第十六章 追手 弐
「草助様!」
家の戸が勢いよく開け放たれ、村の男が飛び込んできた。草助と疾風が駆け寄ると、男は跪き、口早に知らせる。
「若草の軍が近くまで来ております。盗賊集団を追うという形をとっていますが、それもただの偽装のようです」
「……どの辺まで来てる」
草助の声が低くなった。
「隣村です。賊を討伐する振りをしながら、何かを捜しているとの報告が」
そこまで言って男は今度、疾風の方に向きを変え、訴えた。
「疾風様、一刻も早くお逃げください。例え狙いが疾風様ではなかったとしても、軍にお姿を晒すべきではありません」
「そうだな。ありがとう」
「こいつには俺が付く。お前たちは普段どおりにしていてくれ」
「承知しました」
草助は男をさがらせ、疾風を連れて山吹から南に下って森を目指した。
二人は木の陰に身を潜め、遠くに見える山吹の様子を窺う。
「連絡がないってこたぁ、ジジイんとこの軍じゃねぇな」
草助の言ったとおり、何の連絡もないということは緑助も知らない事柄である可能性が非常に高い。
疾風は頭を悩ませた。彼らの目的が、いったい何であるのかがわからない。不審な点が多すぎた。緑助も知らないということは、密命だろうか。だが、それにしてはあまりにも堂々としすぎている。
「なっ……! 冗談じゃねぇ!」
草助が身じろいだ。現実に引き戻され、疾風もそちらを見やる。盗賊集団を装った者達の半数は山吹に入ったが、残りの者達が幾つかの集団に別れ、周囲に散らばったのである。そのうちの一つが、こちらに向かってきた。
森まで来る。
当然、軍もそれに倣って動きはじめた。
「お、おい! 逃げるぞ!」
疾風と草助の二人は駆け出し、森の奥へと逃げ込んだ。ところが馬の脚に適うはずなどなく、あっという間に追いつかれてしまった。暗闇の中に松明の赤い光がいくつも浮かび上がる。いま下手に動いては気付かれる。二人は息を潜め、彼らが通り過ぎるのを待った。
「まずいことになったな……」
「ああ。こりゃあ、さすがにヤバいぜ」
相手は隊を成している。いくら武術に秀でている二人とはいえ、この状況は圧倒的に不利であった。なぜこのようなことになってしまったのだろうか。予想外の事態に、さすがの二人も戸惑いを隠せずにいた。
普段は綽綽と大きく構えている草助ですら、今はじっと固唾を呑み、相手側の行動に鋭く目を光らせている。
次々と兵士が森の奥へと送り込まれてゆく。
疾風は、遠くで声を張り上げて指令を出している団長と思しき男を見て、はっとした。
「あいつは……!」
少年が声を発するよりも先に、草助の押し殺したような声が届いた。
男は篠塚の指揮する隊の部下であった。それは、この軍が篠塚のものであることを意味する。と、いうことは。
「くそっ! やっぱり昼間の奴か!」
草助が悔しげに歯噛みする。
「みたい……だな」
疾風も口調こそ冷静だが、顔は引きつっていた。
家臣ならば心配ないと安心していたが、どういう訳か昼間に会ったあの男には顔が割れていたらしい。それにしても、よくもまあ表情一つ動かさないでいられたなと、敵ながら感心である。これは完璧に油断したこちら側の負けであった。
昼間に会ったあの男は、おそらく帰ってすぐ篠塚に報告したのであろう。報告を受けた篠塚の方も、見失ってはまずいと早急に準備を整え、進軍してきた。そう考えれば緑助が知らなかったこととも辻褄が合う。
以前も夜盗と見せかけ刺客が送られてきたことがあったが、その時と同様に今回も民には気付かれぬよう盗賊を追っていると見せかけ、疾風を探していたようであった。
とにかく、篠塚は疾風のことを知っていて、帝に忠誠を誓っている男である。捕まれば命はない。
そうこうしているうちに何人かの兵士がすぐ近くまで踏み込んできた。
明かりが近づいてくる。奴らの視界に入ってはまずいと、疾風が音をたてぬよう慎重に後退った、その時。突然、足下で地面が大きく崩れた。
「──なっ!」
「う、嘘だろっ!」
足場を失い、二人は土砂と一緒に斜面を転がり落ちる。どうやら昨晩の雨で地盤が緩み、地滑りが起きたらしい。
幸い二人とも反応が早かったため、受け身は取れた。落ち葉と泥にはまみれたが、怪我はない。だが、今の地滑りのせいで敵に自分達の存在を明かすという最悪の事態を招いてしまった。もう隠れてはいられない。
「誰かいるぞ!」
「何者だ!」
「やっべぇ」草助の喉がひゅっと鳴る。
二人は起きあがると再び地を蹴り、暗闇の中へと飛び込んだ。
「おい、止まれ! なぜ逃げる!」
「怪しいやつがいるぞ!」
とにかく前へ。全力で走る。明かりも、上から浴びせられる声も、追ってくる兵士達の気配も。すべてを振り切り、疾風と草助は直走った。