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氷雪記  作者: ゐく
第二部
37/101

第十六章 追手 壱

「草助、これから秋彦殿のところへ護身刀を取りに行きたいんだ。一緒に来てもらえないか?」


 畑から戻ってきたばかりであるというのに、よくもまあ元気だなと、草助は(なか)ば呆れながら目の前で足の泥を拭っている少年を見やる。返事を待つことなく彼は自室へ上がり、代金の入った袋を取ってくると戸口で草助を急かしはじめた。


 秋彦から仕事が終わったと連絡がきたのは、秋も深まり、作物が収穫の時期を迎えた頃のことであった。

 月日が流れるのは早いもので、疾風が山吹に来てから半年が経っていた。その間に彼は村の人々や様式に慣れ、もうすっかり山吹の住人となっていた。


「草助、早く!」


「あーあー、へいへい」


 呼ばれた男は、のろのろと土間へ下り、気だるげな様子で草鞋(わらじ)に足を突っかける。

 外に出ると、睨むようにして空を仰いだ。


(しっかし、嫌な天気だぜ……)


 空は(よど)んでおり、分厚い雲が頭上に延々と広がりをみせている。


 昨日降った雨のせいで、道の所々にはまだ ぬかるみや水溜まりが残っていた。ぐちゃりと地面につけた草助の足が水溜まりの端に触れ、そこから波紋が広がってゆく。


 小さな波はやがて収まり、静けさを取り戻した水面には、重たい灰色の空が再び映った。






 干していた豆を(さや)ら出し、(ざる)にあけてゆく単調な作業。庭の一角にしゃがみ込み、霞は手を動かしながら、ぼんやりと疾風のことを考えていた。


 ────ぱきん。


 力を強く入れすぎたらしい。割った勢いのせいで、中身が弾けて辺りに散らばる。霞は、あっと小さく声をあげ、ばらばらと転がってゆくのを慌てて拾った。ふと顔を上げた時、ちょうど椎奈が柵から身を乗り出しきたところとぶつかった。


「なあ、霞。お前んちの爺さん、どこ行ったか知らねぇ?」


 二人の家は隣同士で、敷地を隔てるものはこの細い竹で造られた柵だけである。


「お爺様なら、ついさっき薬草を採りに出掛けて行ったけれど」


「そっか。じゃあ後でいいや……って、あれ?」


 霞も、何事かと立ち上がる。椎奈の視線をたどると、その先に疾風と草助が街道に向かって歩いてゆくのが見えた。


「そういえば今朝、預けといた刀を取りに行くって言ってたもんな」


 椎奈が思い出したように言った。

 霞はというと、ただ黙って無表情のまま疾風を見送っている。


(どうして……)


 少女の胸に、じわりと苦い思いが広がった。疾風から護身刀について話をしてもらったあの時、なぜ大切にしているのかも同時に知ってしまったのである。心境としては、複雑であった。

 霞は紅い唇を引き結び、そっと拳を握る。


(どうして思慮深い疾風様が、ただの村娘なんかにご自身のことを明かしてしまうだなんて軽率な真似を……)


 未だにわからない。だからといって、彼の口からこれ以上雪姫の話を聞きたくなかったため、問うこともできずにいた。その者が他言するかもわからないというのに、なぜ彼は自身の立場について明かしてしまったのだろうか。


(だって、ただの村娘なのよ? 荷が重すぎるわ)


 己の中に芽生えはじめた黒い感情。


「ただの村娘には重すぎる。絶対、そうに決まってる」


 ぼそりと、それでも刺すような鋭さを持った口調であった。


「か、霞?」


 椎奈はひやりとした。

 顔を(うつむ)かせ、呟く幼馴染みの姿を見て、おそらく彼女はすでに知っているのだと悟った。疾風があの小刀を大事にしている理由。それが、命を救ってくれた品であること以上に、雪姫という村娘から貰ったお守りであるからだということを。


(あっちゃー……)


