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氷雪記  作者: ゐく
第三部
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第二十六章 前進 弐

 疾風は雪姫と別れてから何があったのかを、順を追って話した。

 護身刀があったお陰で疾風の命が助かったこと。草助に保護されて山吹で生活していたこと。山吹染めを見せてもらったり、田植えをしたこと。近くの村の鍛冶屋(かじや)が偶然にも護身刀の作り主であったこと。鍛え直してもらった刀を受け取りに行った時、篠塚の家臣に見つかってしまったこと。その夜、軍を率いてやってきた篠塚に追い詰められてしまったこと。

 雪姫も、事態が急転したあたりから固唾(かたず)を飲むことになった。


「でも、篠塚に追い詰められる前に、草助にあることを頼んでおいたんだ」


「あること?」


「うん」


 頷いた疾風は、頭の中で当時の様子を思い浮かべた。





「で、どうしろって?」


 夜の暗い森の中。疾風と草助が向かい合っていた。草助は背を幹に預けて座り、腕を組んだ姿勢で疾風からの指示を待っている。


「僕を死んだように見せかけたいんだ。協力してくれ」


 疾風はすぐ近くの灌木(かんぼく)から何かを摘み取ると、草助に見せた。


「……紅墨(こうぼく)?」


 要領を得ず、草助が眉を寄せる。疾風は「ああ」と肯定した。


「この実で血を偽装する。僕が胸のところに墨紅を仕掛けておくから、草助は刺客に紛れて上手いこと斬ってくれ」


 疾風は一度言葉を切り、川の方を見やる形でそちらを示した。


「このままいくと、おそらく川の方へ追い詰められる。逆にそれを利用するんだ。川岸で紅墨を使って深傷(ふかで)を負ったように見せかけて、それが嘘だと気付かれないうちに川へ落ちるようにするから、草助は今度、水の流れから打ち上げられる場所へ回って僕を拾ってほしい。昨日の雨のせいで川も氾濫(はんらん)しているだろうから、例え遺体が上がらなかったとしても不自然ではないはずだ。危険ではあるけれど、敵に僕が死んだと錯覚させるには、いい策だろう?」


 疾風が迷いのない口調で言い切った。草助は、はぁ……と呆れたように溜め息をつき、胡乱(うろん)な目になる。


「とんでもねぇこと考えやがるな……」


 突拍子もない考えであるのと共に、疾風はさらりと言ったが草助に求められたのは至難(しなん)の業であった。

 たしかに、草助はそれなりに腕に覚えはあったし、山吹に住んでいる以上この辺りの地理にも通じている。だが、もし万が一斬るのに失敗すれば、疾風は致命傷を負う。川から助け損ねれば、溺れ死ぬ。

 草助からすれば、信頼してくれているのは嬉しいが、なかなかの無茶ぶりであるといえた。


血糊(ちのり)と地の利……か。命懸けの作戦が、まさかの駄洒落(だじゃれ)とはな。笑いたくとも笑えねぇぜ」


 草助が鼻で笑うようにして吐き捨てると、疾風が目を丸くした。


「駄洒落? ……ああ、本当だ。よく気付いたな、草助」


 紅墨の“血糊”と地形の“地の利”である。どうやら今気付いたらしい。目の前の少年は素直に感心している。

 皮肉ったつもりが、逆に少年の純粋さに当てられてしまった。調子を狂わされた草助は、がしがしと乱暴に頭を掻き、()れた声をあげた。


「くそっ! あーもう、わかったよ。協力してやるっ! その代わり──」


 短く息を吸った草助が、声を低くし、(まぶた)(しぼ)って睨みをきかせた。


「ぜってぇに、死ぬんじゃねーぞ」


「…………努力する」


「正直だなぁ、おい」


 草助は、がくりと項垂(うなだ)れた。

 これが危険な賭けになることは承知のうえだが、だからこそ、ここは意気込みとして「死なない。約束する」ぐらいは言ってほしところであった。それを正直に答えてくれたものだから、草助は呆れるしかなかった。

 疾風は変なところまで真面目なのである。


「そうだ、草助。これを預かっておいてもらえないか? せっかく秋彦殿に直してもらったのに、使って早々に刃を傷める訳にはいかないんだ。それに、水に濡れるのもよくないし」


 脱力している草助をよそに、疾風は悠然と自分の調子で話を進める。腰から護身刀を抜き取り、草介に近づいて差し出した。

 草助も立ち上がり、刀を受け取る。


「頼む、草助。もし万が一、僕がこの賭けに負けた時は……この刀を、風見ヶ丘に住む雪姫という女の子にわたしてほしい」


 疾風は護身刀から手を離さず、握ったままの姿勢で告げた。顔を(うつむ)かせているせいで、その表情まではわからない。


「さっき言ったはずだ。死ぬつもりでいるようなら、協力しねぇぞ」


「わかっている」


 疾風は重々しい口調で答えた。


「僕だって死にたくない。だけど、敵の動きを完全に把握している訳でもないし、自然を利用した作戦だから絶対に死なないと約束することができない。でも、これだけは約束できる。生きるために僕は全力を尽くすし、最後まであきらめたりもしない。これだけは、絶対だ」


 疾風が顔を上げた。前髪の間から、自信に満ちた瞳が草助を射る。


「最後の最後まで、精一杯のことをする。極限まで、頑張る。それでも結果が駄目であるなら、悔いはない。さっき僕の言った“努力”とは、そういう意味だ」


 疾風は別れを惜しむかのように護身刀を一度強く握り、力を緩めると、ゆっくり手を引いた。


「知りたいことや、やりたいことが、まだまだたくさんある。そう簡単に死んだりなんかできないよ。それに──」


 疾風がいかにも誇らしそうに言葉を継ぐ。


「このことを、きちんと僕から緑助に弁解しないと。僕に何かあったら、たしか草助が緑助に殺されてしまうんだろう?」


 草助は吹き出し、顔をくしゃくしゃにして笑った。


「ははっ! 違ぇねえや! ああ、そうだ。そうしてもらわんと困るぜ!」


 大きな手が、疾風の頭をがしがしと無遠慮に撫で回した。

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