第二十六章 前進 陸
「雪女の力……白き闇……氷姫にしか防げない……」
幼夢がぶつぶつと唱えながら思考を巡らせる。雪姫も他の皆も、一緒になって考えてみたが、答えは一向に浮かんでこなかった。
「……ダメだわ。ぜんっぜんわかんない」
がくりと緋色の肩が下がる。
「仕方がない。とりあえず他に何か手がかりがないか、探してみようぜ」
佳月に促され、他の資料をあたってみることになった。家系図と政の巻物を端によせ、最後に残った一つを大机の中央に広げる。
それは、今までのものとは違い、図がたくさん載っているものであった。描かれていたのは当時の官服や調度品、皇宮や都の造りと多岐にわたっている。
「あれ? 見てください。この図、皇宮から山に続く道がありますよ。登った先に何かあるみたいですね」
粋が指で差し示す。図によると、東側の塀から山の方角に向けて伸びた道が、皇宮と小さな敷地とを繋いでいた。
敷地の部分に対する文字は紙がひび割れているせいで、何と書いてあるのか読むことができない。墨も掠れてしまっている。
「これって当時の図だけれど、現在も残っている場所なのかな?」
「ええ、ありますよ」
疾風の疑問に、清晏が答えた。
「その道は霜白歴代の皇族の墓に繋がっています。昔、私も気になって調べに行ったことがあるんです。如月様と深冬様のお墓もありましたよ。もし行かれるのでしたら、氷室様に頼めば部署の方に話を通していただけるはずです」
すでに調査済みであったらしい。清晏が教えてくれた。さらに訪問する場合の助言までもらい、幼夢がさっそくそれに乗る。
「ねぇ、せっかくだから行ってみない? ちょうど行き詰まっちゃったところだし、もしかしたら何か新しいことがわかるかもしれないし」
「そうね。私は行ってみたいかも。調査のことはもちろんだけれど、深冬様と如月様だけでなく私のご先祖様達にもご挨拶できたら嬉しいなって」
そこまで言って、雪姫ははっとした。
「あっ、でも昨日の今日だから、私は行かない方がいいかしら……もし、またみんなを巻き込んでしまったら」
「ていっ!」
言い終えぬうちに、早智乃が跳ねるようにして肩でぶつかってきた。雪姫はよろめき、大机に手をついて目を白黒させる。
「えっ? ええっ?」
混乱し、狼狽える雪姫に対して早智乃が不機嫌そうに顎を高く持ち上げ、鼻をふんと鳴らした。
「よし。早智乃、よくやった」
「ですね」
普段は取り成す側にいるはずの佳月と粋までもが賞賛する。
幼夢も両腕を腰に当て、じろりと瞼を絞ってこちらを睨んできた。
「もうっ! 私達のことはいいんだってば。雪姫が怖いから行かないっていうなら話は別だけど、そうじゃないなら遠慮は無用! 昨日も佳月が言ってたでしょ? 一番危険なのは雪姫で、あたし達の方がかえって安全なくらいなんだって。申し訳ないのは、こっちの方よ」
幼夢は盛大に溜め息をつき、やれやれと首を振って肩を竦めてみせる。
「だからここは、“おあいこ”ってことにしましょ? 罪悪感はお互い様なんだから、帳消し。それならいいでしょ?」
雪姫の目の前で人差し指を立て、さっきとは打って変わって、明るく弾んだ声で提案する。
「ほらほら、それに、腕の立つ心強~い味方も仲間に入ったばかりじゃない?」
ねっ? と含みのある言い方で疾風を振り返る。疾風も表情を和らげ、幼夢から話しを引き継いだ。
「雪姫。君がみんなを大事に思っているように、みんなも雪姫のことが大事なんだよ。僕達は、遠慮されるよりも君に想いを受け取ってもらえることの方が嬉しいんだ。だから、一緒に行こう」
「疾風……みんな……」
見回すと、全員同じ思いであるらしく、凛とした表情で微笑んでいた。清晏も温かな眼差しで見守ってくれている。
雪姫は、自分が本当に幸せ者であることを痛感した。刺客から狙われることに関しては皆の手を煩わせてしまうが、それ以外のことでいつかきっと、必ず役に立ってみせようと心に固く誓った。
