第十七章 霜白にて 陸
「…………」
ちょうど全員の黙った瞬間が重なり、沈黙が流れる。雪姫は場の空気に耐えかね、話題を探しはじめた。
「あっ、そうだわ! お茶! お茶のお代わり欲しい人!」
急須を手に腰を浮かせれば、早智乃が流れるような美しい動作で袖を抑え、湯呑みを差し出してきた。
「では、入れていただけます?」
「はい。早智乃様、熱いのでお気をつけください。粋先生は?」
「じゃあ、僕にもお願いします……って、雪姫さん。粋でいいですよ。僕の方が年下なんですから。幼夢さんや佳月さんと同じように呼んでください」
言われたものの、何となく彼の印象から呼び捨ては違うような気がした。
雪姫は逡巡し、
「では、粋君と呼ばせてもらっても……」
よいでしょうか? と問う前に「それでお願いします」と無邪気な笑顔が返ってきた。
粋とのやりとりが一段落したのを見計らって、佳月も茶の残りを一気に煽る。
「悪い、雪姫。俺にも頼む」
「はい、どうぞ。幼夢はどう? いる?」
「うん。お願いしてもいい?」
幼夢の分を手渡し、最後に自分の分を注ぐ。一口つけ、ほっと息をついたのも束の間。早智乃が、じっとこちらを見つめていた。
雪姫は、逸らすこともできずに固まってしまった。彼女の猫のように吊り上がった瞳からは、何も読み取ることができない。
何か失礼なことでもしてしまったのだろうか。それとも、茶の入れ方に問題でもあったのだろうか。気にはなるが、恐ろしすぎてこちらから話しかけることができない。湯飲みに添えた手が、嫌に汗ばむ。そんな雪姫の緊張を知ってか知らずか、隣では幼夢がふうふうと呑気に茶に息を吹きかけていた。
(お願い、幼夢! 助けて……!)
心の中で半べそになりながら助けを求めてみたが、やはり気付いてはもらえなかった。
「──で、さっきの話に戻るけどさ。もし仮に氷姫が自分から隠れているんだとしたら、誰かが匿ってるってことになるよな」
「そうですね。これだけ捜査の手が回っている以上、そう考えるのが妥当です。あと、事件に巻き込まれているという方向で考えるなら、幽閉という可能性があります。誰かが自分のところだけ守ってもらおうと、閉じ込めているのかもしれません」
「……人間の屑ですね」
冷たい声で、早智乃が横から酷いことをさらりと言ってのける。彼女のような、きつめの美人が言うと様になる。
「まぁ、憶測でものを語っているだけなので何とも言えませんから、とりあえずこの話はまた今度に回した方がよいと思います。氷室様から教えてもらった村での調査を終えてから、改めて考えることにしましょう」
もちろん粋の意見に異論を唱える者などいるはずもなく、明日の朝、皆で村まで行ってみようという結論でこの場はお開きとなった。
解散し、廊下に出たところで雪姫は早智乃に呼び止められた。
「ちょっと、あなた」
「は、はいっ!」
思わず叫ぶように声をあげてしまったが、早智乃はというと一瞬怪訝そうにするも、特に気にした風でもなく自分の話をはじめる。
「わたくしにだけ“様”を付けるの、よしてくださらない? まるで呼ばせているみたいではありません?」
口調は特に責めたてているというわけではない。が、威圧感があった。雪姫は内心びくつきながらも、慌てて弁解する。
「も、申し訳ございません。そのようなつもりは……幼夢と佳月の場合、様を付けずに呼んでほしいと頼まれたからで」
しかし、口にしてからはっとする。早智乃の前で幼夢の話をする時には、注意が必要だったのだ。予想通り、早智乃がギロリとこちらを睨む。
(こっ、怖い!)
突き刺すような鋭い視線に、雪姫は背筋を凍らせた。
身の丈は彼女の方が小さいはずであるのに、なぜだか上から見下ろされているような、不思議な感覚に陥ってしまう。お陰ですっかり萎縮してしまい、次に発する言葉も尻すぼみになってゆく。
「で、では、どのように……」
早智乃は、つんと高く鼻を上げ、命令口調で言い放つ。
「特別に、あなたにも早智乃と名前で呼ぶことを許して差し上げます。それから、敬語で話す必要もありませんから」
雪姫は、なんとなくわかった気がした。これは幼夢に対して対抗意識を燃やしているのだ。
それにしても、変なところにまで燃やさずともよいのではなかろうか。もちろん、そのようなぼやきは心の中だけに留めておくことにした。
(さっき、じっとこちらを見ていたのは、呼び方を気にしていたからだったのね)
先ほどの、茶を淹れた時のことが雪姫の頭を過ぎった。おそらく間違ってはいないであろう。
「何をぼーっとなさっているんです?」
すでに歩き出していた早智乃が、突っ立ったままでいる雪姫を振り返った。
「はいっ!」
「部屋へ行くのでしょう?」
「はいっ!」
噛み合っているのか、いないのか。計りかねて早智乃が怪訝そうに眉を寄せた。
新しい仲間。しかし、雪姫は馴染めるかどうかが不安で堪らない。とりあえず彼女の隣につくが、緊張と恐怖のせいで心臓の方は今にも潰れてしまいそうであった。
それほど遠くないはずの部屋までの距離が、この時ばかりはひどく長く感じられた。




