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氷雪記  作者: ゐく
第三部
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第二十六章 前進 漆

 書庫で物語を読んでいた雪姫は、読み終えた書巻を棚に戻していた。

 夕刻を告げる鐘はまだ鳴っていない。しかし、切りもよかったので、この辺りで部屋に戻ることにした。

 ところが、帰ってみると室内には誰も居なかった。もしや幼夢も早智乃も佳月達のところに行っているのかもしれないと思い立ち、雪姫もそちらへ向かってみることにした。


「あ、雪姫」


 縁側から庭に出ていた疾風と佳月が、雪姫に気付いて声をかけてきた。どうやら組手をしていたらしい。


「ん、どうした? 幼夢と早智乃は一緒じゃないのか?」


「あら? 二人ともまだ来ていないの? 部屋に誰もいなかったから、ここだと思ったのだけれど……」


「二人ともまだ来ていないよ?」


「ちなみに、粋ならそこで寝てる」


 佳月が部屋の隅を指さした。

 粋は畳んで一箇所に積み上げてあった布団に寄りかかり、寝息をたてている。

 しっかりしている少年なので時々忘れそうになるが、彼は二つほど年下なのである。あどけない姿に、雪姫は「ふふ」と小さく笑みを漏らした。


「今日も、何だかんだで動き回ったものね」


 さて、と雪姫は心の内で話を戻して、どうしたものかと考える。

 夕食のためにどうせこの部屋に集まるのだし、ここで二人を待っていても構わないのだが、手持ち無沙汰になるのが目に見えているので、探しに行くことにした。


「じゃあ私、二人を探しに他を見てくるわね」


 疾風と佳月にまた後でと軽く手を振り、雪姫は(きびす)を返した。


 幼夢も早智乃も、どこにいるのだろうか。一緒にいるのか、別々に行動しているのか、それさえわからない。


 適当に廊下を進んでゆき、回廊に出たところで早智乃を見つけた。何かを見ていたようなので視線をたどってみると、中庭を挟んだ対角側に、扇を広げて舞っている幼夢の姿がある。

 幼夢はいつも、こうして時間ができれば舞の練習をしていた。本当に好きなのであろう。特に打ち込めるものを持たない雪姫にとって、それは(うらや)ましく映っていた。


 雪姫がいることに気付いていたらしい。早智乃がそのままの姿勢で、ぽつりとこぼす。


「あの子は、昔からそう。何でも簡単やってのけるんです」


 眺める瞳はどこか虚ろで、寂しげであった。

 この瞳には、見覚えがあった。たしか、以前は遠くから見たのである。あれは雪姫が暑さで倒れて運ばれた日に、この回廊で──


 雪姫は、はっとした。わかってしまった。


(そっか、早智乃は……)


 決して、幼夢を嫌っているわけではない。それは、一緒に時を過ごしていればわかる。ならば、どうして露骨に対抗意識を燃やしているのか、雪姫は不思議でならなかった。その謎が、今解けた。


 この場合、早智乃から見た幼夢の存在は、好敵手と呼ぶのが相応しい気がした。相手の力を認めているからこそ、超えられないと理解しているからこそ、反発しているのである。

 同時に、雪姫はかつて自分が飲み込んでいた感情の、真なる正体に気が付いた。立て続けにいろいろなことがあったせいで置き去りにされていたが、一旦離れて時間を置いたからこそ、向き合うことができたようにも思う。

 早智乃のお陰で、雪姫を悩ませ続けていたことの本当の理由が明らかになった。雪姫は、幼夢と佳月の二人に対して嫉妬していたのではない。“幼夢に対して嫉妬をしていた”のだと。


 わかってしまえば、理由はとても簡単であった。同年代で同性で、近い位置にいるからこそ目についてしまう。比較してしまう。羨ましいと思ってしまう。持っていないものをたくさん持っているからこそ、幼夢の存在は雪姫にとって誇りであるのと同時に、嫉妬の対象となっていた。

 早智乃も、雪姫と同じであった。ただ、彼女の場合はすでにこの感情に区切りを付けていた。素直にぶつけることで折り合いを付け、飲み込んだり、うやむやにしたりせず、表に出すことで解消させていた。

 幼夢も、早智乃のことをわかっているからこそ、にこにこ笑いながら受け流しているのかもしれない。

 受ける側とて、楽ではない。もしかすると、幼夢は幼夢で、何か思うところがあるのかもしれない。


(私、幼夢にきちんと話したい……)


 嫉妬していたこと、憎いと思ってしまっていたこと。まだ少し先になってしまうとは思うが、いつかは打ち明け、そのうえで友達でいたいと(こいねが)う。幼夢のことを好きでいたい、絶対に嫌いたくないという思いは、正真正銘、本物であった。

 大好きだという気持ちがあれば、その気持ちさえあれば、きっと友達でいられる。友達でいてくれる。幼夢がそういう娘であるということは、雪姫自身がよく知っていた。


 長いこと黙っていたからか、早智乃は(しび)れを切らせたようであった。


「な、なんです? 言いたいことがあるのなら、はっきりおっしゃい」


 整った細い眉が、苛立しげに吊り上げられる。が、雪姫は(ひる)んだりしなかった。一歩前に踏み出すと、早智乃のすぐ目の前で祈るようにして手を握り合わせる。


「ちょ、ちょっと。いきなりどうしたんです?」


「私も」


 困惑し、後退(あとじさ)る早智乃に、雪姫は心から言葉を絞り出す。


「私も、早智乃と同じ。羨ましくて、憎くらしくて……でも、大好き」


「なっ……! わ、わたくしは、別に」


 主語が誰であるかは言わなかったが、通じていた。早智乃は目を泳がせ、狼狽えている。それは、いつも堂々としている彼女からは、想像もつかぬような姿であった。


「あっ、早智乃ー! 雪姫ー!」


 いつの間にやら舞い終えていたらしい。幼夢が部屋に戻る途中で二人を見つけ、大きく手を振りながら近付いてきた。


「なになに、どうしたの?」


「べ、別に、何でもありませんっ」


 早智乃が唇を(とが)らせ、そっぽを向く。


「ふふっ、あのね、幼夢のことが大好きだって話をしていたの」

「ちょ、ちょっと! 雪姫っ!」


 雪姫が素直にばらすと、早智乃が盛大に焦りだす。幼夢はというと、話が見えず呆けていた。


「私、早智乃のことも大好きよ。もちろん、佳月も粋君も疾風も、みんな好き」


 雪姫は自信たっぷりに言い切って、破顔(はがん)する。

 皆のお陰で、自身の闇の部分とも向き合えるくらい、雪姫の心は強くなったのである。ゆえに、こんなに恥ずかしい台詞であっても、本心であるから堂々と言えてしまうのであった。

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