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氷雪記  作者: ゐく
第三部
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第二十五章 合流 弐

「あの、疾風。さっきは助けてくれて、本当にありがとう」


 森を前に、雪姫は改めて疾風に声をかけた。先ほどは驚きの方が(まさ)ってしまい、きちんとお礼ができていなかったのだ。落ち着いたところで、少女は頭を下げるのと共に感謝を伝えた。しかし、ここにきて はっとした。重大なことを思い出したのである。


「あ、あら? でも、ちょっと待って。たしか、この前の触れ書きには、若草の皇子が亡くなったって……」


 いったいどうなっているのだろうか。混乱しだした雪姫をよそに、隣の少年は「ああ、あれね」と事もなげに笑う。


「いろいろあって、死んだように見せかけることができたんだ」


 おそらく、たくさんあったであろう事柄が“いろいろ”の言葉ひとつに集約されてしまった。その簡潔さが逆に曲折を物語る。詳しいことは何一つわからないものの、彼が並々ならぬ経緯を経てこの場にいるということだけは雪姫にも掴めた。


「若草の皇子である疾風は死んだ。だから今の僕は、ただの疾風だよ?」


 ほらね、とでもいうように両腕を広げてみせる。

 皇子という立場から解放され、命を脅かされる危険がなくなったせいか、疾風の(まと)う空気はどこか以前よりも晴やかに感じられた。

 彼の心が軽くなり、心身共に健やかでいられるというのなら、それは雪姫にとっても喜ばしいことであった。


 にこにこと朗らかな様子でいる少年に、雪姫も微笑み返す。


「でも、よかった……疾風がこうして無事でいてくれて。生きていてくれて」


 雪姫が噛み締めるようにして感じ入っていると、疾風は目許を和らげ、(おもむ)ろに森の方へと身体を転じた。


「実は、雪姫に逢いに風見ヶ丘まで行ったんだ」


 不意に告げられた内容に、雪姫は、えっと驚き、隣の少年を見上げた。視線の先では、淡々とした表情の横顔が記憶をたどるように山の木々を眺めている。


「だけど、その時すでに君は旅立ったあとだった。風見ヶ丘で、君のご両親から氷姫を捜すために霜白まで行っていると聞いて、それで僕も急いでここまで来たんだ」


 疾風は身を翻して再び雪姫と向き合うと、帯から護身刀を抜き取り、突き出すような形でそれを掲げてみせる。

 そして軽く息を吸い、表情を改めた。


「──ありがとう、雪姫。僕は、これがなければ間違いなく殺されていた。僕は、君に命を救われたんだ」


(あ……)


 聞いた途端に胸が熱くなり、言葉が詰まる。

 視界が滲んだようにぼやけてゆき、瞳から(せき)を切ったように涙があふれ出した。雪姫の中で張り詰めていたものが切れ、決壊した感情が瞳を通じて次から次へと身体の外に雪崩(なだ)れてゆく。

 ぽたり、ぽたりとこぼれ落ちる大粒の雫は、胸元に、地面に。弾けて、大きな染みの花を咲かせていった。

 つい先日、思う存分泣いたはずであるのに、不思議なことにまだ涙が出てくる。あれほど泣くのが困難であった頃が、嘘のようであった。


「……え? ゆ、雪姫っ?」


 疾風は、ぱちりと一つ大きく瞬きし、先ほどまで毅然としていた態度を一変させ、狼狽える。慌てて刀を差し直し、ひどく困惑しながらも、泣き出してしまった少女を落ち着かせようと手を伸ばした。


「はや、て……っ」


 はらり、と地面に笠が落ちる。その横で、二人の影が重なった。


「雪姫……?」


 すぐ近くから、驚きながらも労るような声が聞こえてくる。気が付けば、雪姫は自ら彼の胸に飛び込み、顔を押し付け、泣いていた。

 疾風はそれ以上何も言わなかった。ただ静かに雪姫を受け入れ、優しく包み込んでくれている。


 温かい。反動がある。間違いなく疾風はここにいる。生きている。


 今さらだが、触れたことで彼が生きているのだと、実感がより鮮明なものとして迫ってきた。

 衣越しで実際にはわからないはずであるのに、雪姫には、疾風の命を刻む鼓動の音が聞こえるような気がした。




「……あのね。私、ずっと自分は無力で、役立たずで、何もできないと思っていたの」


 どれくらいそうしていただろう。しばらくして落ち着きを取り戻した雪姫が、疾風の腕の中で静かに語りはじめた。


「でも、護身刀はちゃんと役に立っていた。無駄なんかじゃ、なかった。私にも、できることがあるんだって……あなたが証明してくれた」


 ゆっくりと上向き、あふれてくるたくさんの思いを込めて疾風を見つめる。


(この事実があれば、私はもっと頑張れる。この事実が自信になって、この先もきっと私を支えてくれる)


