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氷雪記  作者: ゐく
第一部
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第九章 血を引く者 弐

 要はこうである。一ヶ月ほど前、霜白(そうはく)で白き闇が降りると予言があった。しかし、白き闇が降りることに一早く気付き、駆け付けてくれるはずの氷姫は現れなかった。

 防ぐことができるのは、強力な霊力を持つ彼女だけである。霜白は国を挙げて捜索をはじめるが、やはり見つからずに時間だけが過ぎてゆく。

 このままではまずいと、皆が焦りだしたそんな時。とある歴史学者が、かつて皇家に「氷」という名の姫君がいたことを発見した。文献を読み進めてゆくうちに、彼女が伝説の氷姫と同一人物であったことが判明する。


 つまり、氷姫とは大昔に実在していた霜白の皇女のことであった。


 彼女の行方が知れない今、霜白は同じ血を引く者に白き闇を防ぐ力があるのではないかと考えて新たに捜査を開始した。そうして最後に「霜矢(そうや)」という人物へたどり着いたのだという。


「親類を調べに調べ、霜矢様が風見ヶ丘へ駆け落ちなさっていたこと、すでにこの世を去っていること、咲雪という名の孫がいることが分かり、こうして私が使わされてきたのです」


「つまり、私にも薄いながらも霜白皇家の血が……氷姫と同じ血が流れている。それで私に白き闇を防いでほしい、と」


 咲雪は急に目眩と似た感覚に襲われた。顔を(うつむ)かせながら、力なく答える。


「知りませんでした……」


 末子であった祖父──霜矢は、兄や姉達を置いて町の娘と駆け落ちをし、風見ヶ丘までやってきたのだと言っていた。しかし、彼はそれ以上のことを語ることはなかった。誰にも語らず胸に秘め、最後、祖母の待つ墓まで待って行ったのである。

 咲雪は、まさか自身の祖父が霜白皇家の者であったとは、夢にも思わなかった。


「もう残るは咲雪様しかおりません。どうか、このとおりです。我が国をお救い下さい。お願いします」


 使いの者は再び、これでもかというほどに頭を下げた。

 この男の様子から、霜白が必死であるということは一目瞭然であった。しかし、


「そう言われてましても……」と咲雪は眉を寄せた。


「申し訳ございません。力になって差し上げたいのは山々ですが、例え氷姫と同じ血を引いていたとしても、私にそのような力はありません」


 顔を上げた使いは、みるみると表情を曇らせていった。

 おそらくそう言われるだろうと、覚悟はしていた。それでも最後に望みを懸け、山を越え、早馬をとばし、ここまでやってきた。その一筋の希望すらも、いま打ち砕かれ、もう成す術は残されていない。

 使いの者はもう、その場にへたりこむしかなかった。




 その時、隣の部屋では雪姫がどうすればよいのか分からずに、瞳を揺らしていた。

 咲雪が氷姫と同じ血を引いているのであれば、娘である自分にも同じことが言える。しかし、まだ信じることができずにいた。


(薄いとはいえ、まさか自分が皇家の血を引いていただなんて……)


 幼夢や佳月、そして──疾風と同じように。


「雪姫、大丈夫?」


 幼夢が気遣わしげに雪姫の顔を覗き込んだ。


「は、はい。大丈夫です。ただ驚いたものですから」


 そうは言うが、幼夢から見て雪姫の顔色はどこか悪いように感じられた。


「それにしても……白き闇って、ただの伝説じゃなかったんだな……」


 佳月が感慨深げに呟く。


「ええ。どうやらそうみたいです。実は昨日、私達の村でも白き闇がくると予言がありました」


「ええっ!」


 大声をあげそうになった幼夢と佳月が、慌てて口を抑える。

 それから三人は顔を寄せあい、声を潜めた。


「ちょっ、ちょっと待って。それ、本当なの?」


「はい。やはり氷姫は現れませんでした」


「ま──まずいじゃない! それに、若草に白き闇がくるっていうのなら、隣にある緋那(ひな)だって危ないわ」


 緋那は若草の西隣にある国である。若草に白き闇が降り、猛吹雪にみまわれるとするならば、緋那とてただでは済まされない。被害を受けないはずがなかった。


「どうするんだよ。霜白が国を挙げて捜索しているっていうのに、まだ見つからないんだろ、氷姫。それに……」


 佳月はそこで言葉を切り、ちらりと瞳を動かして雪姫を窺った。察した当人が、慌てて首を振る。


「もちろん、私も母と同じです。氷姫のような力なんて持っていません」


「そうよねぇ」


 ここで三人は黙ってしまった。



 雪姫には、わからなかった。どうすればよいのか、どうすべきなのかが。

 氷姫と同じ血を引いていたとしても、結局自分は何の役にも立てない。何の力にもなることができない。


(まただわ)


 これでは、一年前と同じになってしまう。

 雪姫は唇を噛んだ。

 常に生と死の狭間に立たされていた疾風。そうと知らされても、結局はお守りをわたすぐらいのことしかできなかった。助けてあげることなど、できなかった。村娘の自分には、どうすることもできなかった。


(また何もできないの?)


