第二十七章 白き闇 壱
──誰?
見えない誰かの手に頭を優しく撫でられているような気がして、雪姫は目覚めた。
布団から起き上がり、辺りを見回すが特に何かあるわけではない。幼夢と早智乃はまだ深い眠りの中におり、障子から透けて見える朝の光も鈍い。撫でられていた感覚のある箇所を触ってみても、やはり何の変化もなかった。
なぜなのかはわからないが、嫌に胸がざわついた。じっとしていられなくなり、雪姫は二人を起こさぬよう、注意を払いながら手早く身支度を済ませて部屋を出た。
縁側から庭に飛び出すと、さっそく違和感を覚える。しかし、今までのように微かなものではなく、確かな異変として感じられた。
今ならその正体を掴める気がして、雪姫は探ろうと意識を張り巡らせた。
(あ……わかったわ)
風である。流れや質が、普通のそれではないのだ。雲の動きと連動しておらず、ゆっくりと一定の間隔を刻んで吹いている。
とても自然現象であるようには思えなかった。まるで、何か大きなものが呼吸でもしているかのような、そんな不自然さがある。
加えて、季節的にこれから夏になろうとしているはずであるのに、どこかひんやりとしていた。どう考えても、普通ではない。
(どこから吹いているというの? もしかして、山の上から──?)
「雪姫、どうしたの?」
山頂に目を凝らしていると、疾風の声がして振り返った。
佳月もいる。二人は一緒にこちらへ近付いてきた。どうやら、朝から庭に出て組手をしていたらしい。
しかし、雪姫はそれに触れもせず、切迫した様子でいきなり尋ねた。
「ねぇ、おかしいと思わない? 風が不自然なの」
「風が?」
疾風が聞き返し、ぱちりと一つ瞬きをする。さっそく佳月に目配せし、共に感覚を研ぎ澄ませて意識を集中しはじめた。
「雲の動きとも違うし、一定の間隔で吹いているの。それに、どこかひんやりとしていて、この季節に吹く風であるようには思えないわ。山の方から吹いてきている気がする」
雪姫がさらに言い添える。内容がそのまま事実に即するものだったので、疾風も同意した。
「……本当だ。言われてみれば、たしかにそうだね」
「それにしても、よく気が付いたな」
佳月が、ほうっと息を吐きながら感心の声をあげた。
「きっと、雪姫が農民だからこそ気付けたんじゃないかな。普段から天候を読んだりするのに使うから、僕達よりも風に対して敏感に反応できたんだと思う」
「おはよう。そろってどうしたの? 何かあった?」
幼夢にはじまり、わらわらと他の仲間達も集まってきた。雪姫は疾風と佳月に話した内容を、後から加わった三人にも伝える。
「たしかに、不自然ですね」
粋は腕を組み、深刻そうに口を引き結んだ。考えるように言った少年に、早智乃も「ええ」と慎重な様子で頷く。
「もしかして、なのですけれど……これって白き闇と何か関係があったりします?」
幼夢も不安げに眉を寄せた。
「前触れだったりするのかな? 予言があってから、だいぶ経つし……」
幼夢の言うとおり、予言があってからだいぶ時間が経っている。いつ白き闇が訪れても、おかしくはなかった。もし、これが前兆であるならば、雪姫達に残された時間は少ない。急ぐ必要があった。
「この風は山から吹いているんですよね。なら、調べに行きましょう。白き闇の原因がそこにあるのかもしれません。だとしたら一刻を争います」
粋の提案に異論を唱える者はいなかった。満場一致で頷く。
「あっ、でも待って。どうやって上の方まで行くの? かなり距離があるわよ?」
幼夢が問題を気付き、皆に投げかける。
「そうですね……」と粋が顎に手を当てた。
「僕達が知っている中で標高が一番高いのは村の大巫女様の神社ですから、そこまで行って、あとは風をたどりながら山肌を登って行くしかないんじゃないでしょうか」
「神社からでさえ登るとなると厳しそうだが……仕方ないか」
佳月は頭の中で距離を思い浮かべるのをやめ、あきらめの姿勢に入った。
雪姫は大巫女の神社と聞いて、ふと思い出す。
「そうだわ。たしか、大巫女様が村のさらに上に修験古道があると言っていたの。その道を使えば、上の方まで行けるんじゃないかしら」
「シュゲンコドウ、ですか?」
聞き慣れぬ単語が登場し、早智乃が目を瞬かせる。
「ええ。前に、私が女の子と二人で水を汲みに行ったことがあったでしょう? 水場の近くに上に続く道があったの。その時たまたまお供えの花を摘みに来ていた大巫女様と会って、古道のことを教えてもらったの」
「ああ、あの時ね」と幼夢が思い出して納得する。
「でも、今は封鎖されているみたい」
雪姫が続けて情報を伝えると、幼夢がすかさず尋ねてきた。
「封鎖? どうして? 何か理由があったりするの?」
「帰ってこない人が何人も続いたのですって。捜しに行った人までそうなってしまったから、封鎖されるようになったと言っていたわ。もしかしたら氷之神様がお怒りになっているのかも……って」
「でも、一刻を争うなら使えるものは使うべきだわ。この期に及んで、危険とか言ってられなもんね。そこから山を登りましょ!」
「そうですね。とにかく、急いで村まで行ってみましょう」
粋の言葉でこの話は締めくくられた。雪姫達は朝食を掻き込み、出掛けるための支度を整える。全員が揃ったところで、山の上の村を目指して出発した。