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氷雪記  作者: ゐく
第一部
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第三章 疾風 弐

「大変! もうお昼だわ」


「本当だ。もうそんな時間なのか」


 鐘が鳴り、そこで初めて自分達がずいぶんと長い間立ち話をしていたことに気が付いた。

 雪姫は宿屋の女将に「札納めが終り次第まっすぐ帰る」と言ってあったので、今頃心配しているかもしれないと思い至る。


「私、そろそろ戻らないと。帰り道、教えてくれて本当にありがとう。それから、話せてとても嬉しかったわ」


「なんだ、もう行ってしまうのか……」


 麗人は残念そうにするが、否と首を振った。さらさらと亜麻色の髪が揺れる。


「礼を言わなければならないのは私の方だ。実は、歳の近い人としゃべったことなんて今まで一度もなかったし、それに私はここを出られないから……外の話を聞くことができて本当に嬉しかったよ。ありがとう」


 花のように柔らかく微笑まれ、雪姫は急に別れ惜しくなった。


「それじゃあ、お邪魔しました……」


 ぺこりと頭を下げ、一度は帰ろうと(きびす)を返す。が、思いとどまり、もう一度その麗人の方へと向き直った。


「あ、あのっ!」


 叫ぶようにして雪姫が突然振り返ったので、向こうは何事かと驚いている。


「わ、私、お父さんの用事が終るまで、暇なの! もし、あなたさえよければ、迷惑でなければ、またお話しをしに来ても、いいかしら……?」


 声はだんだんと張りをなくし、尻窄(しりすぼ)みになってゆく。それでも最後まで伝えることができた。雪姫は先ほどの、麗人の残念そうな顔と外へ出れないという言葉から、思いきって尋ねてみることにしたのである。自身としても、この者ともっと話をしてみたいという気持ちがあった。


 麗人は初め、驚いたような表情を見せたが、そのあと輝きに満ちた瞳でこちらを見つめ返してくる。


「来て……くれるの……?」


「ええ。あなたさえよければ、だけれど」


「もちろんいいに決まっているよ!」


 二つ返事であった。麗人は破顔(はがん)し、よほど嬉しかったのか持っていた書巻もそっちのけで縁側から身を乗り出した。


「あ──ありがとうっ!」


 雪姫も満面の笑みでそちらに駆け寄る。


「私は風見ヶ丘の雪姫。さっきも話したけれど、ただの農民。あなたは?」


「私は疾風(はやて)。あまり知られてはいないけれど、一応、若草の皇子だよ」


(若草の、巫女……)



 “皇子”と“巫女"。音の響きは似ていても、大違いである。しかし、雪姫はこの時、自身が重大な間違えを犯してしているということに気付いていないのであった。



「ここへは、雪姫の都合のいい時にいつでもおいでよ。どうせ決まった人しか来ないし」


 そう言って、今度は雪姫の後ろにある林に向かって声をかける。


「いいだろう、藤太(とうた)? それから、雪姫のことを塀のところまで連れて行ってあげてほしいんだ」


 すると突然、少女の背後でがさりと木の葉が揺れ、次の瞬間にはもう黒装束(くろしょうぞく)を着た切れ長の目の青年が隣に(ひざまず)いていた。


 一瞬の出来事であった。雪姫は何が起きたのかがまったく分からず、ただただ瞠目(どうもく)する。

 そんな少女を余所に、藤太と呼ばれた青年は立ち上がり、(ひたい)を手で覆うと呆れたと言わんばかりに大きく溜め息をついてみせた。


「疾風様……私の存在まで明かしておしまいになられるだなんて、軽率にも程がありますよ……!」


 疾風は苦笑し、「頼む、藤太」と嘆く彼を鎮めにかる。


「正午を過ぎたから、そろそろ緑助(ろくすけ)が──」


「疾風様、どちらにおいでですかー?」


 言い終わらぬうちに、ちょうど部屋の奥から(しわが)れた男性の声が聞こえてきた。

「ほら、緑助だ」と疾風が一度そちらを見返る。


「藤太、緑助には私から話をしておく。だから安心して」


 大丈夫と言う代わりに微笑んで見せ、素早く立ち上がると衣の袖を(ひるがえ)した。


「それじゃあ、雪姫を頼んだよ」


 それだけを言い残し、疾風は縁側から部屋の奥へと消えていった。

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