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氷雪記  作者: ゐく
第二部
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第十章 水澄へ 弐

「すぐ近くに村があったから、急いで雪姫を担ぎ込んだの。ここへは、佳月が背負って連れてきてくれたのよ」


「そうだったの……急に倒れたりして、ごめんなさい。佳月にも、何だか申し訳ないことをしたわ」


 罪悪感に(さいな)まれた雪姫は、隠していたことを白状することにした。


「実は私、暑さが大の苦手なの。暑くなると具合いが悪くなってしまうことがあって……気分が悪くなって寝込んだりする時もあるし、思考が停止して、ぼーっとしてしまったり、いろいろ。だから夏はあまり好きではないの」


 そう言って、困ったように力なく笑う。


 頭がぼーっとしたり、具合いが悪くなったりするのは、暑くなればよく出る症状のうちであった。ゆえに雪姫は大したことではないと、そのまま放っておいたのだが、まさか道端で倒れてしまうとは思ってもみなかった。


「街道を歩いていた時も、水澄まであと少しだったし、いつもの症状だから大したことないと思って具合が悪いことを二人に隠していたの。でも、結果として余計に迷惑をかけてしまったわ。本当にごめんなさい」


 居住いを正し、雪姫は幼夢に向かって頭を下げた。幼夢は慌てたように「いいのいいの!」と両手を大きく振る。


「気にしないで。雪姫が元気になってくれたなら、それでいいんだから」


「──それに!」と幼夢は勢いよく雪姫の鼻先に人差し指を突き付ける。


「私も佳月も、迷惑かけられただなんて思ってないしね!」


 断言し、幼夢が得意気に笑う。

 雪姫の心が温かいものに包まれた。自分はなんていい人に巡り会えたのだろう。


「幼夢……ありがとう」


 部屋の開け放たれていた戸から生温い風が吹き込み、小さく(ふすま)を揺らす。

 二人の髪を撫で、滑るようにして出ていったその風は、まるで夏のような青い草木の匂いを含んでいた。


「あ、そうだ。ところで“ハヤテ”って誰?」


 思い出したように口を開いた幼夢が、ちょこんと首を傾げた。


「えっ?」


 なぜここで疾風の名が出てくるのか、まったくもって不明であった。雪姫がぽかんと口を半開きにしていると、


「うなされてた時に、何度かそう呼んでたから」と、幼夢が付け加える。


 なるほど。記憶にはないが、どうやらまた疾風と別れた日の夢を見ていたらしい。その時に譫言(うわごと)を聞かれてしまったようである。


「風見ヶ丘の友達?」


 尋ねられ、否と雪姫は首を振った。


「いいえ。村の人ではなくて、札納めに行った時に若草で知り合った友達なの」


「ふぅん。その人って、男の人?」


「ええ。そうだけど……」


「ねぇねぇ、また会いたい?」


 そう問われ、言葉に詰まってしまった。おそらく、もう二度と会うことはできない。雪姫が再び御所の塀を越える機会が訪れないということも、疾風が“運命”に逆らえないということも、わかっていた。


 だから──


「約束を、したの。風見ヶ丘に……私に会いに来て、って」


 そう、だから約束を交し、疾風を生に縛りつけた。緑助や藤太の力添えがあったとしても、いつかは“その日”がきてしまうのであろう。それでも、生きることを諦めないでほしい。せめて最後まで抗ってほしいと、そんな願いを込めたのだ。


「ふぅ~ん、なるほどねぇ。雪姫ってば、好きなんだー? その人のこと」


「えええっ!」


 含み笑いをする幼夢の探るような視線と言葉に狼狽し、雪姫は両手と頭を思いきり振って否定する。


「ち、違うわ! ぜんぜん、そんなんじゃないんだからっ!」


 疾風に対して、恋愛の感情を抱いたことはない。何しろ女だと思い込んでいたぐらいである。男だと知ったあとも、彼は雪姫に対して態度を改めたりしなかったので、雪姫も疾風に対して以前と同じように接することができていた。

 雪姫にとって疾風は大切な人であることに間違いない。けれども、それは「人生に影響を与えてくれた大切な友達」という意味であった。


 ところが、幼夢には必死に否定するその姿が、逆に照れ隠しに見えたらしい。薄笑いを浮かべ、興味津々で次の言葉を待っている。困り果てた雪姫は、目だけでなく話題も逸す作戦に出ることにした。


「よ、幼夢こそ。どうなの?」


「私?」


 突然話を振られた幼夢は、一瞬きょとんとし、重大なことをさらりと言ってのけた。


「私はもう婚約してるから」


「えええっ! こっ、ここ婚や……っ!」


 噛んだ。

 驚きのあまり大きな声を出してしまった雪姫に対し、目の前の皇女は至っていつもと変わらぬ口調で答えた。


「そうよ。佳月とね。だから二人で今のうちにって、いろいろな所を見たり聞いたりして回っているのよ?」


 あまつさえ相手は佳月であった。

 たしかに、若い男女二人だけで旅をしていると聞き少々不思議には思っていたのだが、まさか婚約までしていたとは。皇家の人間だと知らされた時といい、今回のことといい、なぜだかこの二人には度肝を抜かれてばかりいる気がする。雪姫は驚いたあと、もう苦笑する他になかった。


「私達、ずっと一緒に育ってきたから、右腕と左腕みたいなものなのよ」


 くすりと小さく笑い、幼夢は自分の手元へ視線を落とした。


「そしたら、私の札納めが終わった頃からかしら。縁談が山ほどくるようになったのよねぇ。私だけじゃなくて、一年早く札納めが終わっていた佳月も、もううんざりしていたから、だからこの際だし、お互いのこと気に入ってるし、いっか! って」


 そして顔を再びこちらに向け、にこりと笑う。その笑顔を見る限り、満更でもなさそうであった。

 おそらく佳月も同じなのであろう。二人が互いに心から信じ合い、強い絆で結ばれているということなど、会ってから間もない雪姫にも十分に見てとれた。

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