 湧き上がる焦燥感。疾風と比べて、自分はなんと平和に暮らしているのだろう。札納めを終えてから一年も経つというのに、まだ家族にも甘えたままでいる。


(このままでいいの?)


 それは、疾風と別れたあの日から、ずっと自身に問い続けてきたことであった。


(私に、何ができる──?)


 雪姫には、白き闇を防ぐ力どころか霊力自体が備わっていない。白き闇を防ぐことができるのは、やはり氷姫だけである。

 だとすれば。


「やっぱり、捜すしかないわ」


 沈黙で満たされていた部屋に、ぽつりと落とされた言葉の雫。現実に引き戻された幼夢と佳月が、顔を上げた。


「そうよ。白き闇を防げるのは、氷姫だけなんですもの。ぎりぎりまで捜すしかないわ」


 今度は、はっきりとした声でそう言った。雪姫は自分に言い聞かせていた。


「た、確にそうだけど……」


 言い淀んでいる幼夢をよそに、雪姫はすっくと立ち上がる。


「私、決めました。氷姫を捜します」


 二人は雪姫を見上げたまま、思わず目を(しばたた)かせた。


「待てよ、雪姫。捜すっていったって、もうすでに霜白が国を挙げて捜索しているんだぞ?」


 今さら村娘一人が加わったところで、状況が変わるとは思えない。佳月はそう言いたかったのであろう。それは百も承知している。ただ、雪姫自身がもう耐えきれなかった。


「けれど、仕方がありません。見つからないというのなら、見つかるまで捜す他ありません。それに、私が何もしないでいるということに、もう耐えられないんです。氷姫と同じ血を引いているというのなら、なおさらです」


 雪姫は座ったままの二人に視線を合わせず、ただ真っ直ぐ前だけを見て答える。


「同じ血を引いているというのに、力がないからといってただ黙って助けがくるのを待っているだなんて……そんなこと、できません」


 どうやら少女の意思は固いらしい。その瞳は、決意の色で満ちていた。


(私には、白き闇を防ぐ力なんてない。だとすれば、私にできるのは氷姫を捜すことだけ……)


 それは、風見ヶ丘から離れることを意味した。しかし、不思議と恐くはなかった。以前ならば、自ら氷姫を捜しに出ようなどと、口が裂けても言えなかったに違いない。

 臆病であるがゆえに、未知のものや外の世界が怖くて仕方がなかった、かつての自分。ところが、知ったのだ。一年前、嫌だと思っていた若草行きも、行ってみれば緊張した割りに札納めはあっけなく終了し、特にすることも行くところもないと憂鬱であったのに、疾風という友達ができたお陰で毎日が楽しかった。実際はただの杞憂で、決して悪くなどなかった。

 一歩さえ踏み出してしまえば、あとは意外となるようになる。雪姫はそれに気が付いた。


(だから……)



「──ねぇ、佳月」

「……だな」


 幼夢と佳月は互いの目を見て同時に口許に笑みを浮かべると、雪姫に続いて立ち上がった。

 どうやら言葉がなくとも、互いの考えていることが分かるらしい。雪姫だけが成り行きに着いてゆけずにいると、突然幼夢が両手を腰に当て、大きく胸を反らせてみせた。


「私達、どうせ行き先なんて決めてないし。この際だから氷姫捜し、手伝おうかと思って」


他人事(ひとごと)じゃないしな。それに、霜白が見落としている場所や、情報もあるかもしれない。俺達も協力するぜ!」


 そう言い、二人して誇らしげな笑みを浮かべる。


 突然の申し出に、雪姫は最初、訳も分からず目を(しばたた)かせるばかりであった。が、その意味を理解するや否や、喉元にまで急速に温かい気持ちが込み上がってくるのを感じた。


「あ────ありがとうございますっ!」


 気付けば声を小さくすることも忘れて、雪姫は二人に向かって思いきり頭を振り下ろしていた。

 この二人が一緒に捜してくれるというのなら、本当に心強い。なぜかすぐにでも氷姫が見つかるような気さえしてくるのだから、不思議である。


 雪姫は面を上げると、身を翻した。使いの者に今のことを伝えるべく、(ふすま)の金具に手をかける。

 戸の擦れる乾いた音と共に、通路が開いた。居間にいた三人が、一斉にこちらを向く。


「お話しの途中に申し訳ございません。咲雪の娘、雪姫と申します。大切なお話がございます」


 毅然たる態度で一礼すると、雪姫は今度、使いから咲雪と白峰の方に視線を移す。


「お父さんとお母さんも、一緒に聞いて」


 有無を言わせぬような、凛とした態度であった。


 後ろには、幼夢と佳月が並んで控えている。そのせいか、大丈夫だと心底からそう思えた。雪姫は息を吸い、自身を奮い立たせる思いで腹に力を込めると、小さな部屋から開けた居間へと、大きく一歩を踏み出した。

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