 柵にもたれかかったまま、椎奈は固まった。幼馴染みであるがゆえに、彼女の思うところが手に取るようにしてわかる分、何とも気まずくなる。


「じゃ、じゃあ俺、戻るわー」


 ここはそっとしておくのが良いと判断し、椎奈は自然な素振りでとその場を離れることにした。

 去り際に視界の隅で霞の様子を確認してみると、彼女はまだ疾風の後ろ姿を眺め続けていた。





「ごめんください」


 疾風達が工場に入ると、話し声がした。中ではちょうど、秋彦が誰かと談話中であった。外には上等な馬が繋がれていたので、おそらくこの客人のものだろうと察する。


「あ、こんにちは」


 客人越しに秋彦は入ってきてすぐの二人に挨拶し、顔の前で手を合わせて申し訳なさそうに謝る。


「すみません、少しだけ待っていただけませんか?」


「いや、私はこれにて失礼しよう」


 どうやら要件は済んでいたらしい。一緒に話をしていた男がやんわりと秋彦を制し、きれいに腰を折った。


「では」


「本当に、わざわざありがとうございました。篠塚(しのづか)様によろしくお伝えください」


(篠塚……!)


 秋彦の口から出てきた名前に、疾風の心臓が引き絞られる。


 男が(きびす)を返しかけたところで、「はい」と秋彦にもう一度小さく頭を下げ、こちらに向かって歩きだした。入れ替わる形で擦れ違った時、男が疾風をちらりと見やる。


(────まず、い……!)


 しかし相手は軽く一礼すると、表情を少しも変えることなく工場を出て行った。一瞬焦ったが、疾風はほっと胸を撫で下ろした。


(気付いていない……のか?)


 篠塚とは、おそらく篠塚政宗(しのづかまさむね)のことであろう。

 彼は緑助と共に肩を並べる、皇宮の武官である。こうして鍛冶屋(かじや)と関係していることや、平民で姓を持つ者がいないに等しいことを考えると、残念だが疾風の想像する人物に間違いはなさそうであった。

 今の男は篠塚の家臣なのだろうか。御所の中でも疾風のことを知っている者はまず少ない。名前ぐらいは知っていたとしても、実際に面識があるのは緑助や篠塚といった上部の、それも限られた一握りの人間だけである。今の男がただの家臣であるならば、心配はない。そう考えると少し心が落ち着いてきた。


「お待たせしてすみません」


「今のはもしや、役人か何かだったりするのか? ずいぶんと立派な馬だったが……」


 念を入れ、疾風はそれとなく探りを入れてみた。


「そうなんです。この前の注文、実は武官の方からだったんですが、どうやら気に入ってくださったみたいで。いきなり大量に注文をしてすまなかったと、改めてお礼とお詫びのために、わざわざ使いをよこしてくださったんですよ」


 秋彦は照れくさそうに頭を掻きながら、疾風の刀を取りに工場の奥へと引っ込んだ。


 はぁ、と草助がため息をつく。


「ったく、心臓に悪いぜ……」


「ああ。まったくだな……」


 使いならば、疾風と面識があるはずがない。隣の草助が腕を組んだまま ぼそりと安堵の言葉を吐き出したので、疾風も苦笑しつつそれに同意した。



「お待たせしました。どうぞ」


 戻ってきた秋彦に黒漆の小刀を手わたされ、疾風はさっそく鞘を外した。


(──すごい)


 思わず息を呑んだ。

 砥石(といし)による無数の細かな傷は消え、刃にはもう一点の曇りさえも残っていない。刀は見事に息を吹き返し、薄暗い工場の中であっても()せない輝きに、隣にいた草助も想像以上の腕利(うでき)きであると舌を巻いた。


「へぇ、こりゃあ大したもんだなぁ」


「ありがとう、秋彦殿!」


 心からの笑みで疾風は護身刀から勢いよく顔を上げた。秋彦の方も、満足そうな少年を前に表情を明るくする。


「末永く使ってやってください」


「ああ。今度は絶対大切に扱うよ」


 どちらともなく握手が交わされる。そんな二人の手を、明かり取りから漏れる鈍い光が包んだ。



 この日、外は凪いでいて、草原も前回来た時とは違い、ひどく大人しかった。以前の、波の如く激しくうねっていたのが嘘のようであり、全てがしんとしていた。


 そして疾風達が山吹に戻り、夜が訪れた頃。事態は急転する。

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