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氷雪記  作者: ゐく
第一部
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第二章 札納め

 雪姫と白峰が都──若草(わかくさ)へたどり着いたのは、空も茜色に染まる(さる)の刻を過ぎた頃のことであった。


 風見ヶ丘の村長が牛車(うしぐるま)を貸してくれたお陰で、ずいぶんと楽をすることができたのだが。雪姫はずっと揺られていたそのせいで、降りてからもまだ揺られているような、妙な感覚に囚われていた。

 ゆらゆらと重心が定まらず、地面を踏んでいるはずが何か柔らかい綿のようなものを踏んでいるような気がするのである。今まで長時間牛車に乗ることなどなかったので、これは初めての経験であった。


 なんとも言えない違和感を付きまとわせたまま、雪姫は父の後についてゆく。


 着いた先は若草の北西。白峰の知り合いが経営する宿であった。

 宿といっても、民宿に近いらしい。父から教えてもらった事前情報によれば、部屋数もそれほど多くはないし、また部屋自体も決して広いとは言えないという。けれども、料理が美味しく宿泊代も手頃であるため、大通りから外れているにもかかわらず客の()りはよいのだそうだ。

 ちなみに今回の二人分の宿泊代も、知り合いということでかなり負けてくれるという話になっているらしい。


「ごめんください」


 白峰が宿屋の戸を引くと、奥から女将が駆けてきた。


「お疲れ様です。お待ちしておりました」


「お世話になります」


 白峰が頭を下げたので、後ろの雪姫も慌ててそれに(なら)う。


「いいえ~こちらこそ、いつも美味しいお米をありがとうございます。さぁさぁ、中へどうぞ。牛は繋いでおきますから」


 女将は主人を呼び、牛を任せると二人を中へ通してくれた。


 用意されたのは二階の角部屋であった。

 白峰と雪姫が部屋に到着し、荷物を下ろしているうちに夕食の膳が運び込まれ、料理が手際よく並べられてゆく。

 部屋に夕食のいいにおいが広がる。

 風見ヶ丘を出発してからというもの、雪姫も白峰も持参した握り飯と水以外は何も口にしていなかった。そんな二人にとって、この夕食が腹に()みないはずがない。

 親子はしばらくの間、無心になって食べることに専念した。




「そういえば、 さっき女将さんが“いつもお米をありがとう”と言っていたけれど……」


 膳を半分ほどたいらげた頃のことである。ふと雪姫が箸を止めた。


「ああ、ここの宿は古くから風見ヶ丘の得意先でね。問屋からでなく、直接うちの村から買ってくれているんだよ」


 なるほど。そうであったのかと納得する。雪姫自身、風見ヶ丘の米は美味しいと評判が高いのは知っていたが、作業を手伝っているだけなので、わざわざ買いつけに来てくれるお客さんがいることまでは知らなかった。作っている方としては実に嬉しい話である。


 そんな喜びも束の間。


「そうそう。話は変わるけれど、明日の札納めは雪姫一人で行きなさい。私は朝早くから商工会の方へ行かなければならないから」


 少女は思わず、うっと言葉を詰まらせた。


(そうよねぇ! やっぱり、そうに決まっているわよねぇ……!)


 分かってはいたのだが、雪姫は心の中で滝のように涙を流した。

 ガックリと肩を落とし、項垂(うなだ)れる。十七歳にもなって、ましてや成人して、たかが見知らぬ町を一人歩きすることぐらいに恐怖してしまうとは。いったいどこまで臆病者なのだろう。ここまでくると、さすがに嫌気がさしてくる。


「……はぁーい」


 しかし、今さらどうこう言っても仕方がなかった。雪姫は深く溜め息をつき、渋りながらも了承する。

 そんな娘のことを、白峰はただ苦笑しながら見守っていた。



 その後も、会話という会話が交わされることはほとんどなく、二人は黙々と膳をつついて食事を終えた。

 腹が満たされたところで突如襲いかかってきた睡魔と闘いながら湯浴(ゆあ)みをし、雪姫は床の準備に取り掛かった。いつもより早めの就寝ではあったが、横になった途端、明日の一人で行かなければならない札納めの事を考えるよりも先に、深い眠りの中へと落ちていった。

 牛車(うしぐるま)のお陰で楽ができたとはいえ、やはり慣れない旅路に疲れが出たのであろう。農作業や村の生活の中で鍛えられ、ある程度体力のある雪姫でも、この日は夢を見ることなく朝までぐっすり眠った。




(こうなったらもう、覚悟を決めて行くしかないわね!)


 翌朝。雪姫は白峰を見送ったあと、自身も身支度(みじたく)を済ませると、女将に声をかけてから宿を発った。その際、簡単な地図を描いてもらえたので、それを頼りにしばらく歩く。

 そして目抜き通りへと出た途端、開けた視界と飛び込んできた光景に雪姫は思わず目を(みは)った。


(う、うわぁぁぁ……!)


