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氷雪記  作者: ゐく
第一部
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第八章 予言 壱

 止まらない心臓の早鐘。


『いいから逃げろ、雪姫!』


 暗闇の中、険しい表情で疾風が雪姫を怒鳴りつける。彼の左腕は、大量に出血していた。


『僕にかまうな! 早くっ!』


 震える雪姫の両手は、疾風の血で濡れていた。止血をしても、止まらない。止まってくれない。それどころか、手拭きを当てた指と指との(わず)かな隙間から、湧き水のようにどくどくとあふれ出るばかりであった。


(お願い、止まって! このままじゃ……)


いや……!


いやあぁぁぁぁぁぁっ!









 がばりと勢いよく布団から起き上がると、そこは風見ヶ丘の自室であった。


(ゆ、夢……?)


 雪姫の体は、嫌な汗で濡れていた。荒い息を整えながら、寝衣の袖で額の汗を拭った。べったりと首にまとわりついた、自分の髪の毛が鬱陶(うっとう)しい。


(まただわ)


 雪姫は緩緩(ゆるゆる)と起き上がり、部屋の戸に手をかけた。静かに半分だけ引けば、今まで閉めきっていた部屋に淡く鈍い朝の光が差し、ひんやりと澄んだ空気が流れ込でくる。それを思いきり胸に吸い込めば、荒かった呼吸が次第に落ち着きを取り戻しはじめ、嫌な汗も退いていった。


 日はまだ昇ったばかりなのか、辺りは薄暗く、しんとしている。雪姫はぼんやりと遠くの空を眺め、疾風と別れた日のことを思い返した。

 あの別れから一年が経っている。だんだんと記憶は薄れてゆき、疾風の顔もしっかりとは思い出せなくなってきていた。にもかかわらず、血で濡れた光景と感触だけははっきりと脳に焼き付き、忘れることができずにいた。ふとした瞬間に、その時の光景と生温かい血の感触が(よみがえ)るのだ。


 あのような別れ方をしてしまったせいで、雪姫はこうして度々同じような夢を見ては(うな)されるようになっていた。心配と罪悪感が入り交じった気持ちを、未だに引きずっていた。


(疾風……)


 雪姫は胸元をぎゅっと掴み、奥歯を噛みしめる。


(お願い、死なないで……)


 毎日心配で堪らない。たとえ怪我が治ったとしても、結局はいつ殺されるか分からぬ身であることに変わりはない。それを思うと、ひどく胸が苦しかった。

 とりあえず、帝の(おい)が死んだという知らせが入ってこない限り、彼はまだ無事ということである。知らせが無いということ。それが今、雪姫にとって唯一の救いであった。


 空が明るみだし、鳥も鳴きはじめた。雪姫は小さく息を吐くと、布団を片付けるため部屋の中へと戻っていった。




「おーい!」


 雪姫が、椿や紫苑と共に村の畑仕事を手伝っていた時のことであった。


「大巫女の婆ちゃんが、みんなに大事な話があるから、神社に集まれだってさー!」


 菊花が声を張りあげ、畑にいる皆に呼びかけた。雪姫と椿、紫苑の三人は互いに顔を見合わせる。


「大事な話?」と、椿が目を(しばたた)かせ、首を傾げた。


 村中の人を集めてまでしなくてはならない話しとは、いったい何だろうか。とにかく、雪姫達も言われたとおりに大巫女の待つ神社へ向かってみることにした。




 風見ヶ丘の神社は、こぢんまりとしている。(ふもと)から石段で少し登ったところにあり、辺りは木々で囲まれていた。境内(けいだい)には、本殿と大きな御神木しかない。本当に小さな神社であった。


 雪姫達が到着した頃には、もうほとんどの村人が集まっていた。さすがに本殿には全員入りきらないので、廊下やその周りにも人があふれている。雪姫達もその後ろに並び、本殿中央に鎮座する大巫女に注目した。


 後から何人かがバラバラと加わり、それを見届けたのち、大巫女が口を開いた。


「今日は皆に重大な知らせがあって、わざわざ集まってもらった。よう聞け。もうじき“白き闇”がくる」


 ざわり、とその場の空気が大きく揺れる。雪姫も目を見開いた。


(白き闇って、あの白き闇のこと?)


