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氷雪記  作者: ゐく
第二部
45/101

第十七章 霜白にて 肆

「あなた……」


咲雪(さゆき)、落ち着きなさい」


 動揺する妻をたしなめながらも、白峰は手元に広げた書状から目を()らさなかった。


 風見ヶ丘の、とある家に送り届けられた一通の(ふみ)。その差出人は、この家の一人娘からであった。

 文には、雪姫が霜白で氷姫捜しをすると決めたこと、すでに到着していること、霜矢の血統の重要性から危険を伴う可能性があること、清晏の助言により氷室の庇護下(ひごか)に入れてもらっていること。そして、連絡が遅くなってしまったことへの謝罪の言葉が綴られていた。


 読み終えた白峰は文を咲雪に託し、立ち上がる。無言のまま、その足でいつもと同じように畑仕事へ行くための準備をはじめた。

 咲雪は手に乗せられた文を見つめながら、静かに呟く。


「雪姫は自分で決めたのよね」


「ああ。だから咲雪、私達にできるのは……」


「わかっているわ。私達にできるのは、無事に帰ってきてくれると信じて待っていることだけ……よね」


 白峰の言葉を遮り、彼が言わんとしていた続きを紡ぐ。顔を上げた咲雪は、腹を据えたのか「困った娘だわ」とばかりに笑っていた。






 雪姫達が霜白で調査をはじめてから、すでに十日が経っていた。収穫はなく、手応えも感じられないまま時間だけが過ぎていた。


 もともとの予定では氷姫の足取りをたどってゆくはずだったが、氷室の話によればその調査はすでに終わっているという。

 富、権力、そして知恵のある氷室が全力を尽くしても見つけられなかった情報を、自分達が掴めるとは到底思えない。結局踏ん切りをつけることもできず、無難に町の人に聞き込みをして回ることを手始めとしていた。


 しかし、やはりというべきか。聞き込みで得られる有力な情報などあるはずもなく、次の手段として清晏と一緒に研究をしていた者にも会ったが、皆そろって首を横に振るばかりであった。

 現在はというと、霜白の皇宮の書庫に出向いて調査をしているところである。それでも、文献を調べるにも古いものになれば専門知識が必要となり、できることも限られてしまう。結果は無力同然で、雪姫達は本当に行き詰まっていた。


「あと残されている手段といえば、最後に足取りの確認されているっていう村での調査ぐらいだよなぁ」


 佳月の言ったとおり、これ以上は後がない。頭の後ろで腕を組み、溜め息をつく彼の横で幼夢もやれやれといった風に肩を(すく)めてみせる。


「結局ふりだしに戻ってきちゃったってわけね。どうする? 当初の予定通り、その村まで行ってみる?」


「そうね……」


 この日も仕方なく切り上げることにし、屋敷に戻るため通りを歩いていた時のことであった。


「やっと見つけましてよ! 幼夢っ!」


 背後から、少女の猛った声が叩きつけられる。振り返った幼夢は、こぼれんばかりに目を見開いた。


「ええっ? あーーーっ!」


 叫んだ先では、赤々と燃える夕日を背に、一人の少女がこちらに人差し指を突きつけていた。


「さ、早智乃(さちの)じゃない! どうしてここにっ?」


 おそらく、雪姫と同年代かと思われる。早智乃と呼ばれた垂髪(すうはつ)の少女は、聞かなさそうに跳ねた前髪の下で元からの吊り目をさらに吊り上げ、地面を強く踏んで距離を詰めると幼夢の前に立ちふさがった。


「決まっていますでしょう! わたくしも、氷姫捜しをしに来たんですっ!」


 早智乃は語気を荒げて言った。

 堂々と道の中央で交わされる大声のやりとりに、通りを行く者達の視線が集まる。ただでさえ幼夢の鮮やかな緋色の衣が人目を引いていたところへ、水色の地に桜柄を取り合わせた上物の振袖を着た少女が加わったのだ。目立って仕方がない。しかし、当人達はそのようなこともお構いなしに会話を繰り広げていた。


「緋那の皇女が氷姫捜しをしているというのに、水澄の皇女が何もしないでいるだなんて……」


 悔しげに拳を震わせていた早智乃が、キッと幼夢を睨み上げる。


「貴女だけによい格好なんて、させません。絶対にわたくしの方が先に見つけ出してみせますっ!」


 きっぱりと言い放ち、再び幼夢の鼻先に勢いよく人差し指を突きつける。宣戦布告に対して、幼夢は呑気(のんき)に明るく笑いながら拍手を送った。


「え、そうなの? わーい! 早智乃ってば、頼もしーい!」


 夕焼け空の向こうで、烏が鳴いた。


(ええと、これはいったいどういうことかしら……)


 雪姫には何が何やらわからず、呆けることしかできない。

 とりあえず二人は知り合いで、振袖の少女は水澄の皇女であり早智乃という名であるらしい。ついでにいえば、彼女は幼夢に対して闘争心を剥き出しにしているようであった。


「よっ! 早智乃」


「まぁ、佳月!」


 久しぶり、と後ろから手を上げて挨拶する佳月を目に留め、早智乃が声色と態度を豹変(ひょうへん)させる。さらにわざとらしく幼夢を押しのけると、前に進み出た。


「お久しぶりですね。お変わりありません?」


 ちょこんとかしこまり、今度はにこやかに微笑みながら接する。幼夢の時に比べ、ずいぶんと対応が違うようだが、この高飛車(たかびしゃ)な独特のしべり方は元からであるらしい。


「ああ、そっちも相変わらずだな。なんていうか……(すい)が大変そうだ」


 佳月は、後ろから息を切らせて追いかけてくる小柄な眼鏡の少年を見やり、苦笑した。


「さ、早智乃様……待ってくだ、さ……」


 坂を登ってきた少年は、息も絶え絶えに早智乃の隣に並んだ。

 背負っている荷物が、彼をさらに小さく見せている。この者が早智乃の連れであるならば、彼女が手ぶらでいられる理由は言われなくともわかった。


 佳月の言うとおり、たしかに大変そうであった。物理的にも、精神的にも。


「遅すぎですよ、粋。わたくしを見失ってしまったら、どうするつもりです?」


 早智乃は腕組みをし、つんと鼻を高く上げてそっぽを向く。

 粋と呼ばれた少年は、なんとも情けない声で嘆き、項垂(うなだ)れた。


「そ、そんなぁ! 早智乃様が、急に走ったりするからじゃないですかぁ!」


(きっと日頃からこの調子なんだわ……)


 この短いやり取りの間に、雪姫は悟った。早智乃には失礼かもしれないが、正直な感想として、普段からの彼の苦労を思うと同情せずにはいられない。


「そういえば、こちらの方が雪姫さんですか?」


 今まで蚊帳(かや)の外だった雪姫に突然話の焦点が当てられたので、どきりとした。


「あっ、はい」と背筋を伸ばす。


 粋は、よいしょと荷物を背負い直し、ずれ落ちた眼鏡をかけ直す。

 まだ幼さの残る大きな瞳は、どこまでまも純粋で澄みきった色をしていた。そんなこぼれそうな目を細め、少年が笑う。


「初めまして。早智乃様の付き人を務めさせていただいております、粋です。氷姫捜し、ぜひお手伝いさせてください」

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