「ありがとう。私、行ってみたいわ!」
「よーし、それじゃあ決まりっ!」
幼夢が元気よく、拳を高く突き上げた。
皇宮を訪ねて氷室と面会し、墓地のことについて話すと彼はすぐさま係の者に掛け合ってくれた。
先ほど見せてもらった図のとおり、皇宮の東側にある小さな門を出ると山道があった。山に向けて真っ直ぐに設けられたそれを登ってゆくと、森に守られるようにして造られた皇家の墓地にたどり着く。
板瓦で葺いた塀が森と敷地とを隔てている。案内してくれた役人に扉の錠前を外してもらい、雪姫達は敷地へと足を踏み入れた。
中央に広く道を空け、ずらりと墓石が碁盤の目状に並んでいる。道をまっすぐ進んだ先に一際大きなものがあり、そこに如月と美冬の名を見つけた。
「これが、霜白初代皇の如月様と深冬様のお墓……」
雪姫は静かに呟いた。
墓石は見上げるほどに大きかった。冷たい鈍色の石の正面には、手彫りで霜白皇家の紋章と二人の名前が連なって記されている。上部の中央に雪紋、その下に如月と深冬の名が並んでいた。
定期的に人の手が入っているらしく、墓には花が供えられ、香を焚いた跡もあった。雑草も刈ってあり、手入れが行き届いている。
しかし、それでも長い年月には敵うはずもなく、墓石は風化し、苔の跡もみられた。人の手により作られたものだが、すでに自然界と調和しつつある。何とも古めかしい佇まいで、如月と深冬の墓はそこに在った。
雪姫達は皆で手を合わせ、お参りする。
「……如月様と深冬様、一緒のお墓に入ってるんだね」
祈り終わった幼夢が、ぽつりと言った。早智乃も「仲がよろしかったのでしょうね」と、静かに答える。
(……あら?)
雪姫は、ふと違和感を覚えて辺りを見回した。
「どうかした?」
隣にいた幼夢が雪姫の挙動に気付いて尋ねてきた。早智乃も不思議そうにこちらを窺う。
「何だか変な感じがしたように思ったのだけれど……ごめんなさい。自分でも何がどう変なのか、よくわからなくて」
「そういえば、前にも似たようなこと言ってたよね」
「ええ。あの時と同じで……」
話していた時であった。突然、疾風と佳月が何かを察知して身動いだ。
疾風が素早く雪姫の前に乗り出して抜刀し、何かを弾き返す。
きぃん、と金属音がし、何かが地面を数回跳ねる。疾風が弾き返したそれは、小刀型の手裏剣であった。
「逃げられたか」
気配を読み取って佳月が舌打ちする。疾風も、刀を鞘に納めながら頷いた。
「ああ。あれを放ってすぐに退いたみたいだ」
「ゆ、油断も隙もないわね……」
幼夢が腹立たしげに暗器が飛んできた方の塀を睨みつけた。佳月もそちらに目を向けながら、唇を噛む。
「昨日から、一転して仕掛けてくるようになったな」
ここは離れた場所であるとはいえ、皇宮の敷地内である。にも拘わらず、人気がないからといって襲ってくるところを見るに、敵側も相当本気のようであった。
「あ、あの……ありがとう。お陰で、助かったわ」
驚いた余韻で雪姫の身体は縮こまっていた。胸に手を当て、浅い呼吸で礼を述べる。
「雪姫、これから外にいる時は、できるだけ僕か佳月の傍にいるようにして? 僕も、君から離れないようにするから」
「ああ。それがいい」
佳月が疾風に賛同する。
雪姫も重く受け止め、唾を飲み込むと「ええ、わかったわ」と神妙に頷いた。
それから皆で墓を調査するが、収穫は得られなかった。
雪姫は先祖に対して、如月と深冬の墓の前から全体に向けて手を合わせる形でお参りした。さすがに全員の名前は覚えきれず、また、墓も回りきれないので申し訳ないがこの方法で許していただくことにした。
いつもより少し早いが、今日のところは切り上げて、その分明日は早めに行動を開始しようということになった。
屋敷に戻った雪姫達は、夕食まで時間があったのでそれまで自由に過ごすことになった。