帯するための銅製の筒。懐炉にもなる)
皆に声をかけると、幼夢が尋ねてきた。
「でも、全員分でしょ? 一人で持てる?」
「ふふ、大丈夫! 軽いし、大きさだって拳二つ分くらいだから、平気よ」
「そっか。ならその荷物、引き受けよっか?」
「ありがとう、助かるわ。じゃあ、悪いのだけれどお願いしてもいい?」
「うん。任せて!」
雪姫は請け合ってくれた幼夢に腕の中のものをわたし、納屋へと引き返した。
棚に収められた箱をいくつかあたって、雪姫は目的のものを見つけ出した。
状態を確認し、人数分を確保すると、今度は燃料の入った箱を探しはじめる。おそらく、近くにあるはずなのだ。
(やった! 当たりだわ)
案の定、隣の箱に入っていた。
少女は棚から箱を下ろしてその場にしゃがみ込み、筒の中に燃料となる茄子の茎の黒焼きを詰めてゆく。
六人分の燃料を詰め終え、箱を戻すと胴の火を腕に抱えて屋外に出た。
──直後。抱えたていた筒が地面で一斉に跳ねた。
そのうちの一つが弾んで雪姫の足元に転がる。後ろには、別の人影が落ちていた。
雪姫は突然、何者かによって背後から口と鼻を布で塞がれていた。
急な事態に動転したせいで、思考は真っ白に飛んでしまう。抗うことも叶わないまま、当て身を打たれて少女の意識は暗に沈んだ。