 雪姫は意を決したように口を切った。


「聞いて、疾風。氷姫がね、百年も昔に亡くなっていたの。でも、仲間のみんなも私も、あきらめてはいないの。氷姫がいないのであれば、白き闇が起こる原因を突き止めて未然に防いでみせようって、調査してる」


「うん」


 疾風が小さく返事した。彼は真摯(しんし)に話を受け止めてくれている。


「私には今、頼もしい仲間と協力してくれる優しい人達がいる。だから、白き闇なんかに絶対に負けたりしないって思っていたけれど……こうして再びあなたと出会えたことで、私、今まで以上にもっと負ける気がしなくなってしまったわ」


 最後、雪姫は破顔(はがん)した。疾風の方は突然話の中に自分が登場したせいで、不思議そうに目を見開いた。


「えっ? ぼ、僕?」


「そうよ。だって……こんな奇跡の実例を見てしまったら、どんなに困難な状況だったとしても、望みを懸けずにはいられないでしょう?」


 雪姫は、はにかみながら問い返した。

 なんといっても今目の前に、運命に抗い、生を勝ち取った人間がいるのである。無望と思えるような困難な状況だったとしても、それでも抗うことで拓ける道もあるのだと、雪姫は知ってしまった。

 心は今、希望であふれている。


「ねぇ疾風、お願い。私達と一緒に来て。一緒に、白き闇が起こる原因を探してほしいの」


 少女は切に乞うた。もし今ある状況に疾風が加わってくれるなら、これ以上心強いものはない。雪姫にとって最強の後押しになる気がした。

 しかし、告げてから一方的な主張であったと思い至り、申し訳なさから(うつむ)いた。疾風が黙って聞いてくれているのをいいことにしゃべり続けてしまったが、彼はこの提案をどう思っただろう。


「も、もちろん、疾風には疾風の事情があるって、わかっているわ。だから無理にとは言わないし、言えないけれど……でも、もし、迷惑でなかったら、あなたさえよかったら……力を貸してほしいの」


 おそるおそる。願わくばという思いで、祈るような気持ちでもう一度 (おもて)を上げれば、やはりそこには澄んだ瞳があった。彼の性格をそのまま表したような、真っ直ぐで優しげな瞳が細められる。


「もちろん、いいに決まっているよ!」


 花も(ほころ)ぶような、心が温かくなるような、そんな笑みであった。心からの表情に、雪姫の思考が弾け飛ぶ。


「あっ──ありがとうっ!」


 異性であるとか、恥ずかしいだとか。そんなことよりも、喜びの感情が先行する。

 沸き上がってくる嬉しさに任せ、雪姫は腕をまわして疾風に思い切り飛び付いた。


 至近距離からの衝撃で、疾風が大きくよろめいた。それでも、あははと明るく笑う。


「お礼なんていらないのに。だって、僕は初めから雪姫を手伝うつもりだったよ?」


 疾風は抱きとめていた手を緩めて雪姫の瞳を覗き込み、いたずらっぽく首を傾げてみせる。


「疾風……!」


 感激のあまり、いてもたってもいられなくなる。雪姫は再び少年に飛び付いた。


「本当に、本当にありがとう! あなたってば最高よっ!」


 疾風がまた声をあげて笑った。


「何言ってるの、雪姫」と、抱き締め返す。


「僕の方こそ。ありがとう、君は命の恩人だ。感謝しても、しきれないぐらいだ!」


 そうしてしばらくの間、二人してありがとう、ありがとうと言いながら、ぎゅうぎゅうに抱きしめあい、笑いあった。


 離れて一年。しかし、思っていた以上に疾風との距離は近かった。

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