第二十四章 再会 参
少しでも速く走らなければ。少しでも前に進まなければ。
草木を掻き分け、雪姫は無我夢中で森の斜面を駆け下り、無事に霜白までたどり着くことができた。
追ってくる者の気配は感じられない。ちらりと後ろを窺えば、やはり誰の姿もなかった。
どうやら逃げ切ることができたらしい。雪姫は安堵から地面にへたり込むと、肩で息をしながら呼吸を整えようと努めた。
しかし、のんびりとはしていられなかった。ここは町外れで人の気配がなく、いくら追手を撒いたからといって安心してよい状況ではない。先ほど、佳月は「敵が退いたら追いかける」と言ってくれたが、状況からしてこの場に留まるのはよろしくないように思われた。
これからどう動くべきなのかを、雪姫は早急に決めなければならなかった。
自身の安全の確保と仲間との合流のことを考えると、ここは氷室の屋敷へ帰るのが最善であろう。
そう結論にたどり着き、数回大きく呼吸して無理やり息を抑える。
まだがくがくと震えている膝に鞭打って、よろつきながらも再び走り出そうと立ち上がった、その時。背後からした土を踏む音に、雪姫はびくりと体を震わせた。
心臓が早鐘を打ちはじめる。走って熱を持っているはずの体が、急激に冷えてゆく気がした。
おそるおそる後ろに向き直る。
雪姫は息を呑んだ。覆面をした男が無言のまま、舐るようにして、ゆっくりと短刀の鞘を引き抜いていたのである。
どうやら、相手の側が一枚 上手であったらしい。雪姫が森の中を進み、いつもとは違う場所から霜白に入ってきたにもかかわらず、こうして待ち伏せをされていたのである。
思わぬ伏兵に戦慄が走り、頭の中が真っ白になる。意識の向こう側で本能が警鐘を鳴らしている。しかし、そうとわかっていても身体の方が動かない。
全身に響き渡る心臓の鼓動。恐怖で凍てついてしまった雪姫を目掛け、ついに覆面の男が地を蹴った。
雪姫の前に影が落ちる。短刀が振り上げられ、斬られる! と目を瞑った次の瞬間、ふわりと風を感じるのと共に、金属の触れ合う甲高い音が辺りに鳴り響いた。
痛みも、衝撃も来ない。雪姫がおそるおそる閉じていた目を開けてみると、自分と刺客との間を割るようにして何者かが立ちはだかり、その自らの刀で敵の刃を受け止めていた。
雪姫は、驚きに目を瞠った。
桔梗色の衣に銀鼠の袴。それに、笠を被った短髪のこの男は、刀を全て抜くことなく鞘から僅かに覗かせた部分だけで敵の刃を受け止めていた。
男は反動をつけて刺客を押し返し、隙つくると抜刀と共に大きく刀を振り上げる。
閃く軌道。一切の無駄を廃したその動きは、美しくさえあった。
きいん、とまた音が鳴り、高く跳ね上げられた刺客の短刀が遠くの地面に突き刺さる。刺客は舌打ちし、これ以上は勝ち目がないと判断したのか大きく退いて茂みの中へと消えていった。
笠を被った男はというと、深追いするつもりはないらしく、その場で刀を払うと鮮やかな手つきでそれを鞘の中へと収めた。
かちん、という小さな鍔鳴りの音が、全ての終わりを告げる。危機は去ったが、雪姫の身体はまだ震えていた。
(わ、私……助かったの……?)
心臓もまだ大きく鼓動を打っている。もし、この者が助けてくれなければ、今頃殺されていたのかもしれなかった。雪姫は上手く回りきらない思考のまま、ただただ桔梗色の背中に視線をさまよわせていた。
一方、男は息をつくと、落ち着いた様子で笠を取った。それに伴い、短い髪がさらりと揺れる。
「雪姫、大丈夫? 怪我はない?」
(えっ?)
驚きのあまり、少女は息の仕方を忘れ、言葉を失った。今、振り返り様にこの男が何と言ったのか、一瞬わからなかった。
雪姫が声も出せずにいると、
「あれ、もしかして僕のこと忘れちゃった?」
男はこちらに近付き、屈んで雪姫の顔を覗き込む。
(うそ……! うそうそうそ、うそっ!)
雪姫の瞳が、大きく見開かれる。
忘れるわけがない。この一年、ずっと心配し続けていたのだ。心を、痛めてきたのだ。
「……は、疾風───!」
「うん」
すると、彼は目の前で、それはそれは嬉しそうに笑った。