 午前中にもかかわらず、通りは人であふれていた。あちこちの店から響く威勢のよい声も、かき消えてしまうほどの賑わいぶりである。

 さすがは都というべきか。規模も、活気も、風見ヶ丘とは比べものにならない。


「いらっしゃい! 新鮮な野菜だよ!」

「出来立てのお饅頭はいかがですかー!」

「ありがとうございましたー! またお越しくださいませー!」


 道沿いには様々な店や露店が(のき)(つら)ね、魚、野菜、料理に甘味、さらに呉服、(かんざし)、飾りを扱う店と、実に種類に富んでいた。棒手振(ぼてふり)(※)の人もいる。(※天秤棒(てんびんぼう)(かつ)いで物を売り歩くこと)

 おそらく、この町でそろわない物などないのだろう。


 雪姫はぽかんと口を開けたまま、辺りを見回し、進んでゆく。途中、何度も行き交う人とぶつかりそうになった。その様子は、まさしく典型的な御上(おのぼ)りさんの図であった。


 通りに立ち並ぶ建築物のほとんどは二階建てで、何だか見下ろされているような、自分が小さくなってしまったような気分に陥る。

 さらに、次々と飛び込んでくる店の暖簾(のれん)や町を行く人の衣も、目に痛いくらい鮮やかで。都にある全てのものが大きくて眩しくて、今にも自分の存在が霞かすんで消えてしまいそうで。

 急に怖くなった雪姫は、早く用事を済ませてしまおうと足を速めた。



 目的地である若草神宮(わかくさじんぐう)は、御所の一角に置かれている。しかし、中を厳重に管理したうえで一般開放されているため、毎日たくさんの参拝客が訪れていた。目抜き通りがそのまま御所の正門に繋がっていることもあり、遠くからでもその存在を認めることは容易であった。これなら土地勘のない者でも無事にたどり着くことができる。


 通りを抜けた雪姫は御所の正門をくぐり、広い石庭へと出たところで他の参拝客に続いて左に曲がった。ちなみに、右側は御所へと続く道となっているのだが。さすがにそちら側には見張りが多く、近寄り難い雰囲気が漂っていた。


 受付で札納めの手続きを済ませると、白い羽織を渡され、それを上から着るようにとの指示があった。

 羽織に袖を通し、案内役の巫女に従って本殿へやってくると、しばらくここで待つようにと広い中にぽつんと一人残される。


「…………」


 雪姫は焚きしめられた香の香りや目の前の祭壇に安置されている御神鏡を見て、縮みあがった。漂う厳かな空気に、嫌でも背筋がのびる。


(菊花姉さんは、大したことなかったなんて言ってたけれど、いったい何をするのかしら……)


 少女は急に不安に駆られはじめた。

 とりあえず出された敷物に座るが、この時はもうガチガチに緊張していたので、待たされた時間が短かったのか、そうでなかったのか、よく分からなくなっていた。



「お待たせしました」


 後ろに二人の巫女を従えて現れたのは、老年の巫女──若草神宮の大巫女(おおみこ)であった。

 大巫女とは巫女の長のことであり、どこの神社や神宮にも必ず一人置かれている。霊力が強く、祈祷(きとう)や、まじないに優れた者が選ばれ、その下に巫女、巫女見習いと続くのだ。


「雪姫殿、この度は御成人おめでとうございます。では、これより儀式を始めさせていただきます」


「はい。よろしくお願いします」


 互いに深々と頭を下げ、挨拶を済ませる。雪姫の緊張も一気に頂点に達した。


 ついに、札納めが始まる───




 ……と、ものすごく緊張した割に、札納めこと成人の儀式は意外とあっけなく終了してしまった。


 雪姫が風見ヶ丘から持ってきた自分の札を提出すると、大巫女がそれに対して祈祷(きとう)し、朱墨(しゅぼく)で呪文を意味する複雑な紋様を書き加えた。その札はお付きの巫女によって回収される。最後、雪姫にも御祓(おはら)いをし、これで終了である。


(ええっ? これでおしまい?)


 儀式だなどとあまりにも(ぎょう)々しいことを言うので、とてつもなく堅苦しく、長たらしいものを想像していたのだが。雪姫は思わず拍子抜けしてしまった。


 実のところ、自身としても成人したということに今いちピンときていなかった。

 昨日の自分と今日の自分に、さほどの変化はみられない。延々と昨日の自分を続けてきただけなのである。そしてこの先もそれを続けてゆくだけなのだから、雪姫には成人というものがただの肩書きであるようにしか思えてならなかった。

 札納めの場合の儀式というのも、内容自体は非常に淡白である。成人というのと同様に、名前負けしているのかもしれなかった。


「どうもありがとうございました」


 大巫女に向かって礼を言い、立ち上がる。何はともあれ、こうして雪姫の札納めは無事終了したのであった。

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