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氷雪記  作者: ゐく
第二部
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第十八章 苛立ち 弐

 雪姫は慌てて立ち上がり、会釈(えしゃく)した。


「私達は、氷姫の足取りをたどっている者です。先ほど、村の方から長生きな方か物知りな方をお尋ねしたところ、大巫女様であるとお教えいただいて……」


「氷姫? 氷室様の時もそうだったが、話してやれることはこれといってないぞ」


 大巫女は眉間に皺を寄せ、迷惑そうに答えた。


「百年前、氷姫が白き闇を防ぎに来てくれた時、途中でこの村に立ち寄っていかれたのだとお聞きしました」


「そうらしいな。だが、そのあとどこへ向かったのかまではわからん」


「どんな小さなことでもかまいません。もし、ご存知のことがありましたら教えてください。お願いします」


 必死な思いで雪姫は頭を下げる。後ろの皆も同じであった。


「そう言われてもだな……」


 大巫女が再び眉を寄せ、困ったように唸る。ややあってから何か思い出したようで、「ああ」と顔を上げた。


「本当に些細(ささい)なことだが、祭壇に氷姫の絵があるぞ」


 見せてくれるらしく、本殿の中に入るよう促される。


「これだ」


 祭壇の奥には、軸装(じくそう)された一幅(いっぷく)の絵が掛けられていた。

 年季が入っているため鮮やかさは失われ、紙のひび割れに伴い絵の具が剥離(はくり)してしまっている部分もみられる。しかし、何が描かれているのか理解するには足りた。そこには伝説どおりの、氷姫の姿が描かれていた。


 雪のように白い肌。たっぷりとした袖の瑠璃色の衣。玉をあしらった額飾り。中でも一際目立つのは、髪の毛の描写であった。

 緩やかに波打つそれは背丈に及ぶほどで、銀で描かれ、光の角度によっては見え方に変化が起こる。長い年月のせいで鈍くなってしまってはいるものの、美しい絵であることに変わりはない。

 貴重な銀や高価な青い色の絵の具が使われていること、描画技術の高さから、素人の作ではないものと思われる。もしかすると当時の村の人達でお金を出し合い、絵師を頼んだのかもしれなかった。


「伝説どおりの姿だったと聞いておる」


 思い出すように目を細めた大巫女が、絵を見上げながら呟いた。


「それって本当なんですか?」


「知らん」


「知らんって、そんな」


 期待したところで振り落とされ、幼夢が苦笑する。


「そう聞いているだけだ。実際に見たわけではない。その時代、(わし)かてまだ生まれてはおらん」


 大巫女は淡々とした口調で答える。その横顔を(うかが)いながら、早智乃が問うた。


「では、いったい誰からそれをお聞きになられたんです?」


「先代の大巫女からだ。先代も、先々代の大巫女から聞いたと言っていた」


「他にお聞きになられていることは?」


「ないな」


 一蹴されてしまい、結局それ以上の情報を得ることは叶わなかった。

 雪姫達はあきらめて村を出ることにする。

 石段を下っていく一行を、大巫女と少女が上から見送ってくれている。幼夢が大巫女の陰に隠れていた少女に向かい、元気いっぱいに両手を振った。雪姫も大巫女に会釈(えしゃく)したあと、少女に手を振ってみた。



「……おねえちゃんも、さようなら」


 少女は大巫女に寄り添いながら、遠くなってゆく雪姫の背中に向かって、その小さな手を振り続けていた。





 氷室が見つけられなかった情報を、自分達が見つけられるとは思えない。そう予想してはいても、実際に直面してみるとやはりこたえる。わかっていたことであるにも(かか)わらず、落ち込むとは情けない。他の皆は気を落としつつも前向きな姿勢をとっているというのに、雪姫だけがついてゆけずにいた。

 この日の空は、そんな彼女の心を映したかのようにどんよりと低く重たかった。雲は流れてこそいるが、ひしめき合い、途切れることを知らない。じめじめと(まと)わりつくような空気からは、今にも雨の降り出しそうな匂いがしている。


 雪姫は広げていた書を閉じ、棚に戻した。


(暑くなってきたわ……)


