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氷雪記  作者: ゐく
第二部
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第十五章 消えた皇子の行方(後) 参

 秋彦と別れ、疾風と椎奈は帰途についた。


「椎奈、今日は僕の我儘に付き合わせてしまって、すまなかった。でも助かったよ。ありがとう」


 いつの間にやら風が出てきたようである。疾風はなびく髪を押さえながら、後ろを振り返った。


「いえ、気になさらないでください。どうせあのまま家に帰ったって、こき使われるのがオチでしたから」


 そう答える椎奈であったが、表情はどこか硬った。まだ何か言いたそうにしている。疾風が小さく首を傾げて促すと、恐る恐るこちらの顔色を窺いながら尋ねてきた。


「あの、それって例の村娘から貰ったもの……ですよね?」


「ああ」


 “それ”の指すものが護身刀であることを瞬時に悟り、疾風は素直に応じる。

 ところが、歩は進めど話しの方は進まない。しばらく沈黙が続いた。どうやら彼はこの先踏み込んで尋ねてもよいのかどうか、迷っているらしかった。そこで疾風は気を利かせ、先に口を開いてみることにした。


「これは護身刀というんだ。雪姫から貰ったお守りで──」


 疾風は昼間の霞の時と同じように、簡潔に説明する。ところが、話を聞いていた椎奈が途中で焦りだし、話を割った。


「ちょ、ちょっと待ってください! これで身を護るように、ということは……まさか疾風様、その娘にご自身の立場のことを明かしておしまいになられたのですかっ?」


「ああ、そうだ。全部話した」


 即答である。それも、さらりと自然に答えたので、逆に椎奈の方がたじろいだ。


「雪姫には悪いこをとしたかもしれない。それでも、後悔はしていない」


 疾風はしっかりと前を見据え、言葉を重ねる。


「最初は離宮から出られないのは何故かと問われた時、病のせいだと言ったんだ。でも、本気で心配をしてくれる彼女に、嘘をついていることが後ろめたくて仕方がなかった。だから全てを話すことができて、よかったと思っている」


 そして次第に歩調を緩め、少年は立ち止まり、(うつむ)いた。


「これは本当に、僕の勝手な我儘だ。彼女がきっと気負ってしまうとわかっていても、覚えていてもらいたかった。自分がいたという証を、残したかったんだ……」


 疾風は記憶を噛みしめるかのように瞳を閉じた。

 そう、己の存在を刻みつけたかったのである。皇家とは全く無縁な人の記憶の中に。初めてできた友達の心の中に。若草の皇子としてではなく、一人の人間として接してくれた、雪姫という少女に。




『覚えていてほしいんだ、君に』


『疾風という名の皇子がこの世にいた、ということを』




 疾風は、ゆっくりと(まぶた)を持ち上げる。


「雪姫は、僕の決意を受け止めてくれた。だから──」


 さわさわと揺れ動く草原が、夕刻に向けて柔らかくなった陽の光を反射し、辺り一帯を眩しいほどに輝やかせる。


「だから感謝はしても、後悔はしない」


 疾風が振り返えったのと、風が どうと吹いたのは同じであった。衣ははためき、長い髪も宙で翻り、踊る。疾風の後ろで、荒れ狂ったように草原が波立った。

 対峙する椎奈はその光景に圧倒され、ただ静かに息を呑む。


「さあ、帰ろう」


 疾風の表情と口調が、ふと和らいだ。穏やかないつもと変わらぬ様子に戻り、くるりと(きびす)を返して再び歩きはじめる。


「え、あ……そう、ですね」


 数秒の間を空け、ぎこちない様子の椎奈が後を追った。その横をまた風が通り過ぎ、草原の表面を大きく撫でてゆく。


(落ち着いたら、風見ヶ丘まで雪姫に会いに行こう)


 それは、ほとんど吐息言ってよいほどの、小さな呟きであった。草の擦れ合う音に掻き消され、誰の耳にも届かなない。

 疾風は、必ず生きて風見ヶ丘まで雪姫に会いに行くと約束をしたのである。だから今すぐには叶わなくとも、いつかはきっと約束を果たしたいと、今は遠い風見ヶ丘にいる友を想った。


 その横では、草原が風に煽られながら、ただひたすらザワザワと揺れ続けていた。

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