第二十章 真相 肆
進んでゆくにつれて、緑のにおいが濃くなる。雪姫がもとの場所に戻ってくると、幼夢と早智乃が祐をかけ、地面にしゃがみ込んで何やら手を動かしていた。
なるほど。どうやら先ほど大巫女から仰せつかったのは、草むしりだったようである。
「ただいま」
「あっ、おかえりー!」
「……お帰りなさい」
雪姫が声をかけると、幼夢がぱっと顔を上げ、早智乃は静かに視線を寄越した。
楽しそうな幼夢に対し、早智乃は明らかにふてくされていた。目を据わらせながら、ぶちぶちと草を毟っている。
雑草は、上面を取っただけではまたすぐに生えてきてしまう。そのため、根から抜くのが一般的なのだが……大巫女も二人がやり慣れていないのは予想の範疇だったようで、あえて指導はしていないようであった。
「あら? 佳月と粋君は?」
雪姫は辺りを見回した。そういえば男性二人組の姿が見当たらない。
「あっちだ」と大巫女が顎を上げる。
「向こうに、ずいぶんと前に土砂崩れで埋まってしまった水神の石碑があってな。それを掘り出すのを手伝ってもっらっておる」
それから幼夢達の作業した辺りを軽く見回すと、「ここはもうよい。あっちを手伝っとくれ」と草むしりを引き継ぎ、少女と一緒にその場に残った。
佳月達は、なかなか苦戦しているらしかった。
土砂崩れがあったという場所は崖のように切り立っており、その地盤からは木の根が剥き出しに見えている。しかし、剥き出しになりながらも土をしっかりと噛んでいるため、これ以上崩れ落ちる心配はなさそうであった。
下では、削げ落ちてしまった分の土砂が緩やかな斜面を作りながら、扇状に広がっている。どうやら木の少なかった前方の弱い地盤だけが、こうして崩れてしまったらしい。
出来上がった山の上に茂った草が、見る者に月日の経過を思わせた。
「おーい、二人ともー! 手伝いにきたよー!」
幼夢が大手を振って叫ぶ。
「おっ、助太刀か」
「ありがとうございます。助かります」
「この惨状だもん。みんなで手分けした方が早く見つかるしね!」
二人に対し、幼夢が明るく笑ってみせる。
「では、全員で掘り当てることにしましょう」
粋がそう答えるや否や、
「ふふふ……幼夢! あなたより、絶対にわたくしの方が先に石碑を見つけ出して見せますからっ!」
早智乃が得意気に両手を腰に当て、幼夢の方へと向き直った。
先ほどの草むしりでは点かなかった火が、ここで点いたようである。真っ直ぐに人差し指を突き付け、宣戦を布告した。
「粋、それをお貸しなさい」
「えっ、あ、はい……」
早智乃はさっそく粋から鋤を奪い取ると、高らかに振り上げ、勢いよく地面につき刺した。
────しかしながら、結局石碑を掘り当てたのは幼夢であった。
彼女の強運には驚かされる。掘り進める場所が少しずれてしまっただけでも、見つけ出すことはできない。それを開始早々にやってのけてしまったのだから、勝負を仕掛けた早智乃が大層悔しがったというのは、言うまでもなかった。
「当初は、村の人達も整備しようとしていたらしいんです。でも、仕事が忙しいのと被害が大きかったのとで、進まなかったって聞きました」
「北国だから、雪で閉ざされて作業できない期間が長くなっちまうもんなぁ」
雑談を挟みながら、それぞれ手を動かす。雪姫も同じ農民として、日々の生活を思うと村人達の言い分がわかる。粋と佳月の話に、素直な気持ちで「そうよね」と頷いた。
「冬が長いから、その分暖かい時に仕事をたくさんしておかないといけないものね」
「はい。それであきらめて、向こう側に新しく別の石碑を造ったんだそうですよ」
「へぇー、そうだったんだ」
幼夢も納得の声を上げる。
「でも、村に代々伝わってきたものだから、できればもとのやつを使いたかったんだとさ」
「そっか。じゃあ、見つかってよかったわねぇ」
そんな話をしながら掘り進めてゆき、大方の姿が出てきたので濡らした布で纏わりついた土を落としてゆくことになった。
雪姫が泥を拭き取ると、手彫りの細くたどたどしい線で、円の中に「水」と彫られているのが出てきた。
様子を見にやってきた大巫女が、石碑を見て眉間に皺を寄せた。
「お前たち、それは掘りすぎだ」
「ええっ、うそっ! どうしよう、頑張りすぎちゃったっ?」
石碑の側面を拭いていた幼夢が思わず顔を上げる。周りの土をどかしていた佳月と粋も手を止めた。
「す、すみません。下の方まで続いていたので、僕達てっきり……」
「やれやれ。元は膝ほどの高さしかなかったぞ。だが、これほど大きなものだったとはな。わしも知らなんだ」
感心したように言い、大巫女が足元に気を配りながらこちらに近付いてくる。佳月がさりげなく手を差し出し、転ばないようにと補助した。
幼夢も作業を中断し、その様子を見守っていたが、ふと固まったまま動かないでいる雪姫に気付き、不思議に思って問いかけた。
「どうしたの?」
ところが、すぐに返事はこなかった。
「雪姫?」
「嘘よ、そんな……」
小さく言ったその声は掠れ、震えていた。何やら様子がおかしいと、他の皆の意識もこちらに集まる。
「氷姫は、死んでいた──?」
雪姫の目は、拭った下から出てきた文字に釘付けになっている。
辺りが、しんと静まり返った。
「……なんですって?」
皆が息を呑んで動けずにいる中、早智乃が口火を切った。進み出るや、叫ぶようにして雪姫を押しのける。
「お、おどきなさい!」
石碑にしがみつき、早智乃が彫られていた字を読み上げた。
『花栄三百二十六年 氷姫 白き闇を防ぎ、還らず。感謝をここに表す』
記された日付は、たしかに百年前のものであった。
雪姫がはっとして一番上に彫られている印を見上げた。これは水神を祀る石碑で、円の中には「水」と彫られている……そうとばかり思っていたが、実際は違ったのである。
線はそれぞれ中心で交わり、字ではなく紋様を作っていた。これは霜白の皇家の紋章、雪紋を表していた。
すべてが繋がる。それなら、たしかに辻褄が合うのだ。現れない氷姫。その答えは、彼女がすでにこの世を去っていたから。
白き闇を防げる人は、もうこの世にいない。
「そんな……じゃあ、白き闇は防げないってこと? 私達はどうなるの?」
不安から幼夢は視線で佳月に救いを求めるが、彼は深刻そうに口を引き結び、黙ったままでいる。
その隣で動揺を押し殺すように歯噛みしていた粋が、拳を握りながら呻くように言った。
「ひとまず、氷室様のお屋敷に戻りましょう」