第八章 予言 弐
「夜遅くにごめんなさい。今晩だけ泊めてもらいたくて……」
少女は頭から肩にかけて、細かな水滴でしっとりと濡れていた。隣の少年も同様である。
「ええ、もちろんです。うちでよろしければ、どうぞ上がってください」
雪姫は二人の肩越しに霧雨が降っているのを見て、慌てて居間に通した。座ってもらう間に箪笥から乾いた布を取り出し、それぞれに渡す。
稀にではあるが、雪姫の家にも旅人が一晩泊めてくれと訪ねてくることはあった。しかし、このような旅人は初めてである。
若い男女。それも、少年の方は元気よく跳ねた赤髪を首の後ろで一つに束ね、茶色い色調の衣と裁着袴を着ていたので旅人というのもまだ頷けるのだが……少女の方はというと、鮮やかな緋色の着物を着ているのだ。それに紺色の袴を合わせ、黄色い帯で差し色を入れている。長い金の髪は下方で結わいた二つ結びで、さらには被り物までしていた。まるで貴族の娘を思わせこの少女は、旅人と呼ぶのには些か目立ちすぎている気がした。
とにかく、なんとも不思議な組み合わせの二人組であった。
もしや、庶民の男と貴族の娘が駆け落ちでもしてきたのだろうか、などと雪姫が物語好きの頭で勝手に想像を巡らせていると──物音で目覚めたらしい。父の白峰と母の咲雪が居間に入ってきた。
「どうしたんだい?」
「あのね、今晩泊めて欲しいんですって」
「あら、雨に当たってしまったのね」
布で水気をとっていた二人の姿を見て、咲雪が言った。
「二人とも、何か食べたの?」
尋ねてみると、食べていないと言うので、咲雪は急いで食事の準備に取りかかった。
「ごめんなさいね、残り物しかなくて」
咲雪が残りの飯と残りの汁物、奥から惣菜や漬物を出し、最後に茶を入れて二人に差し出す。
「いえいえ、とんでもないです! とっても美味しいです。ありがとうございます」
少女が太陽のような明るい笑顔で飯を頬張る。その隣で、少年が申し訳なさそうに へこへこと頭を下げた。
「いやぁ、ご馳走までしてもらって……本当に申し訳ありません」
だがしかし、謙虚な態度とは裏腹に飯は二杯目である。
この者達はいったい何者なのだろうか。配膳を終えて座った雪姫が、興味津々で二人組を窺っていると、少年が突然思いだしたように声をあげた。
「あっ!」
驚いた雪姫が、思わずびくりと背筋を伸ばす。
少年は素早く首を回し、しまったという顔を連れの少女に向けた。
「大変だ、幼夢。俺達、飯食うのに夢中になっててまだ自己紹介してないぞ」
「ああっ! そうだったわ! 美味しくてつい夢中になっちゃった。いけない、いけない」
二人は「大変失礼しました!」と箸を置いてかしこまると、その場で白峰、咲雪、雪姫の三人に向かって平伏した。
「私達、緋那よりやって参りました、幼夢と……」
「その相棒、佳月です」
「二人で、舞と笛を披露しながら旅をしております!」
二人は元気よく声をそろえて言い切り、顔を上げた。
舞と笛。なるほど、と雪姫は納得した。この二人は旅芸人だったようである。どうりで普通の旅人にしてはおかしいと思ったのだ。
「ああ、緋那! 芸術が盛んだという西隣の国の……。そうでしたか。旅芸人とは、お若いのに大変ですねぇ」
「そうよね。歳だって、うちの雪姫と変わらないくらいじゃない?」
感心して盛り上がりはじめる夫婦の言葉を受けて、佳月が照れくさそうに頭を掻いた。
「まぁ、俺達の場合、今しかこういうことができないものですから」
「私達、これでも皇家の人間なんです。今のうちにいろいろなことをして、いろいろな所に行っておかないと、あとからでは皇宮を出るのが難しくなってしまうので」
「──え?」
親子三人は固まった。
今、幼夢はさらりと自然に言ったが、
「ええっ! お、おおお皇家っ? 緋那のっ?」
三人は慌てふためき、飛ぶように後退る。今度はこちら側が平伏す番となった。
「緋那の皇家の方とは露知らず、とんだご無礼を……!」
代表して謝る白峰に続いて、咲雪と雪姫も床に額をつけて謝罪する。幼夢と佳月はというと、白峰達が突然態度を改めたりしたので、ひどく慌てた。
「そ、そんなっ! いいんです、いいんです。顔を上げでください!」
「俺達、堅苦しいのって好きじゃないしな! それが嫌で脱け出してきたようなもんだし!」
「そうなんです! 皇家だってことも、別に隠す必要がなかったから話しただけなんです。ごめんなさい、気にしないでください!」
それでもなかなか頭を上げようとしない一家を、旅芸人の二人は必死になって説得し、なんとか顔を上げさせた。
お互い簡単には退かなかったので、決着がついた頃には双方ぐったりと疲れていた。
「ご、ごめんなさい。まさかこんなに驚かせてしまうだなんて、思ってもみなくて……」
その思考もどうかと思ったが、雪姫はあえて つっこまないでおくことにした。
「俺達のことは、普通の旅人として扱ってください。その方が嬉しいので」
「わ、わかりました。お二人がそこまで仰るのなら、そうさせていただきます……」
白峰が言うと、幼夢と佳月は満足して再び箸を取った。
「さーてと! ご飯食べたら、さっさと寝るわよ! 明日は泊めていただいたお礼するんだから、早起きしないとね!」
「ああ、もちろんだ。わかってるって!」
こうして、残りの皿はあっという間に空になった。
雪姫は二人を客間に案内し、そのあと咲雪の片付けを手伝ってから床に戻った。
この嵐のような二人のお陰で、予言のことなどどこかへ吹き飛んでしまい、今度はぐっすりと眠りにつくことができたのであった。