 じっとしていても汗ばむ。我慢できないというほどではないが、立っているのが億劫(おっくう)になり、雪姫は書棚にもたれかかると目を閉じた。


 調査の報告と、今後のことについての話をするため、皆で皇宮に泊まり込みで仕事をしている氷室の帰りを待っていた。

 家臣によれば、昼ぐらいには戻るとのことであった。そこで、それまでの間書庫で時間を潰すことになり、現在に至る。

 曇りであるとはいえ、季節はもう夏に差し掛かろうとしている。ただでさえ氷姫捜しが上手くゆかずに落ち込んでいるというのに、暑い日がやってくるのだと思うと、雪姫はますます憂鬱になった。

 夏を好きだという幼夢が羨ましくて堪らない。彼女のような人間にとっては天国の日々の始まりかもしれないが、暑さを大の苦手とする者にとっては地獄の日々がはじまろうとしていた。そんな中で氷姫捜しをしてゆかなければならない。先が思いやられるとは、正にこのことである。


「すまない、待たせたようだな」


 間もなくして涼やかな声がした。


「氷室さ──」


 わざわざ書庫まで足を運んでくれたらしい。棚の影から現れた氷室に、雪姫も挨拶しようとする。ところが、突如激しい目眩(めまい)に襲われ、手をついた。なんとか倒れるのを(まぬが)れたものの、結局は立っていることができずに支えに入った氷室の腕の中に収まる。


「雪姫殿! どうなされた!」


 どっと冷や汗が噴き出し、ちかちかと視界が瞬く。重力も、どの方向に働いているのかがまったくわからない。突然平衡を失い、雪姫自身も混乱していた。


「す、すみま、せ……」


「まぁ!」


 一番最初に駆けつけた早智乃が、素早く雪姫の頬に手を当てる。


「暑そうですね。顔も火照っていますし……」


「とにかく、どこか休める部屋まで運ぼう」


「では、わたくしが付き添いを」


 氷室が頷き、雪姫をそのまま抱き上げる。


「雪姫っ!」


 今にも泣きそうな顔でついてこようとしていた幼夢を、早智乃が肩越しに()ねのけた。


「心配なのはわかります。けれど、大人数で行く必要はありません」


「う、うん」


 幼夢は一瞬言葉を詰まらせるも、胸の前に手を置き、強く頷いた。


「そうだよね。わかった」


 氷室達を見送る緋色の少女の肩を、佳月が労るようにそっと抱く。


「大丈夫だ。休めば、きっと良くなる」


「……うん」


 静かに呟いた幼夢は、揺れる瞳で彼らの消えた先を見つめていた。





 雪姫は西側の比較的涼しい部屋に運ばれ、水と氷をもらい、強制的に寝かしつけられてしまった。


「では、わたくしもそろそろ」


 早智乃が、相変わらずの美しい身のこなしで立ち上がる。雪姫は布団に沈んだ態勢のまま、弱々しくも投げかけるようにして礼を述べた。


「早智乃、ありがとう」


 呼ばれた吊り目の少女は、両手を腰に手を当て、雪姫を上からずいと見下ろす。


「よろしいですこと? 人払いをしておきますから、ゆっくりお休みなさい。それと、言っておきますけれど、元気になってからでなければ氷姫捜しはさせませんからねっ!」


 最後、しっかりと釘を刺してから早智乃は障子(しょうじ)を閉めた。

 廊下を行く影が、次第に遠のいてゆく。雪姫はそれを見送ったのち、深く溜め息をついた。


 急に訪れた沈黙が、今は耳に痛かった。


「あーあ、情けないな……」


 誰もいなくなった部屋で一人、消え入りそうな声でぼそりと呟く。


 皆が頑張っている時に、一人だけ体調不良で倒れてしまうとは。不可抗力であるとはいえ、足を引っぱっているのは事実である。なぜこうなってしまったのだろう。


(悔しい……)


 頑張りたいのに頑張れない。それが、こんなにも辛くて苦しい。


(私はただ、頑張りたいだけなのに……)


 惨めだった。泣きたいとも思った。しばらくはこの部屋に誰も来るはずはないのだから、泣いたってよいのである。

 けれども、泣けなかった。どうしても、涙が出てこなかった。


 雪姫は唇を噛み、布団の端をきつく握りしめた。

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