第二十三章 敵の影 壱
翌朝。
雪姫はすっきりした気持ちで目覚めた。
長いこと心に溜め込んでいたものを吐き出すことができたせいか、昨晩は深い眠りにつけたようである。
起床時間にはまだ早い。雪姫は今のうちに、と両隣で寝息を立てている幼夢と早智乃を起こさぬよう静かに布団を畳み、着替えを済ませると書き置きを残して庭に出た。
『散歩に行ってきます』
以前にも来た小高い丘に、小さな白い花束をそっと置く。それは、植木の影に咲いていた雑草を寄せ集めただけの粗末なものだが、雪姫にとっては大きな意味があった。
(疾風……)
目を閉じ、手を合わせながら心で彼に語りかける。
(花流しができなくて、ごめんなさい。今は、どうかこれで許してね。それから……涙をくれてありがとう。私、あきらめない。最後まで抗う。きっとあなたも、命を落とす最後の瞬間までそうしたのだと信じてる)
きっと、疾風は頑張ったに違いない。だから雪姫も負けてはいられなかった。白き闇まで残された時間はそう多くはないだろうけれど、自分もできる限りのことをしようと思う。
(私は、あなたを信じているから)
念を押すようにもう一度強く語りかけ、雪姫はゆっくりと目を開いた。
昨日氷室に報告をしに行った際、発見した石碑の内容に彼は顔色を悪くしながらも、すぐさま家臣にいくつもの指示を出し、冷静な対応をとってくれた。
氷姫のことについては氷室から朝廷に伝えられることになったが、彼いわく混乱を招きかねないため、直ちに公にはされないだろうとのことであった。
触れを出し、民に絶望だけを突きつけてはあらゆる意味で早まった行動に出る者が続出しかねない。人の命と都の治安、双方を守るためにも朝廷としては発表を慎重にせざるを得ないのだと言っていた。
「さーて、この先どうするかを考えないとね!」
「ああ。絶対に何か方法があるはずだ」
やる気満々の幼夢が力こぶを作る格好で意気込む。
佳月も頷き、そうだよな? と意思を確認するように仲間達を見回した。彼の口調は穏やかであったが、目の奥には熱いものが宿っていた。
「もちろんです。このまま屈するだなんて、悔しすぎます。こうなったら、何が何でも白き闇をどうにかいたしませんと! 粋、何かよい考えはありません? 学者でしょう、何とかなさい」
早智乃が突然、急かすように机をとんとん叩く。無茶な話の振り方をされて、粋は狼狽えた。
「ええっ! そ、そんなぁ! 何とかなさい、と言われましても……」
相変わらずの賑やかなやり取りである。雪姫は思わず感心した。それと同時に、改めて彼らを心強く思った。誰もあきらめてはいないのである。
よくよく思い返してみれば、今までもそうであった。ただ雪姫がついてゆけずにいただけで、いつだって皆は前向きに振る舞っていた。
今なら、雪姫も彼らと心を同じくすることができる。共に、前向きに進んで行くことができる。
やっと皆と同じ目線に立てるようになれたのだ。それが、なんだかとても嬉しかった。
一人くすぐったい思いに浸っていると、幼夢から声がかかった。
「ほらほら、雪姫も何かいい案出して出して!」
「ご、ごめんなさい!」
雪姫は慌てて返事をし、話の輪に加わった。
ああでもない、こうでもないと議論が続き、そろそろ発言も途切れてきた頃。佳月が思い出したように言った。
「なぁ、そう言えば氷姫が生まれる前って、どうしてたんだ?」
「そっか! 氷姫がいなくても白き闇を防ぐ方法があるなら、解決じゃない!」
幼夢が胸の前で手を打ち合わせ、名案とばかりに瞳を輝かせる。
「あー……それなんですが……」
粋が背を丸め、何やら言い辛そうに小さく挙手した。
「残念ながら、氷姫が生まれる前に白き闇はなかったそうですよ。以前その線で調べていた方がいらっしゃったので……」
「えぇー、残念。せっかくいい案だと思ったのにぃー」
粋からの情報に、幼夢もすごすごと引き下がる。
再び皆で考え込む時間が続き、ついに痺れを切らせた幼夢が頭を抱えて喚き出した。
「あーもう! どうしたらいいのよぉーっ! そもそも、何で白き闇なんて起きるわけっ? 意味わかんない!」
「……あっ!」
──それだ!と閃いたのは雪姫だけではなかったようで、幼夢以外の全員が同時に声をあげた。
「それです! その線でいきましょう!」
「さすがは強運と野生の勘の持ち主だぜ!」
「ああもう! どうしてもっと早くに気付かなかったんですっ?」
「そうよね。根本を解決するのが一番だわ!」
四人が一斉に喜び合う中、本人だけがわかっていなかったようで、幼夢は頭を抱えたままの姿で呆けていた。
「え? な、何? どうしたの急に」
ひとり置いてけ堀を喰らっている幼夢に、佳月が満面の笑みを向ける。
「何って、見つかったんだよ! 次の手立てが!」
単純である。氷姫がいないのであれば、白き闇が起こる原因を探り、未然に防げばよいのだ。
「いいですか、皆さん」
皇宮の書庫の一角で、五人はまるで円陣を組むかのように並び、顔を突き合わせていた。その中で、粋が皆に確認するように語りかける。
「氷姫捜しの時と同じように、自分達だからこそできるような視点で調査を進めていきましょう。白き闇の原因については、頭のよい人達がすでに隈なく調べいます。それでもわからなかったのは、見落としている何かがあるから。僕達にできるのは、その何かを見つけることです」
今までにもたくさんの人が原因を明らかにしようとしてきて、未だ成されていないことなのである。突然素人が横から手を出したところで何も変わらないかもしれないし、白き闇に間に合わないかもしれない。それでも、根本を解決するしか助かる道はない。
雪姫は気合いを入れる思いで口を引き結び、仲間と共に頷いた。
同じ頃、山の上の村では石碑とその周辺の調査が行われようとしていた。
氷室から朝廷に石碑のことが伝えられ、兵と学者が派遣されることになったのである。
現場の監督を任された氷室は、村の者達に趣旨を説明し、氷姫のことについても口止めを頼んだ。それでも、いつどこで情報が漏れるとも限らない。触れを出す前に噂が広がり、民に混乱が起きてしまっては困る。真相を明らかにしたうえで公表しなければならないため、迅速な対応が求められていた。
(白き闇が起こる原因を探り、未然に防ぐ……か)
設けられた天幕の中。持ち込んだ仕事をする傍ら、氷室は昨夜雪姫達から告げられたことを思い起こし、微笑んだ。
彼らは氷姫がいないとわかっても、あきらめたりはしなかった。さらに前進することを決め、新たな調査に乗り出すことにしたようである。
(あの者達ならば、本当にできるかもしれない)
氷室は眩しげに目を細めた。
氷姫のことを突き止めることができた彼らになら、白き闇を止めることもできるような気がした。
爛爛と瞳を輝かせ、決意を漲らせていた彼らを頼もしく思う。
「氷室様、清晏先生がご到着されました」
家臣が天幕を捲り上げ、氷室に告げる。
「そうか。わかった、すぐに行こう」
氷室は作業を切り上げると、足早に天幕を後にした。