「皆も知っているであろう。あの氷姫伝説に出てくる災いのことだ」


「でも、それってただの物語なんじゃ……」


 誰かが言った。


 “白き闇”とは、氷姫伝説に出てくる災いの霜のことである。

 寒さによって霜が降りるのではなく、この霜が寒さを呼ぶため、白き闇が降りた地域は気温が激しく低下し、長期にわたって猛吹雪に見舞われる。吹雪が止むまでは、人が生活することは不可能となってしまうという。これが、氷姫にしか防ぐことのできない原因不明の災い、白き闇であった。


「わしも予知した時は驚いた。不安になったのでな、念のため若草神宮の大巫女にそのことに関しての文を書いたのだが……先ほど返事が届いた。やはり、向こうも同じ予知をしておった」


「そんなっ! じゃあ、白き闇は本当にくるってこと? いつ? 私達はどうなるのよっ!」


 雪姫の隣にいた椿が吠える。他の者達も、つられてざわつきはじめた。


「落ち着いて最後まで話を聞かんかいっ!」


 雷が落ち、一瞬にしてその場が静まり返る。大巫女は「まったく……」と、を小言をこぼすと、一呼吸おいてから話に戻った。


「そしてもう一つ文に書かれていたのだが、遡ると最後に白き闇が降りると予言があったのは霜白(そうはく)という国で、百年前のことであったらしい。だが当時、被害は出なかったそうだ」


「と、いうことは……その時に白き闇を防いでくれたのは、氷姫かもしれない……ってことなんだな?」


 また、他の誰かが言った。


 雪姫だけでなく、他の村人達も皆同じことを思っていた。一早く白き闇がくることに気付き、防いでくれるという氷姫。生まれつき強い霊力を持った彼女は、白き闇を防ぐことができる唯一の存在であった。もし大巫女の話が本当であるならば、雪姫が小さい頃によく聞かされていたあの氷姫が実在する、ということになる。


「百年も前のことだ。それ以上の詳しい記録は残っていないらしい。実際に氷姫が存在するのか、来てくれるのかどうかも、わしには分からん。しかし白き闇がこの国に降りるということだけは確かだ。皆に不安を与えるだけの予言だが、わしには皆に伝える義務がある。わかっとくれ。以上だ」


 それから大巫女は立ち上がり、本殿の奥へと消えていった。

 他の村人達も顔を曇らせ、不安を口にしながらも次第に帰りはじめた。しかし、雪姫は動かないでいた。否、動けなかったのである。今し方大巫女が座っていた場所を見つめ、立ち尽くした。


(白き闇がくる……)


 自分達にはどうすることもできない。氷姫に防いでもらうしか、氷姫が来てくれるのを待っていることしか。また、雪姫にはどうすることもできないのだ。一年前と同じように。


「ねぇ、雪姫ってば。行こう?」


 紫苑が雪姫の顔を覗き込み、袖を引っ張ってきた。少し離れたところでは、椿が大きく手招きしながら二人を呼んでいる。


「あっ、ごめんなさい。今行くわ」


 雪姫は椿と紫苑と一緒に神社を後にし、仕事に戻った。

 すっきりとしない何かが、まだ胸の中に残っていた。




その夜、雪姫は予言のことばかり考えてしまい、なかなか眠りにつくことができずにいた。


 自分達はどうなってしまうのだろうか。

 氷姫は本当に来てくれるのだろうか。

 もし、来なかったら?


 次々と浮かんでくる不安から逃れるように、何度も寝返りを打つ。が、しかし。やはり眠れない。眠たくなるどころか、目は冴えるばかりである。

 仕方がないので、気分転換に水でも飲もうと思い立ち、布団から起き上がった。


 自室から居間へ出た時、ちょうど戸を叩く音がした。


(こんな時間にいったい誰かしら?)


 雪姫は急いで部屋に戻り、半纏(はんてん)を羽織った。


「はい。どちら様でしょう?」


 静かに戸を開けると、戸口には歳も雪姫とほとんど変わらないくらいであろう、一組の男女が立っていた。

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